江原道(鉄原郡)

鉄原(チョロン)駅は1912年10月21日に開業したソウルと元山(ウォンサン)を結ぶ鉄道・京元線の主要駅で、金剛山(クムガンサン)電気鉄道の始発駅でもあった駅です。 駅が旧・鉄原市街地にあったため、日帝強占期(1910~1945年)には同じ江原道(カンウォンド)にある春川(チュンチョン)に匹敵するほど人の往来が多く活気に満ちていたといいます。 またこの鉄原駅から韓半島の景勝地・金剛山に向かう金剛山電気鉄道が走っていたこともあり、通常の鉄道施設のほかにも金剛山電気鉄道の操車場、事務室、電気施設、旅館などが軒を連ね、当時はソウル駅と比較されるほどの大きな駅で、京元線沿線でも有数の駅に数えられていました。 残っている記録によれば、1928年には駅舎が新築され、1934年6月9日には駅構内の跨線橋やプラットホームの屋根も新設されました。 京元線は韓日強制併合(1910年)以降、日帝による住民の強制動員やロシアで起きた十月革命により追放されたロシア人らを雇用し敷設され、1914年9月16日には元山で京元線全線開通式が行われました。 京元線の総延長223.7kmのうち、鉄原駅からソウルの龍山(ヨンサン)駅までは98.1kmあり列車で約2時間、鉄原から元山までは125.6km、約3時間かかりました。鉄原駅から内金剛(ネクムガン)まで運転していた金剛山電気鉄道は、全線で116.6kmあり、終点・内金剛駅まで4時間半かかりました。 江原道(カンウォンド)鉄原郡鉄原邑外村里(ウェチョルリ)の鉄原平野の真ん中に位置する鉄原駅の敷地はおよそ5万坪にも及び、1930年ごろには駅長を含めておよそ80人の駅員が勤務していたといいます。 1950年に勃発した6.25戦争(韓国戦争・1950~1953年・休戦)中には、プラットホームが被害を受けたほか、給水塔が破壊され、レールも大部分がその痕跡だけを残し無くなってしまい、廃駅となってしまいました。 廃駅後は放置状態となっていましたが、駅構内の土地は、駅の復旧に備え、保全管理地域に指定されました。 2006年5月3日には駅構内に統一念願の枕木というモニュメントが建てられました。


済州道(西帰浦市)

酔茶禅(チィダソン)リゾートはお茶と瞑想を通じたこころの安らぎを提供すべく誕生したリゾートです。


全羅南道(羅州市 )

ドレ村(トレ村)に位置する「DOREMI HOUSE(ドレ美ハウス)は韓屋宿泊施設です。DOREMIという名は「ドレ村の美」を意味し、ドレ村の美しさを伝える空間になりたいという代表夫婦の想いが込められています。DOREMI HOUSEには母屋とサランチェ(別棟)、離れがあります。母屋横に小さな絵本部屋があり、韓屋ステイとともに本を楽しむブックステイ空間となっています。


全羅南道(新安郡 )

荷依島(ハイド)という全羅南道の島が世間に一躍知られるようになった契機が、波乱と曲折の人生を歩んだ韓国を代表する政治家「忍冬草」金大中元大統領を生んだ故郷だったということです。 1992年の大統領選挙の時には生家跡地がある後広里(フグァンニ)に国内外の記者数百人が押し寄せるということもありました。現在では金大中大統領が生まれ幼い時を過ごした生家は跡地に復元され、昔の姿を取り戻しました。 跡地だけ残っていた生家のあった場所に生家を復元することを決定し、1999年に金大中大統領と同じ族譜の一門による寄付を中心に、大邱老人福祉大学老人会からも120万ウォンの募金が送られてくるなどして復元資金を確保しました。そして以前生家を壊した際の木材等が同じ島の於隠里(オウンリ)にある民家に使われていることが分かりその家を買い取り解体した上で、生家復元の際の建築資材の一部として使い復元、昔と同じ生家の姿になりました。 現在復元された後広里の生家は2,466.12平方メートル(約746坪)の敷地に、建坪59.5平方メートル(18坪)の木造草葺屋根の母屋、倉庫、家畜小屋が元の建物に忠実に復元(新安郡郷土資料第23号)、復元した生家はその後、新安郡に寄贈され、郡では復元された金大中大統領生家を観光資源として活用するため周辺にトイレなどインフラ整備をすすめ、観光客の皆様を迎える万全の体制を整えています。


慶尚北道(高霊郡 )

ケシル村は朝鮮時代中期、嶺南士林派の宗祖である佔畢斎・金宗直(キム・ジョンジク)先生の子孫が作り上げた善山金氏(ソンサン・キムシ)の集姓村です。 およそ360年の伝統を受け継ぐ村で、民俗資料62号佔畢斎宗宅、文化財資料第111号道淵斎(トヨンジェ)、市道有形文化財第175号佔畢斎文集冊板及び彛尊録などの文化財を保存しています。 ケシル村にはおよそ60世帯がいまもなお住んでおり、土塀や韓屋を復元・補修しつつ韓屋村を今に伝えています。 村の共同運営により、韓屋宿泊体験、農産物栽培、伝統礼節及び伝統遊びなどの体験プログラムを実施しており、訪れる人々に農村体験の場を提供しています。 ハドン宅(ハドンテク)は梅室と竹室の2室がある韓屋です。梅室には台所とトイレが完備しており、竹室は外部共用トイレと台所を利用できます。きれいに手入れされた中庭やこじんまりとした韓屋の趣が感じられる素晴らしい韓屋です。 ケシル村の韓屋体験はケシル村営農組合法人が一括管理・運営しています。


ソウル(蘆原区)

2019年7月に開館したソウル生活史博物館は、旧・ソウル北部地方法院(裁判所)とソウル北部地方検察庁があった北部法曹団地だった場所にできた博物館です。 元々この場所は2010年北部法曹団地が移転し遊休地となっていた場所で、ソウル市は都市再生事業の一環として、旧北部法曹団地の建物をリモデリングし、生活博物館をオープンしました。 庁舎移転による遊休スペース活用と同時に、北部法曹団地という司法という権威を象徴するスペースを市民の元に戻し、市民が中心となり、ともに展示を作り、教育プログラムを運営するのがこのソウル生活史博物館です。 人々の思い出と感情が息づく近現代生活史博物館として、ソウル生活史博物館は、市民同士が意思疎通し共感できるソウル北東部の複合文化スペースの中心的役割を果たす博物館となっています。


全羅北道(茂朱郡 )

安城面 通安村の後ろ、徳裕山の方に大きな岩でできた渓谷とその一帯を七淵巖洞と呼びます。茂朱九千洞という渓谷に比べあまり知られていませんが、変わった形をした岩や大小さまざまな滝、沼と垣根がうまく調和し、小さいながらも美しさはひけを取りません。ここの代表的な名所は七淵の滝で、7つの滝と池が連なっていることからついた名前です。上から下へ透き通った清らかな水が緩やかな滝をつくりながら流れ落ちていきます。七淵巖洞の下流にある龍湫の滝はそれほど高くはありませんが、奇岩でできた絶壁に古い松の木、東屋が調和し趣ある風景をつくっています。また、七淵の滝の向かい側には朝鮮時代末期に日本軍と戦い戦死した兵たちの墓である七淵義塚や若者たちが自然の中で過ごしながら活力を養う全羅北道自然学習院があります。


忠清北道(清州市 )

寿岩(スアム)コル(谷)は韓国戦争(1950~53年・休戦)以降、避難民が定着し形成された町です。町の高台の道路には寿岩コル展望台があります。清州(チョンジュ)市内が一望できる眺めのよい場所です。また展望台の下にはカフェ通りもあります。


京畿道(高陽市)

注葉(チュヨプ)子ども図書館は地上3階、地下1階の延床面積2,049平方メートルの規模を誇る子ども専用の図書館です。10万冊を超える蔵書を持つ子ども図書資料室、コンピュータ利用が可能なマルチ動画部屋、公演やイベントも実施できる調和の場などがあります。 世界各国の文化に重きをおきコンセプト化した図書館で世界各国のさまざまな生活文化イメージを表現した外国の童話や韓国の昔の情緒を感じることができるお話の部屋、マルチ動画部屋、光の絵動画部屋(DVD等視聴覚室)など子どもたちが未来へのビジョンを抱けるような各種施設を完備しています。 韓国の朝鮮時代の学問を学ぶ私塾的存在の屏山書院(ピョンサンソウォン)にあった休息や講学の場として使われた晩対楼(マンデル)をモチーフにした空間もあり、裸足で歩く韓屋の構造に似ているという点で建築的意味ももっています。 広い窓と楽しい複層式構造の建物、かわいい宮廷のような建築物が自慢の綺麗な図書館で、本をテーマにした遊び場的な役割が子供たちに幸福感を与えている、そんな図書館です。 ※開館日2007年6月28日


忠清北道(清州市 )

国立現代美術館清州(チョンジュ)館は美術館と政府・美術銀行の所蔵品をベースに、韓国初のオープン収蔵庫形式の美術館です。 オープン収蔵庫とは、美術館の柱となる所蔵品を収蔵庫に置いた状態で一般の方々に開放することで、膨大な所蔵作品を収蔵庫で鑑賞できるばかりでなく、美術館の見えない機能まで知ることができる既存の概念を超えた美術館といえます。 *出典:国立現代美術館