全羅北道(井邑市 )

高麗時代、地方の儒学者により崔致遠の学問と徳行を称えるために生祠堂(生きている人を祀る祠堂)が建てられ、泰山祠と呼ばれていました。この建物は1483年、丁克仁が建てた郷学堂があった場所(現在の場所)に移されました。1696年に崔致遠と申潜の2つの祠堂を1つにし、王より「武城」の扁額が下賜されて書院となりました。武城書院(ムソンソウォン)は1868年の大院君の書院撤廃を免れた47の重要書院のひとつで、その後、修復を重ねながら今日に至っています。現存する建物には祠宇、絃歌楼、明倫堂、荘修斎、興学斎、庫舎などがあります。


江原道(原州市)

原州で最も流動人口が多いところとして数えられる中央路にある原州三大伝統市場の一つ・中央市民伝統市場。 中央市場の向かい側にある原州中央伝統市場は農畜水産物、雑貨などを販売しています。小規模のお店が軒を連ねる市場で、1960年代に朝市として始まり、1992年中央農水産市場を経て2006年中央市民伝統市場という名称となりました。市場にあるおよそ120の店舗の99%が中央市場商人会組合員となっており一致団結して市場作りに貢献しています。


慶尚北道(安東市 )

慶尚北道安東市(アンドンシ)豊川面(プンチョンミョン)にある九潭精舎(クダムチョンサ)は目の前に洛東江(ナクトンガン)九潭湿地が、背後には小高い山が広がり、遮るものがない広々とした青空を仰ぎ見ることができるところにあります。元々、光山金氏(クァンサン・キムシ)安東派の家系が代々受け継いできたところで、国語古典文化院クォン・オチュン理事長が買い上げ、新たに生まれ変わった九潭精舎は安東の自然を静かに満喫できる古宅です。 九潭精舎は河回村ではなく九潭湿地の近くにあります。およそ15年前までは安東へ基盤を移した光山金氏安東派の宗宅でした。しかし安東が新たな住宅地として注目を集めると、クォン・オチュン理事長は由緒ある宗宅を後世に伝え、より多くの人々に開かれた空間として活用することを思いつきこの家屋を買い上げました。その後、韓屋のいたるところを大々的に補修し、2010年5月、一般開放するに至りました。 中庭を囲む形で「口」の字型に建てられた韓屋の構造には手を入れず、改修しました。しかしながら古くなった瓦屋根は新しく葺き替え、韓屋の基礎となる基壇の石積みを長方形の石材・長台石に変えるなど一部本来の韓屋の造りに手を入れた部分もあります。また板の間と板の間を繋ぎ、建物のあらゆる部屋から部屋へと歩いて移動できるよう改築しました。煙突や塀は昔ながらの伝統の姿をそのまま復元し利用しています。このような改築の方針は、祖先が代々引き継いできた家屋に残された知恵や韓屋の趣を、多くの人が感じとってくれればというオーナーの心がよく表れているところです。 元々の韓屋と一番異なっている部分はこの韓屋の周りの部分です。中庭を、母屋前の庭の部分と舎廊(サラン)チェ前の庭の部分というふうに2つに分け、その間に塀を築き、内と外を分けたこと、そして3間の広さの高柱の大門を建てたことが一番の違いです。 また中庭を芝生で覆い、庭石や盆栽を置くなどして韓屋の伝統美をより美しく見せるように工夫しました。 九潭精舎の構造ですが中庭、母屋、外棟、裏庭があり、敷地が緩やかな丘をなしているのが特徴です。外棟には亭子(東屋)の形をした高殿の板の間があり、風流さを楽しむことができ、母屋には家族の生活空間であった奥の間があります。 建物の内側にある中庭は母屋の採光を高めるのと同時に空気の循環も促し、母屋の空間を外の自然と調和させる役割があります。前庭と母屋、囲むように韓屋が建てられている中庭の3箇所がそれぞれ自然の空間、人工的な空間、そして人の手が加えられた人工的自然空間と三重の構造をなしている形となっています。通常、韓屋は湿度が高く水を多く必要とする芝生は作らないのですが、この中庭には青々した芝生を植えました。これは韓屋の基礎となる基壇の下に四角い長台石を積み上げ、十分な高さを確保できたことで可能となりました。 九潭精舎ではエアコン設備はなく、冬にはオンドルの焚口に薪をいれ火をつけて部屋を温めます。不便さを感じることもありますが、ここに一泊したお客様は韓国にエアコンやボイラーがなくてもなんとかなるということを身を持って悟ります。夏は戸が多く風通しがよい韓屋の構造のため、ごろんとしているだけでも涼しく、冬になるとオンドルの焚口に近い方の部屋はかっかと暑くなり寒気も飛んでいってしまうほど温かくなります。 この韓屋の自慢は伝統御膳の食事。山から取ってきたエゾウコギ、桑の葉、タンポポなどを漬けた漬物や塩梅よく塩をふって焼いた安東塩サバ、化学調味料を一切使わない様々なおかずで構成される御膳は九潭精舎を訪れる人々にいつも人気満点のメニューです。


全羅南道(海南郡 )

清らかな自然に囲まれた「へマルヒーリングの森」は頭輪山のふもとに位置しています。建物はL字型になっており、アンチェ(母屋)とパッカッチェ(外棟)に分かれています。22坪のアンチェは15人~25人が宿泊できる客室で、室内にはテレビ、エアコン、冷蔵庫、食卓などが揃っています。パッカッチェは4人~6人が宿泊できるワンルームタイプで、エアコンが備え付けられています。


ソウル(瑞草区)

ソウル市瑞草区にある国立国楽院で行われる「ハンガウィ タルマシル」は、韓国全国各地域で受け継がれている秋夕の風俗ノリ(遊び)を舞踊劇化したものです。鳳山タルチュム(仮面劇)の登場人物であるミヤルがマルトゥギを連れて八島を遊覧し、チェッコリおよびカマサウム(籠の戦い)、風物ノリ(遊び)、カンガンスルレ、プクソリ(太鼓の音)踊りなど5つの場面からなる祭りを楽しむ形態で構成された見どころ満載の舞台です。公演が始まる1時間前の午後3時から、国立国楽院の野外広場で観客が参加できるプログラムが用意されています。ノルティギ(板跳び)、投壺(矢を壺の中に投げ入れる遊び)、チェギチャギ(羽蹴り)、ペンイチギ(象毛回し)などの「民俗遊び体験」と、仮面作り、韓紙工芸などの「制作体験」や「ソンピョン試食」など伝統祭祀風俗を直接体験し、楽しむことで五感が満たされるよなプログラムが用意されています。


京畿道(坡州市 )

大韓民国の20世紀文化は大変大きな変動を経験しました、日本に統治権を奪われた1910年から40年代、苦難の6.25戦争が起こった1950年代、「いい暮らしを目指そう」という一念で全国民が一致団結した1970~80年代まで、次第にその時代のことを忘れてしまうのではないかという懸念から、2005年に30年間収集した様々な収集品約7万点をヘイリ村に移し、この博物館を開館しました。 入口から昔の懐かしい匂いが漂う韓国近現代史博物館は地下1階、地上3階建ての建物で、各フロアごとにそれぞれ異なる時代のとある街並みを丸ごと再現した韓国初の近現代史を振り返るテーマ博物館です。


慶尚北道(慶山市)

ナツメで有名な慶尚北道慶山(キョンサン)にあるパラムヘッサル農場(風陽差し農場)は広々としたナツメ畑のそばにあります。農場は韓屋宿泊施設としてはもちろん、ナツメの広報館やナツメ加工施設がある体験型農場としても運営されています。 韓屋は母屋と舎廊(サラン)チェの建物、バンガローからなり、母屋を除く舎廊チェとバンガローで韓屋ステイが可能となっています。建物はそれぞれ独立しており、予約した1組(最大4人まで)のみしか宿泊できません。全室エアコン、冷蔵庫、コーヒーポットなどが完備しています。 ナツメの農場ということで韓屋のすぐそばにあるナツメ広報館では慶山のおいしいナツメの試食ができ、体験やセミナースペースもあります。 また加工室がありナツメの加工工程も見学できます。ナツメの収穫時期である秋にはナツメ狩り、ナツメ餅作り、薬飯作りなど農村体験もできます。


慶尚北道(高霊郡 )

気前のいい甕器宅(インシムチョウン・ウンギテク=인심좋은웅기댁)は赤味を帯びた黄土色の外観が目を引く韓屋民泊施設です。 素朴な趣が宿るこの韓屋は竹室(チュクシル)と梅室(メシル)の2室があり、竹室には最大6名様、梅室には最大4名様までご宿泊いただけます。客室内部は白で統一された壁紙で仕上げ、オンドル部屋の床は黄土で造り全体的にシンプルな印象を与えます。いずれの客室にもテレビ、エアコン、洗面用品、ドライヤー、テーブルなどを完備、ご家庭と変わらない快適な空間でおくつろぎいただけます。 また各室トイレが個別にあり、炊事用品も準備されていますので簡単な食事を作ってお召し上がりいただくことも可能です。 甕器宅があるケシル村は朝鮮時代前期の文臣であり学者であった金宗直(キム・ジョンジク)先生の子孫が集まり形成した善山金氏(ソンサン・キムシ)の集姓村です。村内には民俗資料62号に指定され朝鮮時代に起きた士林の四大惨禍のひとつで戌午士禍(1498年)のとき災いを被った金宗直先生の宗宅(本家)や文化財資料第111号の道淵斎(トヨンジェ)などがあります。 近隣には大伽倻博物館にある金宗直先生記念室には有形文化財第209号の佔畢斎文籍遺品が展示されています。花が咲く美しい谷ということで開花室とも呼ばれるこの地ですが、その背後に花が満開となる花開山(ファゲサン)や350年前からあるという竹林、そして蝶が羽を休める形に似ていることから名付けられた蝶舞峰(チョンムボン)などが村の周囲を温かく包み込んでいます。村の八割以上の人々が伝統韓屋を保存・維持しており、韓屋の瓦屋根の曲線は村の暖かな風情と調和しています。 この村は2001年に行われた美しい村作り事業や2005年農村体験村造成事業を通じて、現在の姿に生まれ変わりました。事業では村に元々からあった古い家屋を補修・新たに建築したり、土で固めた石塀や散策路の造成、そして細部にいたるまで造景し、より風情ある村づくりに努めました。他にも住民や訪問される方々が便利に楽しめるよう村の休憩所や体験館、インターネットカフェなども開設しました。ケシル村は住民みながともに力を出し合い、村を活気づける代表的な例としてその成果を認められ、2011年には大韓民国農漁村マウル大賞において大統領表彰を受けたこともあります。 2003年には農協ファームステイ村としても指定され、自然と伝統を生かした様々な体験プログラムも実施しています。サツマイモ掘り、田植えなどができる「農業体験」、礼節教育と伝統茶の試飲を行う「伝統教育体験」、凧や藁工芸などにチャレンジできる「ものづくり体験」、飴や油菓などを作る「伝統飲食体験」、ブランコや板跳びなど村の広場で楽しむ「伝統遊び体験」、ドジョウ掬いや氷上そりが楽しめる「自然体験」などがあります。 このように季節ごとに自然の美しさやさまざまな伝統を活かし盛りだくさんの体験プログラムを実施しているケシル村は代表的なファームステイ村としての地位を確立し、毎年5、6万人の観光客が訪れる名所となりました。伝統韓屋体験や様々な楽しみがあるケシル村で古きよき田舎の情緒を体験してみるのはいかがでしょうか。


大邱広域市(中区)

地元の厄介者と見られていた廃墟が、市民みんなが楽しめる文化・芸術スペースに生まれ変わった寿昌(スチャン)青春マンション。大邱(テグ)広域市中区(チュング)寿昌洞(スチャンドン)にあるこの寿昌青春マンションは、旧・KT&G(旧韓国タバコ人参公社)煙草製造廠(工場)で働く職員用宿舎として使われていた集合住宅をリノベーションした文化芸術複合スペースです。 1976年から職員宿舎として利用されてきましたが、1996年にその役割を終え、20年以上もの間、使われず放置されていました。 この使われなくなった建物は2016年文化体育観光部の文化再生事業に選ばれたことで転換点を迎えます。 これまでこの建物が経てきた50年近くの歳月の痕跡を外壁に残しつつ、内部は若手アーティストのための活動の場として整備、新旧が共存するスペースとして再び生まれ変わった寿昌青春マンション。 寿昌青春マンションは、2年間の改修を経て、2017年12月「寿昌青春マンション」として正式に開館、2018年9月には大邱現代美術家協会による寿昌青春マンションの受託運営を開始し、2018年11月3日再スタートを切りました。 ただ古びた建造物として長きに間放置されていた寿昌青春マンションは、今では大邱地域の若手アーティストのアート活動拠点として利用されています。 [出典:寿昌青春マンション]


大田広域市(大徳区)

* 地域住民の文化空間、韓南大学校聖志館 * 聖志館(ソンジクァン)は校門の正面にある建物で、韓南(ハンナム)大キャンパスの北側に位置しています。 この建物は1985年4月に着工し、1986年8月に竣工しました。 延面積はおよそ3,000平方メートルで、客席は1階席1048席、2階席564席、すべてで1612席で、竣工当時、大田(テジョン)を中心とする忠清(チュンチョン)地域最大規模の講堂で、さまざまな学校行事や地域住民の文化スペースとして活用するため建築されました。 「神聖な志」を意味する「聖志館」と命名されたのは完成当時、聖志館の主な利用がチャペルとしての機能であったためで、チャペルの時間を通じて神の神聖な志が宣布され、神の神聖な志に耳を傾けるすべての学生が真の信仰を通じて正しい人格を形成する知性ある人物として神聖な志を養い心に誓うという意味を込めて聖志館と名付けられました。建物の南西側の壁面には「聖志館」の文字がそれぞれ縦・横2mの大きさで書かれており、この文字は韓国を代表する美術展・国展の招待作家である長巌(チャンアム)李坤淳(イ・ゴンスン)氏の字体をそのまま鋳物で制作したものです。 聖志館正面に架かる十字架はその大きさが4メートルの大型で、美術教育科パク・ビョンヒ教授の設計で制作されました。校門から建物を見ると正面に位置しているため、校門の十字架像とともに、韓南大学校の教育理念がキリスト精神に礎を置いていることを可視的に表わすシンボルとも言えます。