全羅北道(完州郡)

湖南の小金剛と呼ばれる大屯山は頂上である摩天台(878m)をはじめとし、四方に伸びた山脈が続いており七星峰、将軍峰など岩峰になっています。摩天台では北側の稜線に沿って続く落照台で見る日の出と日の入りの景色は絶品です。1977年に道立公園にしてされて、観光客のためにケーブルカー、錦江クヌル橋などが設置されました。


仁川(南洞区) , 仁川市街地

ホテル・ザ・デザイナーズ仁川 (HOTEL THE DESIGNERS Incheon):魅力あふれる都会型デザインホテル     1. 概要 ホテル・ザ・デザイナーズ仁川 (HOTEL THE DESIGNERS Incheon) は、鮮やかなデザインコンセプトと多彩な付帯施設で注目を集める、仁川市に位置するスタイリッシュなホテルです。 既存のビジネスホテルとは一線を画し、それぞれの客室が全く異なるテーマや装飾を用いた“映える”空間を提供。さらに、キッズフレンドリーなラウンジや、音楽イベントが行われる屋上プールなど、多様なニーズに対応する柔軟なサービスが特徴となっています。 2. 個性派の客室 & お得な食事 * バリエーション豊かなデザインルーム 各部屋の内装テーマやカラーリングが異なるため、何度宿泊しても新鮮な驚きを得られるのが最大の魅力です。 シンプルモダン、カラフルポップ、ロマンティックシックなど、ゲストの好みに合ったテイストを選べる楽しみがあります。 * リーズナブルな朝食プロモーション 特定の期間やプランでは、ホテルオリジナルの朝食を5,000ウォン程度の特価で提供することも。韓国料理や洋食メニューがバランスよく組み合わされ、コストを抑えつつ一日を元気にスタート可能です。         3. 20階ラウンジ&キッズカフェと屋上プール * 20階ラウンジ・キッズカフェ ホテル最上階近くにあるラウンジスペースには、子ども向けの遊び場と軽食・飲み物が楽しめるスナックバーが一体となった設計。 親はコーヒーや軽食を楽しみながら、すぐ隣のキッズエリアで遊ぶ子どもを見守れるため、家族旅行に非常に便利です。 * 屋上スカイプール メインの屋上プールは夜になるとパーティー要素が強まり、音楽とライトアップが相まってフェスティバルのような雰囲気に。若い世代だけでなく、非日常感を求めるすべての旅行者に人気です。 シティビューを見下ろしながらのスイムやパーティーは、SNS映え・旅行の思い出づくりにもぴったり。 4. 24時間無人コンビニと多彩なサービス * 24時間無人コンビニ 深夜や早朝に急にお腹が空いた時でも、館内の無人コンビニでアルコールやスナック類などをいつでも購入可能。長時間の移動や夜遅いチェックインにも対応しやすく、宿泊客から好評を得ています。 * その他サービス例 フロントには英語や一部他言語対応スタッフがおり、周辺観光情報やタクシー・レストラン予約のサポートなどを行うことも多いです。 ビジネス目的の場合は、簡易的なビジネスサービスや会議室の有無も要確認。 5. アクセスと周辺観光 * 金浦空港&ソウル中心地へ好アクセス ホテルから金浦空港までは車・公共交通機関で短時間移動が可能。早朝フライトや深夜到着便でも、ストレスを最小限に抑えられます。 ソウルの主要観光スポット(明洞や弘大など)まで約30~60分ほどで行けるため、ショッピングや観光も自由に計画可能。 * 仁川地区の魅力 仁川は、チャイナタウンやウォルミドの海辺エリア、近未来的な松島など、多面的な観光資源を抱えている都市。大都市圏ならではのショッピングやグルメを楽しむと同時に、海辺でのんびりと過ごす体験も得られます。 6. ホテル・ザ・デザイナーズ仁川を選ぶ理由 * 映えるデザインと多彩な客室 一般的なチェーンホテルやビジネスホテルとは違い、部屋ごとにオリジナリティあふれるデザインが施されており、“宿泊そのものをエンターテインメントにしたい”方に最適。 * ファミリー・パーティーどちらも満足 子連れに嬉しいキッズカフェやキッズプールと、屋上プールでの音楽パーティーを同時に備えるユニークなスタイル。家族旅行から友達同士のグループ旅行まで幅広くカバー。 * 24時間買い物可能な無人コンビニ 夜遅い到着や早朝出発でも、館内でお菓子や飲み物、アルコールを手軽に購入できるため、時間を気にせず滞在を満喫可能。 * リーズナブルな朝食&好立地 プロモーション期間中なら、5,000ウォンほどでお得に朝食を楽しめるだけでなく、金浦空港・ソウル中心部へも短時間で移動できるロケーションが魅力。 7. 滞在をより楽しむコツ * イベントスケジュールの把握 音楽付きプールパーティーや子ども向けイベントなど、シーズンごとに開催される特別企画は公式SNSなどで告知される可能性が高い。日程が合えばより充実した体験が可能。 * 早めの予約・テーマルーム指定 お気に入りのテーマルームがある場合や、週末・連休の繁忙期に泊まりたい場合は、希望の部屋やプランが埋まる前に事前予約を行うのがおすすめ。 * 周辺観光の活用 空き時間に仁川近郊を巡ることで、海辺や歴史的エリア、ショッピングモールなどを楽しめる。スタッフに周辺のおすすめスポットを相談すると、旅程計画がよりスムーズ。 ホテル・ザ・デザイナーズ仁川 (HOTEL THE DESIGNERS Incheon) は、独創的なデザインルームから家族向け&パーティ向けのユニークな施設、そして24時間利用可能な無人コンビニまで、多彩な魅力を併せ持つ都市型ホテルです。金浦空港やソウルへの便利なアクセスを備えながら、ホテル内での滞在体験そのものをエンターテインメントとして楽しめる点が大きな特徴。 家族でのんびりキッズプールを楽しんだり、友達同士で音楽あふれるルーフトップパーティーに参加したり、訪れ方は自由自在。オリジナリティに溢れた滞在を求める方は、ぜひこのデザインホテルで特別な思い出を作ってみてはいかがでしょうか。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

熙政堂は正面11間、側面5間、単層八作瓦屋根の建物です。朝鮮時代後期に国王が日ごろから住んでいた場所です。昌徳宮の寝室である大造殿のすぐ前にあり、大造殿と同じ高さの基壇の上に建てられました。本来は昌徳宮の創建の時に建てられましたが1917年の火災で焼失してしまい、1920年に再建されて現在に至ります。度重なる消失と再建により建物の規模と用途は変わり続けました。正面9間、側面3間は居間となり、左右の韓国式の応接間と様式の応接間に分けられ、その周りに付け足された部屋は通路や小部屋として使用され、風呂や仕切り部屋などが造られました。熙政堂の内部の意匠は西欧的で室内の道具なども異国的、部屋の内外に取り付けられた電灯などは、大韓帝国の末期になってつけられたものでが、本来は宮殿の建物の規範によって建てられた建物です。    


忠清北道(丹陽郡 )

嶋潭三峰から上流に200mほど行くと左側の川辺に虹の形をした石柱が見えますが、それが石門です。石門は丹陽八景の第2景です。石門の左側に石窟があり、石窟の中には仙人が耕したといわれる美田があります。この美田の伝説は天からやってきてかんざしを失くしてしまった仙女がかんざしを探そうと土を手で掘ったものが99の農地になり、周辺の景色が天よりも美しいこの場所で生涯、農業を営みながら暮らしたとされ、広い農地を仙人たちが耕したことから「仙人美田」と呼ばれたと言われています。


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

1978年10月に開店して以来、2代にわたって同じ場所で営業を続けており、店の名前「含池博」は商標登録されています。ランチセットやコース料理は季節によってメニューが変わるため、お好みに合わせてさまざまな味を楽しむことができます。


ソウル(鍾路区) , 市庁・光化門

燃灯会はソウル600年の歴史とともにしてきた観灯ノリの伝統を生かし、1300余年前、新羅時代から始まり、高麗時代の燃燈会と 朝鮮時代の八観会を経て今日まで受け継がれている伝 統祝祭で、重要無形文化財第122号です。燃燈を灯して 自分の心を照らし、世の中を照らす燃燈会の祝祭! 世界各地で共に行われます。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

コリアナホテルの3階にある北京式を加味した独特な北京・四川料理を楽しめる大上海(デサンヘ)は、産地から直輸入したフカヒレ料理が特徴の中華料理レストランです。30年以上の経歴を持つコック長自慢のフカヒレ料理の他にも、保養式のプルドジャン(仏跳醤)と呼ばれる福建省のスープや、食べた人には福が訪れるというチョンガボク(アワビと帆立の炒め)料理が代表的です。また、鄧小平が長寿料理として日常食べていたとされる麻婆豆腐や担々麺があります。


京畿道(華城市) , 水原

  隆陵 隆陵は朝鮮第22代正祖の父である莊祖(1735-1762)とその妃、獻敬王后(1735-1815)洪氏の合葬陵です。莊祖は朝鮮21代英祖の2番目の息子であり、1736年(英祖12年)に皇太子となりました。さまざまな方面において皇太子としての優れた面貌を備えていましたが、1762年に父・英祖の命令で米びつの中に監禁され亡くなりました。莊祖の陵は元は京畿道楊州郡拜峰山にありましたが、彼の息子・正祖が即位すると華城の華山に移し顯隆園としました。後に莊祖として追尊され現在の位置に墓を移した後、陵号(墓の名前)を隆陵としました。獻敬王后は1744年に皇太子の妻となりました。夫が非業の死を遂げた後、還暦を迎えた1795年、甥・洪守栄の願いで莊祖の惨事を中心にした自伝的回顧録「閑中錄」を残しました。資料的価値の高い「閑中錄」は「仁顯王后伝」とともに宮中文学の双へきを成しています。京畿道華城市安寧洞にある隆陵は、皇太子の墓である本来の形式に木蓮と蓮の模様を刻んだ屛風石を設置し、上界空間と下界空間に分けて空間を王陵のように作りました。上界には陵、魂遊石(魂が出てきて遊ぶようにした石という意味で、王陵の封墳の前に置かれた四角形の石)、 望柱石(墓の前の両側に造られた一対の石柱)が配置されており、下界には文人石(長明燈の左右にある文官の形をした石)、石馬(石で造った馬)が配置されています。健陵健陵は正祖(在位:1776-1800, 1752-1800)と彼の妃の孝懿王后(1753-1821)金氏の墓です。 正祖の遺言に従い父の陵である隆陵から近い場所に安葬されました。莊祖と獻敬王后(惠慶宮 洪氏)の2番目の息子であり、1959年(英祖35年)、8歳で皇太子の長男となりました。党争の渦の中王位についた正祖は、在位24年の間蕩平策(党争の弊害をなくすために各党派で人材を登用した政策)を実施して国を治め、王室の図書館である奎章閣を設置し、学問の研究に大きな業績を残しました。彼の妃である孝懿王后は金時黙の娘で1762年、10歳で皇太子の長男の妻になりました。1776年に正祖が即位し王妃となりました。一生をつつましく暮らし、1821年(純祖21年)に昌慶宮慈慶殿にて69歳でなくなりました。健陵は合葬陵で隆陵の例に従いましたが、屛風石(封墳を保護するために 封墳の下の部分を囲んだ石)を巡らせた点を除けばほとんど隆陵の構成と似ています。 健陵や隆陵とともに同一史跡に指定されました  


慶尚南道(河東郡 )

聖徳王21年(722年)に義湘大師の弟子である三法が創建した双磎寺(サンゲサ)は、全羅南道求礼邑から21km地点の、慶尚南道河東郡花開面花開里から雲樹里までの6km桜の木が並んでいる智異山の南の麓にあります。初期の名前は玉泉寺でしたが、その後、文聖王2年(840年)に真鑑国師 が再建した後、887年定康王が、禅寺の徳を仰いで双磎寺と改称しました。 今の建物は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに消失したものを再建したものです。双磎寺の春の桜は特に有名で、渓谷の澄んだ水と奇岩、古木が優れた景勝を作り出しています。境内の見所としては崔致遠の親筆である双磎石文、真鑑禅師大空塔碑(国宝47号)を過ぎ、北側500mほど行くと国師庵の庭に天然の楡の木、また東側に2kmほど行くと青鶴峰と白鶴峰のふたつの渓谷を有する高さ60m幅3mのプリル瀑布(智異山10景のひとつ)などの名所があります。また、 双磎寺はお茶とゆかりの深い場所で、新羅・興徳王3年(828年)金大廉が唐の国に使臣として行って帰国した際、初めてお茶の種を持ち込み、王令で智異山の南側、双磎寺一帯に植え、最初の栽培地と言われています。そのため、お茶の栽培地記念碑(道記念物第61号)もあります。