京畿道(高陽市)

注葉(チュヨプ)子ども図書館は地上3階、地下1階の延床面積2,049平方メートルの規模を誇る子ども専用の図書館です。10万冊を超える蔵書を持つ子ども図書資料室、コンピュータ利用が可能なマルチ動画部屋、公演やイベントも実施できる調和の場などがあります。 世界各国の文化に重きをおきコンセプト化した図書館で世界各国のさまざまな生活文化イメージを表現した外国の童話や韓国の昔の情緒を感じることができるお話の部屋、マルチ動画部屋、光の絵動画部屋(DVD等視聴覚室)など子どもたちが未来へのビジョンを抱けるような各種施設を完備しています。 韓国の朝鮮時代の学問を学ぶ私塾的存在の屏山書院(ピョンサンソウォン)にあった休息や講学の場として使われた晩対楼(マンデル)をモチーフにした空間もあり、裸足で歩く韓屋の構造に似ているという点で建築的意味ももっています。 広い窓と楽しい複層式構造の建物、かわいい宮廷のような建築物が自慢の綺麗な図書館で、本をテーマにした遊び場的な役割が子供たちに幸福感を与えている、そんな図書館です。 ※開館日2007年6月28日


忠清南道(論山市 )

国家民俗文化財第273号である論山(ノンサン) 白日軒(ペギロン/ペギルホン/ペクイルホン)宗宅は朝鮮時代の武人・李森(イ・サム)将軍の古宅です。 この韓屋は英祖3(1727)李麟佐の乱を平定した功績で英祖から下賜されたものです。韓屋の名称となっている白日軒は英祖が李森将軍に授けた諡号です。論山白日軒宗宅は門柱が高い大門の脇に門間(ムンガン)チェがあり、「コ」の字型の母屋と直角に「フ」の字型に曲がった形の舎廊チェが繋がり全体的に見ると中庭を囲み「口」の字型となっています。論山白日軒宗宅で宿泊体験可能な空間は大門脇の門間チェと高殿の板の間がある手前側の舎廊房、そして広々とした縁側がある奥側の舎廊房と居間として使っていた部屋の向い側にある部屋です。板の間と繋がったこの向い側の部屋は代々この家の長男とその妻が生活してきたところで、縁側の前に土塀で囲ったこじんまりした中庭が印象的です。論山白日軒宗宅は国家民俗文化財に指定された古宅のため全客室火気厳禁となっており炊事は出来ません。トイレとシャワー室は裏庭に別途あります。無料で提供される宗家のお嫁さんによる素晴らしい朝食も論山白日軒の自慢です。


慶尚北道(高霊郡 )

ケシル村営農法人・徳洞宅(トクトンテク)は、芝の庭や気品ある韓屋が調和をなし、風情ある雰囲気を醸し出す韓屋宿泊施設です。 敷地入口にある大きな木造の大門を開き、敷地へ足を踏み入れると、青々とした芝生が広がり、その後ろには「一」の字型をした韓屋が建っています。客室は全2室で、梅室は2名様から3名様、竹室は3名様から5名様までお泊りいただけます。淡いトーンの韓紙の壁紙で仕上げた客室にはテレビや冷蔵庫、エアコン、インターネット、洗面用具などを完備し、くつろいでお泊りいただけます。 竹室には炊事用品も用意しており、料理も可能で、広々とした中庭ではバーベキューもお楽しみいただけます。 徳洞宅があるケシル村は朝鮮時代前期の文臣であり学者であった金宗直(キム・ジョンジク)先生の子孫が集まり形成した善山金氏(ソンサン・キムシ)の集姓村です。村内には民俗資料62号に指定され朝鮮時代に起きた士林の四大惨禍のひとつで戌午士禍(1498年)のとき災いを被った金宗直先生の宗宅(本家)や文化財資料第111号の道淵斎(トヨンジェ)などがあります。 近隣には大伽倻博物館にある金宗直先生記念室には有形文化財第209号の佔畢斎文籍遺品が展示されています。花が咲く美しい谷ということで開花室とも呼ばれるこの地ですが、その背後に花が満開となる花開山(ファゲサン)や350年前からあるという竹林、そして蝶が羽を休める形に似ていることから名付けられた蝶舞峰(チョンムボン)などが村の周囲を温かく包み込んでいます。村の八割以上の人々が伝統韓屋を保存・維持しており、韓屋の瓦屋根の曲線は村の暖かな風情と調和しています。 この村は2001年に行われた美しい村作り事業や2005年農村体験村造成事業を通じて、現在の姿に生まれ変わりました。事業では村に元々からあった古い家屋を補修・新たに建築したり、土で固めた石塀や散策路の造成、そして細部にいたるまで造景し、より風情ある村づくりに努めました。他にも住民や訪問される方々が便利に楽しめるよう村の休憩所や体験館、インターネットカフェなども開設しました。ケシル村は住民みながともに力を出し合い、村を活気づける代表的な例としてその成果を認められ、2011年には大韓民国農漁村マウル大賞において大統領表彰を受けたこともあります。 2003年には農協ファームステイ村としても指定され、自然と伝統を生かした様々な体験プログラムも実施しています。サツマイモ掘り、田植えなどができる「農業体験」、礼節教育と伝統茶の試飲を行う「伝統教育体験」、凧や藁工芸などにチャレンジできる「ものづくり体験」、飴や油菓などを作る「伝統飲食体験」、ブランコや板跳びなど村の広場で楽しむ「伝統遊び体験」、ドジョウ掬いや氷上そりが楽しめる「自然体験」などがあります。 このように季節ごとに自然の美しさやさまざまな伝統を活かし盛りだくさんの体験プログラムを実施しているケシル村は代表的なファームステイ村としての地位を確立し、毎年5、6万人の観光客が訪れる名所となりました。 伝統韓屋体験や様々な楽しみがあるケシル村で古きよき田舎の情緒を体験してみるのはいかがでしょうか。


江原道(鉄原郡)

鉄原第一教会(チョロン・チェイル・キョフェ)の礼拝堂は1936年起工、1937年完工した石造建物でした。建坪194坪で1階に小礼拝室が1部屋と10つの分班勉強室があり、2階には大礼拝室がありました。 当時の信者数がおよそ500人に達するほどで鉄原地域の代表的な教会でした。建物は建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズによる設計の火山石と花崗石を積み重ね造った石造建造物でした。 労働党舎からさほど遠くない道路沿いの丘の上にある鉄原第一教会は大部分が韓国戦争(1950-1953)のときに破壊され、現在は痕跡のみ残っている状態です。火山石やセメントを利用した厚い壁材が残っており構造の一端をうかがえます。韓国戦争中は基督教反共青年の活動場所で、また1919年に起きた3.1独立運動の歴史も残る場所です。 2002年5月31日大韓民国登録文化財第23号「鉄原監理教会」として指定されましたが、2015年4月27日「旧鉄原第一教会」に文化財名称が変更されました。 ・敷地面積:1,812坪 ・建築面積:108坪 ・延面積:340坪 ・階数:地上3階地下1階 ・建物高:16.15m


慶尚北道(浦項市 )

およそ100年もの間、鉄道が走っていた慶尚北道(キョンサンプクド)浦項市(ポハンシ)南区(ナムグ)の孝子(ヒョジャ)駅と旧・浦項駅間の4.3kmの区間。2015年、浦項駅はKTX(高速鉄道)開通に合わせて新たにつくられた新・浦項駅に移転、旧・浦項駅と孝子駅間は新線切り替えにより廃線となりました。 廃線となった線路は住宅街を突っ切る形で敷かれていましたが、廃線後、都会の中の森がある公園として再生、線路の森として生まれ変わりました。 線路の森にはウォールファウンテン、音楽噴水、スチールアート作品などさまざまな造景施設が設けされ、訪れる人々の視線を集めているとともに、未来志向型の都市再生及びエコ生態都市造成のモデルケースとしても注目を集めています。 また、火の庭園は、線路の森の造成工事中に井戸掘削をしていたところ地下200mから天然ガスが噴出したことから、これに火をつけ他にはないユニークな公園として、この火の庭園を造成することとなりました。当初はすぐに消えてしまうものと思われましたが、炎は消えることなく燃え続け現在に至っています。


済州道(済州市 )

ベニキアホームザ済州リゾートは済州の有名な海水浴場である挟才海水浴場の近くに位置しており、17坪型の客室が63室、34坪型の客室が9室あります。リゾート内には大講堂、大宴会場、食堂、売店、バーベキュー場、プールなどの施設があります。 ※地域間の公共交通機関:済州市外バスターミナル702番バス


慶尚北道(慶州市 )

g1169ペンションは慶尚北道慶州市(キョンジュシ)内南面(ネナムミョン)上辛里(サンシンリ)にあります。 ペンションのオーナーは陶磁器工芸作家として活躍し、ペンション団地の丘の上にある小さな工房・この地の旧名クトランから名付けた「クトラン窯」では体験プログラムを実施しています。 オーナーが陶磁器を形づくるように一生懸命土壁から造り上げた韓屋が5棟あり、その一つ一つに海、松、クトラン、白蓮、茶碗といった名前をつけ、それぞれ名前に合った造りとなっています。それぞれの韓屋の土壁にはオーナーの手により陶磁器と瓦を利用し韓屋の建物の名前に由来したオブジェが壁に作られています。 ペンション前には小さな蓮池があり、開花の時期に合えば華麗な蓮の花が咲く風景を眺めることができます。ペンション団地から陶磁器工房へ向う道は散策路として整備してあります。小さな池の上には陶磁の作品が浮いていたり、木の幹の上に壷が何気なく置かれていたりもします。


慶尚北道(青松郡 )

青松の代表的な食べ物の一つが、この「タルギ薬水タクペクスク」です。鉄分の含量が多いタルギの薬水で長時間茹でた地鶏(タクペクスク)は、胃に良いだけではなく、味も一品です。脂肪成分を分解すると言われているタルギの薬水のおかげで、肉も薄茶色のスープも淡白で香ばしいのが特徴です。周王山への登山客が「タルギ薬水タクペクスク」に来ては「花より団子」ならぬ「周王山よりタクペクスク」と言うのも分かります。


全羅南道(木浦市 )

韓国で最初の文学記念館「木浦文学館(旧朴花城文学記念館) 木浦は聞香と芸香の都市です。木浦出身であるか、ここを第2の故郷とする文人達からは韓国文壇の最初の本格的な女流小説家である朴花城、劇作家である金祐鎮、車凡錫、評論家の金炫、小説家の千勝世など数え切れないほど多いです。美しい自然景観と一緒に単一歳としては一番多くの芸術院会員を輩出して芸香都市、木浦市が作家金祐鎮、女流小説家朴花城、作家車凡錫の業績と文学を小さな空間の中に表現した「木浦文学館」が2007年10月9日に開館しました。1階には50年間、伝統的な事実主義に入閣した文芸作品を発表した代表的な劇作家であり、演出家としても活動していた車凡錫館と国際ペンクラブ(作家クラブ)韓国本部の中央委員と女流文人会長を歴任した韓国最初の女流作家である朴花城館、そして文学体験館、企画展示室、休憩室があります。2階には韓国の演劇人と呼ばれ、新劇発展に寄与し約40編の詩と喜劇を残した金祐鎮館をはじめ、創作教育室、学芸研究室などが完備されています。


江原道(鉄原郡)

鉄原(チョロン)駅は1912年10月21日に開業したソウルと元山(ウォンサン)を結ぶ鉄道・京元線の主要駅で、金剛山(クムガンサン)電気鉄道の始発駅でもあった駅です。 駅が旧・鉄原市街地にあったため、日帝強占期(1910~1945年)には同じ江原道(カンウォンド)にある春川(チュンチョン)に匹敵するほど人の往来が多く活気に満ちていたといいます。 またこの鉄原駅から韓半島の景勝地・金剛山に向かう金剛山電気鉄道が走っていたこともあり、通常の鉄道施設のほかにも金剛山電気鉄道の操車場、事務室、電気施設、旅館などが軒を連ね、当時はソウル駅と比較されるほどの大きな駅で、京元線沿線でも有数の駅に数えられていました。 残っている記録によれば、1928年には駅舎が新築され、1934年6月9日には駅構内の跨線橋やプラットホームの屋根も新設されました。 京元線は韓日強制併合(1910年)以降、日帝による住民の強制動員やロシアで起きた十月革命により追放されたロシア人らを雇用し敷設され、1914年9月16日には元山で京元線全線開通式が行われました。 京元線の総延長223.7kmのうち、鉄原駅からソウルの龍山(ヨンサン)駅までは98.1kmあり列車で約2時間、鉄原から元山までは125.6km、約3時間かかりました。鉄原駅から内金剛(ネクムガン)まで運転していた金剛山電気鉄道は、全線で116.6kmあり、終点・内金剛駅まで4時間半かかりました。 江原道(カンウォンド)鉄原郡鉄原邑外村里(ウェチョルリ)の鉄原平野の真ん中に位置する鉄原駅の敷地はおよそ5万坪にも及び、1930年ごろには駅長を含めておよそ80人の駅員が勤務していたといいます。 1950年に勃発した6.25戦争(韓国戦争・1950~1953年・休戦)中には、プラットホームが被害を受けたほか、給水塔が破壊され、レールも大部分がその痕跡だけを残し無くなってしまい、廃駅となってしまいました。 廃駅後は放置状態となっていましたが、駅構内の土地は、駅の復旧に備え、保全管理地域に指定されました。 2006年5月3日には駅構内に統一念願の枕木というモニュメントが建てられました。