忠清南道(舒川郡 )

文献書院は儒学者の 李穀(イ・ゴク)と李穡(イ・セク)の二人の徳を祀るために1594年に建てられました。 文禄・慶長の役の際に消失しましたが、1610年に再建され、翌年の1611年には 李鍾学(イ・ジョンハク)、李耔(イ・ジャ)、李塏(イ・ゲ)の3人も追加で祀られることとなりました。その後は先人の知恵を伝えながら地方教育の一翼を担ってきましたが1871年の書院撤廃令により廃止されました。そして1969年、地方の儒学者が復元し李種徳(イ・ジョンドク)が追加で祀られることになり、現在に至ります。書院内の建物には3間の祠堂、2階の楼閣からなる6間の講堂、4間の進修堂、3間の牧隱影堂、5間の斎室、3間の典祀庁、3間の守護舍、內三門、外三門などがあります。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

東十字閣(トンシプチャガク)は、景福宮(キョンボックン)の正門・光化門(クァンファムン)の右手(東側)へと続く石塀と、光化門の北東にある建春門(コンチュンムン)から続く石塀とがぶつかる、景福宮の南東の隅に建てられた望楼です。 基礎の石壇部分は朝鮮時代初期の遺構とみられますが、楼閣自体はは興宣大院君(フンソンテウォングン・在位=1864~1898年)の時代に建立されたものと推測されます。 東十字閣の規模は小さいながらも、調和の取れた芸術的な造形美を誇り、景福宮にある優れた建築物のひとつと言えます。 東十字閣の建物は、景福宮の東南の隅に建てられた望楼のような高台にある建物としての役割を果たしていましたが、景福宮の敷地を囲む塀が東十字閣周辺で無くなってしまったことから、現在では道端にぽつんと立ったような形になってしまいました。 十字閣の建物は元々、景福宮の正面の東西の両隅にそれぞれ東十字閣・西十字閣(ソシプチャガク)が建てられ王宮の内と外を監視できるようになっていましたが、西十字閣の方は取り壊され現在ではありません。 長大石を組んで作った石の基壇の上に建っている楼閣は、正面と側面がすべて3間の長さの正方形をした形となっています。 また、楼閣の骨格となる木材でできた軸部の構造は、柱と柱の間の下部にある貫木・下枋(ハバン)と、上部の柱貫・昌枋(チャンバン)のみで組み上げ、柱と柱の間には壁がなく柱むき出しの構造となっており、楼閣が建つ石壇上部の床面は土床となっています。


忠清南道(瑞山市 )

八峰山(361.5m)は山の形成が屏風のように広がっていて、9つの村を囲っています。山の名称は8つの峰が並んでいることに由来しています。8つの峰のうち、一番高いのは3つの峰で高さ362mです。空気がきれいで景色もよく、3時間程度の登山コースがおすすめです。


慶尚南道(昌原市 )

慶尚南道昌原市義昌区にある「慶南道立美術館」は、2004年6月23日にオープンしました。地上4階、地下1階からなる建物で、展示コーナーや学術的研究施設、教育施設などが完備されています。


江原道(三陟市)

高さ1,353mの頭陀山(トゥタサン)は、太白山脈の主峰をなしており、美しい山勢とその山の中には文化遺産および希少動植物が散在しており、毎年多くの登山客が訪れます。頭陀山は、風の山と呼ばれるほど、風が強く吹く山で、山の名前である頭陀とは仏教用語で、俗世間の煩悩を捨てて仏道に入り修行をすることを意味します。


全羅南道(麗水市 )

姑蘇洞(コソドン)壁画村は麗水(ヨス)で最も古い集落で、丘の上にあることから、麗水の海原や突山(トルサン)大橋、コブクソン(亀甲船)大橋が一望できます。 壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の時には忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍が作戦を立て命令を下した歴史的な場所としても有名です。 2012年麗水エキスポ開催を契機に、麗水市と姑蘇洞の地元住民が協力し合い、町の塀一面にたくさんの壁画を描き、地理的条件も活かし、観光スポットとして一躍脚光を浴びました。 鎮南館(チンナムクァン)から姑蘇洞の丘を歩いて麗水海洋公園に至るまでの道の総延長が1004mで、この「1004」が韓国語で「チョンサ」と読み、「天使(チョンサ)」と同音であることから、天使壁画通りとも言われています。 通りは7つの区間に分かれ、各アリアの塀には麗水エキスポのテーマである「海洋」にまつわる壁画をはじめ、麗水地域の歴史や文化、景色、そして李舜臣将軍や水軍をテーマにした壁画が描かれています。 展望休憩所もあり、しばし足を止めて一休みするのもおすすめです。 壁画村内にある忠武公大捷碑閣もここに来たら見ておきたい史跡です。ここには李舜臣将軍の戦跡を称えた左水営大捷碑(麗水統制李公水軍大捷碑・宝物第571号)や李舜臣将軍の貢献を追慕する堕涙碑(宝物第1288号)があります。 壁画通りが終わるところには麗水海洋公園があります。ここは麗水市民が週末の散策の場所として有名で、特に夜景が美しいことで有名です。


江原道(鉄原郡)

統一新羅時代の景文王(キョンムンワン)5(865)年、高麗末の僧・道詵(トソン)国師は高さ91cmの鉄造毘盧舎利仏坐像を鋳造・奉安するため、江原道(カンウォンド)鉄原邑(チョロンウプ)栗梨里(ユルリリ)里にある安養寺(アンヤンサ)に他の僧侶とともに赴きました。 その道すがら、しばらく休息をとっていると、持ってきたはずのこの仏像が突然姿を消してしまいました。あわてて僧侶らはあたり一帯を探すと、現在この仏像が安置されている到彼岸寺(トピアンサ)の場所に安座している状態で見つかります。 道詵国師は何かの思し召しとこの仏像が見つかった場所に小さな庵を建て、この仏像を祀り、それが現在の到彼岸寺になったと言われています。このような逸話から鉄造仏像が永遠の安息の場である彼岸に到達したとして、寺の名前を到彼岸寺と命名したといいます。 現在でも境内には道詵国師が作った国宝第63号の鉄造毘盧舎利仏坐像や宝物第223号に指定されている高さ4.1mの花崗岩からできた三層石塔が残されています。 以前までは民間人統制区域で民間人の出入りが制限されていましたが、現在ではどなたでも自由に行き来できるようになりました。 * 主な文化財 1) 到彼岸寺三層石塔(宝物第223号) 2) 到彼岸寺鉄造毘盧舎利仏坐像(国宝第63号) 3) 孤石亭及び蓴潭(記念物第8号)4) 鉄原天通里渡り鳥渡来地(天然記念物第245号)


慶尚南道(南海郡 )

南海・派独展示館は派独=当時の西ドイツに派遣された韓国人労働者=をテーマに建設された唯一の展示館で2014年6月28日に開館しました。 1960年代一人当たりの国民所得が76ドルと世界最貧国だった韓国は失業率は30%に達する状況でした。このような経済状況下で貧困を克服する一環で、西ドイツ(当時)に鉱夫や看護士として多くの韓国人を派遣されました。慣れない異国の土地で故国の家族のため流したドイツに派遣された人々の汗と涙を垣間見ることが出来る展示館です。 [展示室案内] ・タイムトンネル:最近の経済の様子から始まり、時間を遡り1960年代の歴史的瞬間に遭遇 ・憲政の壁:派独前後の記録写真を通じて鉱夫や看護士らの足跡を振り返る ・炭鉱:派独鉱夫らが「Glück auf(「幸運を祈る」という意味のドイツ語)」と叫び入坑していった炭鉱の様子と採炭の音を再現 ・鉱夫らの若き日:派独鉱夫らの暮らしの痕跡(鉱山遺物の大部分は在韓ドイツ大使館がドイツ現地から収集・寄贈) ・韓国のナイチンゲールの暮らし:派独看護士らの病院での様子やドイツで送った生活の痕跡を紹介 ・美しい若き日、懐かしい終着駅:故国を懐かしみ暮らした若き日の様子と南海ドイツ村での生活を紹介 ・いま、ドイツ村:ドイツ村の風景と祭りの光景の写真、派独鉱夫と看護士らの語録紹介 ・ビデオ「ドイツへ向かう若人たち」:派独の時代的背景やドイツ村ができた過程を紹介/映像時間9分30秒


慶尚南道(南海郡 )

三東面、昌善面にある只族村の間を流れる只族海峡では原始漁業竹防簾が行われています。只族海峡に、V字型に竹でできた定置網である竹防簾は長さ10mほどの竹300本ほどを流れが速くて水深が浅い場所に水の流れとは逆方向になるように設置する原始漁場です。只族海峡は水が澄んでいて流れが速いためこの場所で生産される水産物は淡白で歯ごたえも良くておいしいです。水が流れる時にを見て、1日に2回、魚を引き上げる姿を見ると自然産の刺身が食べたくなるでしょう。特にカタクチイワシやワカメは只族海峡の最高の特産物です。


蔚山広域市(中区)

語連堂 蔚山広域市中区庁自ら建て運営する韓屋 蔚山広域市中区にある新築の韓屋で、2014年5月に完工し、同年8月より宿泊施設としてオープンした語連堂(オリョンダン)。 韓屋への関心と数多くの人々が身近にそして気軽に伝統を体験できるよう蔚山広域市中区庁(区役所)が自ら企画・建築しました。 語連堂という韓屋の名前は蔚山広域市を流れる東川(トンチョン)の昔の名前である語連川(オリョンチョン)に由来し、「美しい言葉が流れる家」という意味を持っています。 語連堂の建物は2階建てで、階段や欄干、外側の柱などはは花崗岩を用い、それゆえ頑丈で雄大な印象を人々に与えます。 語連堂のすぐそばには石橋や草花、木々が趣ある風景を織りなすサンジョンセム(山田の泉)があります。サンジョンセムはおよそ400年前に自然の水が湧きあがっていた泉で人々の飲み水として広く用いられていましたが次第に水が湧き上がらなくなり干上がってしまいました。今日にその名残を伝えるべくその泉があった場所に庭園を造成しました。庭園は語連堂の外観とあいまり大変すばらしい景観です。 松材と伝統工法の床、そして韓紙が今に伝える自然の趣 語連堂にはすべてで7つの客室があります。流し台がないおよそ26平米(8坪)の客室が3つ、そして板の間と部屋1つからなるおよそ40平米(12坪)の客室が1つあります。 大きな40平米の客室は語連斎(オリョンジェ)という名前が付けられ、家族連れの方におすすめのお部屋です。 この語連斎を除く他の6つの客室にはそれぞれ吏、戸、礼、兵、刑、工と朝鮮時代の行政機関である吏・戸・礼・兵・刑・工の六部の名称がつけられています。 各客室とも4人から6人が泊まれる大きさで、客室にはトイレ、テレビ、エアコン、冷蔵庫などが完備しています。wifiも利用可能で、全体的にシンプルで清潔感ある客室となっています。 建物の周囲には松の木や竹林が生い茂り大変風情があり、また建物のあちらこちらに掲げられている扁額が気品を醸し出しています。 韓屋の1階は井桁状に組んだ格(ごう)天井で、2階は垂木が露出した形の天井となっています。 木材はすべて松材を使い、各部屋のオンドルの床はふやかした大豆を挽きエゴマ油などを混ぜ塗った油紙をオンドル部屋の床に用いる伝統的な工法で作られています。また壁紙も韓紙を貼り、韓屋の趣と自然さを細やかに生かしています。 木々が蔽う閑静な街の中の別世界 語連堂のすぐ目の前には道路が通る街の中にありますが、韓屋を包み込むように木々が鬱蒼と茂り閑静な場所となっています。そのおかげで街の中にあるにもかかわらず、喧騒から離れた憩いのひとときを過ごすことができます。 また、道を渡って東川の流れに沿って歩くと、史蹟第320号に指定されている城郭・兵営城(ピョンヨンソン)へ向う散策路があり散策するのにもってこいの場所です。1417年に築造された兵営城は朝鮮時代に各道の陸軍を指揮する責務を担った従2品武官職であった兵馬節度使が常駐していたところで、周囲およそ1.2km、高さ役3.7mの楕円形の形をした城郭です。 また、周囲にハングル博物館であるウェソル記念館や真夏の暑さを凌げる東川水遊び場もあります。韓屋の中ではユンノリ、投矢、羽根を足で蹴るチェギチャギなど民俗遊び体験もできます。 語連堂では随時ご利用頂いた方へのアンケート調査を行い、語連堂の隅々に至るまで改善を行い、よりよい施設作りを行っています。