ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

韓国文化芸術委員会が主催する「ARKO韓国創作音楽祭>洋楽部門です。この音楽祭は韓国の作曲家の創作力と開拓精神が反映された斬新な作品を発掘し、韓国の創作音楽の発展に貢献することを目的に開催される音楽祭です。この音楽祭で演奏された作品は現在国内を含むヨーロッパ各地で再演されるなど、その優れた点が広く認められています。10年後、100年後にも大衆に愛され続ける作品が生み出される場でもあります。(当公演は全席予約席で、music@arko.or.krまで氏名、連絡先、チケット数を送信し申請する必要があります。)


光州広域市(東区)

光州広域市東区山水洞の静かな住宅街にある韓屋ゲストハウスである。 客室はオンドル部屋で、4室ある。瑞石台とチュンモリ峠という客室は4人まで、長仏峠と立石台という客室は3人まで宿泊できる。宿泊料金は1人当たりの料金で、5歳未満は無料。客室内部にはトイレと冷蔵庫がある。無料で利用できる共用洗濯機は外部のトイレにある。朝食はホストが直接作るカボチャ粥が提供される。建物内に駐車空間はないが、近くの公営駐車場を利用することができる。伝統文化体験プログラムは、黄土天然染色、インジョルミ(キナコ餅)作り、押し花手鏡作り、団子作り、おこし作り、多肉鉢植え作り、燭台作り、団扇作りなどが運営されている。


慶尚北道(蔚珍郡 )

総延長472メートル聖留窟(ソンリュグル)は天然記念物第155号に指定された天然石灰岩の洞窟です。本来の名称は仙遊窟で、仙人が遊ぶほど美しいということからつきました。壬辰倭乱(1592-1598年まで2回にわたりおきた日本との戦争)の時に洞窟の前にあった聖留寺が焼失したのですが、このとき寺院内の仏像を洞窟の中に移しました。それ以後、仏様がいらっしゃるところして聖留窟と呼ばれるようになりました。洞窟の内部には12の広場のほか、5つの蓮の花をはじめとしたさまざまな鍾乳石と石筍があります。大きい広場は幅18メートル、長さ25メートル、高さ18メートルにもなります。温度は常に15-17度ほどに保たれています。


全羅北道(茂朱郡 )

テコンドー公園は、世界182カ国で6千万人の競技人口を誇るテコンドーの聖地として韓国を代表する文化観光資源となるべく全羅北道茂朱郡に造成されました。世界中のテコンドーに携わる人々の交流の場となると共に、テコンドー文化芸術産業のハブとして機能することをビジョンとして掲げています。伝統と現代の建築様式が調和を成しているテコンドー公園は、世界中のテコンドーに携わる人々の心のふるさととなるでしょう。* 規模総面積:2,314,060m²(70万坪)団地造成面積:1011574.8m²(30万6千坪)建築延べ面積:261158.2m²(7万9千坪)


忠清南道(泰安郡 )

忠清南道泰安郡にて、ユリをテーマに「泰安ユリ祭り(テアンペカプッコチュッチェ)」が開催されます。 さまざまなユリの花が華麗に花を咲かせて目を楽しませてくれるとともに、夜には光祭りやキャンプも楽しめます。


ソウル(鍾路区) , 市庁・光化門

国内外の約500人の作家が参加する「光化門国際アートフェスティバル」が光化門一帯で開催されます。フェスティバルの期間中、子ども絵画大会など多様な付帯イベントも一緒に行われます。関連情報はホームページをご参考ください。(http://www.giaf.co.kr)


忠清南道(青陽郡 )

忠清南道・青陽郡にある海抜561メートルの七甲山(チルカプサン)は、1973年に道立公園(トリプコンウォン)に指定された山。 忠清南道のアルプスと呼ばれるこの山は、高くはありませんが多彩な姿を見せる峰々や深い谷、鬱蒼と茂る森など、自然あふれる場所として地元の人々に愛されている山です。 春には朝鮮山ツツジや桜、夏には深く涼しい森、秋には赤く燃える紅葉、冬には雪景色と、1年を通してそれぞれの魅力があり、7コースある登山路から好みに合わせてハイキングを楽しむこともできます。


江原道(楊口郡)

楊口郡北東側約22kmの亥安面に位置した、海抜400~500mの高い地帯に発達した盆地です。 その周囲がまるでフルーツポンチ(Punch)の器(Bowl)の様だったため、このように呼ばれ始めました。 このような特殊な地形になった理由に関し隕石衝突説や差別侵食説がありました。 しかし隕石の破片などは発見されておらず、またパンチボールの花崗岩は長石71%、石英22%、雲母5.7%で構成され、長石は石英や雲母に比べてはるかに風化度が高く、常温でも急速に粘土化されるため、風化抵抗性が強い現在の高い地帯より低地帯が先に侵食されてこのような特異な盆地形態を作ったと考えられ、侵食説が有力だと言われています。 江原道楊口郡亥安面は韓国で唯一南北の統制域内にある居住地域で現在6つの集落に470世帯1,700人余りが居住しています。 大岩山をはじめとするこの一帯は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、パンチボール戦、兜率山戦、カチル峰戦があった激戦地で現在戦跡碑がいくつも立てられています。 また今でもあちこちに「地雷」という札があり、当時の状況を物語っています。 戦時中は激戦区だったパンチボールと大岩山も休戦後、民間の出入りが統制され自然環境がそのまま残り、天然記念物のオオイワナなどをはじめサギ草や毛氈苔(モウセンゴケ)など多くの貴重な動植物が生息しています。 海抜1,300mに残る韓国唯一の高層湿原である龍沼は数千年前の生態系を今も保ち、現在自然生態系保護のため天然記念物246号にも指定されています。 またこの地域は地帯が高い盆地形態をしているため、高品質の高冷地野菜やユリの花の生産地 としても有名です。 盆地の北西側には1990年3月に発見された第4トンネルが位置し、第1、2、3トンネルとは異なり電車に乗車し観覧することができます。 韓国の最前方カチル峰の尾根にある乙支展望台は金剛山や昆盧峰など内金剛の4つの峰を見ることができる保安教育の場として重要な役割を果たしています。 第4トンネルは個人での見学には事前の手続きが必要なエリアですが、シティツアーに参加すればガイドが手続きを代行してくれます。


京畿道(金浦市)

*金浦の地の果て、愛妓峰* 民間人統制区域にあり、韓国戦争(朝鮮戦争)当時、南北が激しい戦闘を行ったといわれる154高地です。出入規制があるため、入山には身分証が必要です。愛妓峰の頂上からは、北韓の村や松嶽山が一望できます。 *愛妓と国家分断の悲しみが根付く場所* 愛妓峰には、丙子胡乱の時に平壌監司とその愛妾である愛妓との悲しい恋物語が伝えられています。 愛妓峰という名前は、丙子胡乱で連れ去られた平壌監司を、山の頂上で偲び、絵を描きながら死んだ妓生愛妓の無念が渦巻いていることから名付けられました。そして、1968年に愛妓峰を訪れた故・朴正煕大統領が、愛妓の無念、そして家族や故郷を失い故郷に帰れない民の無念を想い、「愛妓峰」と書き残しました。そのためでしょうか、毎年秋夕の時になると、家族や故郷を置いてきた離郷の人々がここ望拝壇を訪れ、先祖を祭って統一を祈ります。 *漢江河口の歴史をひと目で* 民族の無念と統一祈願が宿る愛妓峰は、近年の漢江河口の歴史や文化の学習の場として脚光を浴びるようになりました。400kmを流れて西海(塩河[ヨムハ])に出会うという祖江(漢江の河口の名称)は、400kmを流れてきた漢江の水が淡水としての生を終え、老いたという意味と、おじいさんのように安らかな川を意味しています。実際、愛妓峰から眺める祖江は、とても安らかな姿を見せてくれています。また、北韓を流れる臨津江や遠く礼成江、川と海が一緒になった塩河江、まん中にぽつんと浮かぶ渡り鳥の生息地、留島まで、漢江河口の歴史と文化が詰まっており、祖江の満潮に合わせてソウルに上がる船の黄色い帆柱の姿が目に浮かぶようです。 金浦半島最北端、西部前線の首都圏郊外にあり、北韓を見渡すことができる所でもあります。毎年クリスマスになると、大型クリスマスツリーが、釈迦誕生日になると、大型の提灯などが飾られ、北韓まで明るい光を灯しています。今では展望台が建てられ、国民の安全保障教育の場として活用されるようになりました。故郷に帰れない人々のために、1993年には望拝壇が立てられました。海兵隊の闘魂が宿った戦跡地としても有名です。愛妓峰観光および見学の収益金は、在郷軍人会による報勲基金として全額活用されています。 *出入りの手続きについて 1)車のみ検問所の出入り可能(徒歩、自転車等は不可) 2)代表者1名が出入申告所で申込書1部を作成、身分証を持参して検問所確認後、出入り可 3)外国人訪問時(適性国家の国民は除外)パスポート持参 *観覧内容 1)望遠鏡および観覧鏡を利用して北韓の観光名所を観覧 2)金浦地区の海兵隊戦跡碑記念塔観覧 3)海兵隊関連VTR視聴(講堂-300席) 4)愛妓峰ブリーフィング実施(1~2日前に予約時可)


慶尚北道(奉化郡 )

清涼寺(チョンリャンサ)に向かう道は険しくお寺自体の美しさは特別にありません。しかし清涼山に行けばお釈迦様が羨ましく思えます。何故なら小さい寺から眺める清涼山の景色が素晴らしいという言葉で表現出来ないほどの絶景だからです。清涼寺は清涼山道立公園内の蓮花峰 の麓にあります。新羅(57 B.C.~A.D. 935)文武王(在位 661∼681)3年(663年)に元曉(617~686.3.30)が建てた寺です。現在はとても小さいお寺ですが本来はとても大きなお寺だったそうです。朝鮮時代(1392~1910) に全国の寺刹を統廃合した政策の影響で清涼寺 琉璃寶殿(地方有刑文化財 47号)と応眞殿だけが残っています。法堂には高麗恭愍王(在位 1351∼1374)が書いた扁額が保存されています。