慶尚南道(陜川郡 )

通度寺や松広寺とともに韓国の3大寺院の一つである海印寺は、802年に建てられたと伝えられています。現在寺院の中には大小の多くの仏殿がありますが、ほとんどは最近になって建てられたもので、蔵経板殿のみ唯一朝鮮初期に建てられた形態そのままで残っています。蔵経板殿は13世紀に造られた文化遺産、8万枚余りの高麗大蔵経板が保管されている木造の建物です。同じ規模や形態を持つ二つの建物が南北に並んで建っており、南側の建物を「修多羅殿」、北側の建物を「法宝殿」と呼んでいます。華やかな装飾や色づけをせず、大蔵経板を保管するための最小の機能のみを備えているのが特徴です。通気性がよいため湿気に強く、室内温度の適正に保たれた技術が科学的にも優れるこの建物は、現在まで八万大蔵経板が無事に保存されてきた重要な役割を果たしてきました。蔵経板殿の正確な建立時期はわかっていませんが、1488年、朝鮮世祖の命で建てられ、その後一度も火災や戦争の被害に遭っていないものとされています。世界唯一の大蔵経板の保管用の建物として、建物自体の美しさだけでなく、隠された科学的な技術が認められ、1995年に世界文化遺産に登載されました。 


ソウル(東大門区) , 東大門

永徽園(ヨンヒウォン)の中には朝鮮王朝第26代目の高宗の後宮であり英親王の生みの母である純献貴妃厳氏のお墓「永徽園」と、英親王の長男のお墓「崇仁園(スンインウォン)」があります。 純献貴妃厳氏の位牌は現在鍾路区宮井洞にある七宮に奉安されています。永徽園があるこの地域は元々、高宗皇帝の妃である明聖王后閔氏の洪陵でしたが、1919年高宗のお葬式のときに一緒に埋葬するため京畿道南楊州市金谷洞の洪裕陵に移されました。


慶尚北道(鬱陵郡)

山の形が聖なる人に似ていることから聖人峰といいます。年平均300日以上も霧に包まれており、とても神秘的です。頂上の祭壇のような岩は将軍の足跡といわれており、この足跡は左足のため、本土のどこかに右足の足跡があると伝えられています。海抜984mの聖人峰は、兄弟峰、弥勒山、羅里嶺など大小の峰を連ねています。チョウセンブナ、カエデ科の木など貴重な樹木が群落をなしている頂上は、天然記念物第189号に指定されています。山登りは、道洞や苧洞から登り始めることができます。道洞から大願寺を通り、よく使われる登山路を登ると冠帽峰の下の分かれ道に到達します。苧洞から山登りを始めるとチュサゴル渓谷を過ぎ、冠帽峰の下の分かれ道に到達します。苧洞コースは岩の隙間から冷たい風が吹きだす自然のエアコンと、鬱陵島の誇りである蓬莱瀑布を見ることができ、暑い夏にはより脚光を浴びるところです。道洞から冠帽峰を通る登攀コースは3時間以内に頂上に登ることができます。聖人峰は冬景色も壮観です。


ソウル(鍾路区)

お膳準備料のあるお店です。おすすめはサムギョプサルです。ソウル特別市のトンデムンに位置したバーベキュー専門店です。


光州広域市(東区)

パレス観光(クァングァン)ホテル


ソウル(江西区) , ソウル西部

「stori(ストリ)」とは、物語り袋という意味を持つバッグ専門店で、デザイナーのチョ・ミョンヒ氏によって作り出される韓国的な素材とデザインのバッグが人気を集めています。ソフトなレザー類やプリントキャンパス生地、螺鈿類といったさまざまな素材を使い、真心込めて作られた作品が並んでおり、特にポッチュモニ(韓服を着た時に持つ袋)型の韓国的なデザインバッグなど、他では見られない品々が目を引きます。


ソウル(冠岳区)

落星垈公園(ナクソンデコンウォン)は、高麗の名将である姜邯賛(948~1031)の誕生の地を聖域化した場所です。1973年にソウル市により遺跡地として整備され、現在に至ります。 落星垈三重石塔の一層目には「姜邯賛 落星垈」と刻まれており、高さ4.48mのこの石塔は姜邯賛塔、姜邯賛 落星垈塔とも呼ばれています。*安国寺安国寺は、高麗時代の木造建築様式の代表格である栄州の浮石寺の無量寿殿を模して建てられたもので、姜邯賛の遺影が祀られています。*落星垈遺址姜邯賛が生家跡で、本来の落星垈三重石塔があった場所にあたります。1973年に落星垈を整備する過程でこの石塔が安国寺の境内に移され、石塔があった位置には高さ2mの遺墟碑が建てられました。つまり、姜邯賛の誕生地を記念し聖域化したものが落星垈公園であり、姜邯賛が生まれた場所は遺墟碑のある位置となります。


ソウル(鍾路区) , 市庁・光化門

朝鮮時代、守門将(スムンジャン)は王が生活する宮廷の門を守る責任者として、決められた規則によって光化門を開け閉めする職責でした。1469年に守門将制度が制定された当時の記録をもとに現在の光化門、景福宮前で守門将儀式を再現しています。当時、宮廷を守っていた軍人の服装や武器、各種装身具の再現はもちろん、とても厳しい儀式の一部始終も当時のまま再現され、景福宮を訪れる観光客の目を楽しませてくれます。


慶尚南道(統営市 )

韓国100大名山のうちのひとつである弥勒山に設置されている「閑麗水道眺望ケーブルカー(ハンリョスドチョンマンケイブルカー)」は、国内初の自動循環式bi-cable形式を導入した、国内最長(1,975m)の観光用ケーブルカーです。 平均速度は4m/秒で、上部乗り場まで約9分で到着します。乗客用ゴンドラ47機、貨物用ゴンドラ1機の計48台のゴンドラが循環運行しています。弥勒山の頂上に上がると、閑山大捷の歴史的現場や閑麗海上国立公園、日本の対馬、智異山の天王峰、麗水の突山島まで眺めることができます。  


釜山広域市(中区) , 海雲台

チャガルチ市場は、釜山の代名詞と言っても過言ではないほど有名な水産市場です。チャガルチという地名はチャガル海岸からきているという説と、活魚の中でもチャガルチ(スズキの仲間)という魚を多く取り扱っていたからという説があります。チャガルチ市場の通り沿いでは各所でサバ、ホヤ、クジラなどを売る姿を目にすることができます。1980年創業の「新東亜水産物総合市場」1階では活魚の販売を行っており、新鮮な刺身を味わうこともできます。2、3階には乾物や海産物の販売、刺身店があり、新しいチャガルチ市場の名物として話題となっています。 チャガルチ市場周辺が現在のように発展したのは1889年に日本が自国の漁師を保護するため、近くに釜山水産株式会社を建てたのが始まりです。その周辺に商人達が集まりだし、チャガルチ市場の商人達も徐々に近代化を模索することになっていきました。1922年になると、釜山漁業共同組合が南浦洞に建物を建て、委託販売事業を始めたことによりチャガルチ市場の商人達が集まってきました。これにより、釜山の魚市場は北港の釜山水産株式会社と、南港の釜山漁業委託販売場に二分されましたが、その後釜山水産株式会社は韓国最大の魚市場である現在の釜山共同魚市場へと発展し、南港に漁に出ている零細漁船の漁獲物を取り扱う零細商人達が釜山漁協委託販売場の周辺に集まり、現在のチャガルチ市場となりました。