ソウル(江南区)

 ソウル重要無形文化財伝授会館は国家が伝統文化の保存、伝授のため建立した建物です。国家指定の重要無形文化財の保有者が伝授教育、一般人講習などを行っています。 芸能種目は8つの団体が入っており、無形文化財の保有者を中心に、その芸能を後世に残すため、伝授教育や一般人講習を年中実施しています。定期発表公演や国内外への公演にも参加しています。機能種目は12団体が入っており、重要無形文化財の機能保有者が工芸品の製作過程や完成した作品を一般に公開し、工芸機能の伝授教育も実施しています。 主要施設は公演座席147席の民俗劇場「風流」。2~3階には常設展示場や企画展示室がある「伝統工芸館」があります。重要無形文化財の保有者および伝授工芸家たちの作品を販売している伝統工芸品の常設展示販売場、セミナー室、芸能練習室、工芸教育実技室などがあります。* 開館日 - 1997年 11月 29日


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

鼎泰豊は、ニューヨークタイムズの世界のレストランベスト10に選ばれたレストランです。日本、中国、香港、シンガポール、インドネシアなどのアジア地域と、アメリカLAなどにも支店を構えています。新鮮な材料と品質のよい肉だねを包んだ小籠包。噛むとジューシーな肉汁が溢れ出ます。台湾や日本など、アジアからの観光客がたくさん訪れます。


5.0/1
ソウル() , 明洞

明洞で行列のできるコロッケ屋さん 1日2回コロッケを揚げる時間だけにオープンするお店。            


ソウル(鍾路区) , 東大門

東大門(トンデムン)は宝物第1号であり、正式名称は「興仁之門(フンインジムン)」でソウル城郭の東側の門です。1396年に創建され、1453年に改修されました。現在の門楼は1869年に再建されたものです。「興仁之門」と呼ぶようになったのは世祖(在位1455-1468)のときからだといわれています。 東大門の最大の特徴は、門の外を「甕城」が取り巻いているという点です。「甕城」は門を囲んでいる半円形の城壁のことを言います。低地なので外敵からの攻撃を受けやすいため、このような城壁で防御していました。今は甕城の石がさまざまな色を帯びていますが、これは補修工事をする際に変化したものです。 石を積んだ中央には虹霓門を据え、その上に正面5つ、側面2つの重層門楼を建て、屋根は隅ジン閣(ウジンガク)です。軒上には厄除けの意味で動物の像があります。東大門は細部の技法が脆弱で、装飾重視になっており、朝鮮後期の典型的な様式をよく現しています。


ソウル(城東区) , ソウル東部

70年代に建てられた建物を改装して作られたカフェ。それまでスーパーマーケット、食堂、個人家屋、そして金属部品工場として使われていました。床や壁面をそのまま活かし、時間の流れの跡を感じることができます。20種類以上のパンとコーヒーを販売しており、その中でも「あんバターの達人」としてTV番組で紹介され、「ブレッド05」の製品を味わうことができます。  


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

EXOのメンバー「カイが夢見る」という意味のカフェカモンは、EXOファンのアジトのような場所で、カイの姉が経営しています。人気メニューはアイスクリームと新鮮なフルーツを添えたワッフル。カップと紙ナプキンなどにはカイ手書きのイラストとメッセージがデザインされ、カイがEXOメンバーと訪れる姿もよく見かけることができます。  


済州道(西帰浦市) , 済州西部

山房山温泉は済州最初の大衆温泉で、韓国でも珍しい炭酸温泉です。2004年5月に沙渓温泉源保護地区に指定され、2005年3月に敷地面積11,111㎡の山房山温泉「鳩鳴水(鳩の鳴く声がする水、の意)」がオープンしました。関連ページ:ココロとカラダを癒す韓国の温泉旅行 (露天温泉)


5.0/2
ソウル(中区) , 乙支路・忠武路・南山

グランドアンバサダーソウルは、1955年10月にオープンした最高級のビジネスホテル。韓国ホテルの歴史の先頭に立ち、民間外交使節の役目を十分にこなしながら、1989年グローバルホテルチェーンであるフランスのアコー(Accor)グループとの提携を通じて、世界化を目指しています。 グランドアンバサダーソウルは地上19階、地下2階の建物に425の客室を揃え、 見晴らしの良い15~18階を「グランドクラブフロア」と称し、より良い高品格なサービスを提供しています。また7~9階の客室も14階とともに「アドバンテージフロアー」として新たに構成し、現代的な感覚のおしゃれで快適な客室環境の造成のため、より一層努力しています。    


ソウル(鍾路区) , 市庁・光化門

光化門は景福宮の南門であり、宮城の正門です。光化門は国王が頻繁に出入りする正門でもありましたが、景福宮が朝鮮の王が住む宮廷であったため他の宮殿の正門に比べて規模と格式の面でもとても雄大で華麗でした。また東西の塀の終わりに各東十字閣と西十字閣が設置され、朝鮮5大宮殿の中で唯一、宮門形式となっています。 景福宮の創建当時には特別な名前はなく、宮制によって「午門」と呼ばれたり、1395年に鄭道伝(チョン・ドジョン)によって「正門」と名前を変えましたが1426年に「光化門」と呼ばれるようになりました。 韓国戦争(朝鮮戦争)の時に爆撃を受けて門楼が壊れて石垣は弾痕だらけです。1986年に、破壊された門楼を建て直して再建されましたが再建した光化門は鉄筋コンクリートで造られ、もとの場所よりも14.5メートルほど後方に建てられました。このように原型を失った光化門を復元しようと2006年から光化門の撤去作業は始まり、3年8ヶ月の復元工事を経て2010年8月15日に工事が終了しました。 花崗岩でずっしりとした基壇を造り、その上に2階の門楼を建て、基壇にある3つのアーチ型の出入り口は景福宮が朝鮮の宮殿であるという威厳を見せています。