京畿道(驪州市)

京畿道驪州郡にある世宗大王陵(セジョンデウァンヌン)は朝鮮時代(1392-1910)の第4代世宗大王(1418-50)とその妻の昭憲王后の合葬陵です。世宗大王はハングルを創ったり、測雨器や日時計のような科学器具を発明するなどの歴史的業績を残した王です。陵の周囲には石の欄干がめぐらしてあり、また長明燈をはじめ石で作られた虎や羊、馬などが配置され陵を守っています。陵域の中には陵のほかに世宗大王に関係したさまざまな遺物と資料が展示されている世宗殿、世宗大王像、丁字閣(祭祀を執り行う場所)などがあり、陵の入り口(左側)には自撃漏(水時計)、観天台、測雨器などの化学器具が復元されています。


江原道(鉄原郡)

江原道鉄原(チョルウォン)邑にあるこの労動党舎(ノドンダンサ)は1946年に完工された3階建ての建物で、韓国戦争が起きる前まで北韓の労働党舎として利用された場所です。現在この建物は、韓国戦争の時に受けた被害で建物全体が黒くなり砲弾の痕が残っています。こういった姿が訪れる人々に戦争の傷跡と韓半島(朝鮮半島)の分断の現実を思い起こさせる、平和のモニュメント的な意味を持つ場所となっています。現在ここは鉄原郡がDMZ(非武装地帯)観光コースの中のひとつとしてみることができ、毎年数十万人の観光客が訪れています。2001年2月に近代文化遺産に登録され、政府の支援を受けて保護されています。


慶尚南道(統営市 )

慶尚南道統営の洗兵館はイ・ギョンジュン第6代統制使(水軍を総指揮する朝鮮時代の官職)により1605年に建てられた統制営(李舜臣が閑山島に設置した軍営)の客舎です。洗兵館は景福宮の慶会楼や麗水の鎮南館とともに現存する最も広い面積をもつ朝鮮時代の建物として知られています。正面9間・側面5間の一階の合掌造りからなる美しく雄壮な建物で、長台石に基壇に50の柱があり柱と柱の間は全て開放されています。ヨファン山の麓にある洗兵館は、統営の見下ろせるこぢんまりした景観が素敵な場所でもあります。すぐ横には運寿堂など統制営の遺跡も残っています。ここで洗兵は、兵器を磨くという意味で戦争を終えるという意味を含んでいます。


慶尚北道(慶州市 )

慶州南山の麓にある慶尚北道山林環境研究院では郷土の珍しい樹木や天然記念物、野花が美しい景観をつくり、道民の憩いの空間、自然学習の名所となっています。


京畿道(水原市) , 水原

水原駅は1905年1月1日一般汽車駅として開通し、1975年12月31日に鉄道駅舎に竣工されました。1996年1月1日水仁線の営業を中止し狭軌駅舎を閉鎖、2003年2月新たに民間資本の駅舎を竣工しました。現在水原駅にはソウルメトロ1号線と京釜線セマウル号、ムグンファ号、そして2010年11月1日から京釜線路で大田まで運行するKTXが停車しています。


ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

豚の背骨と各種野菜を辛く煮込んだスープです。おすすめはカムジャタンです。ソウル特別市のヨンドゥンポ区に位置した韓食専門店です。 管理者 ディディムセンゴギ村カムジャタン( 디딤생고기촌감자탕 ) TEL +82-2-6268-9000 休業日 毎週 土曜日, 日曜日 営業時間 11:00-23:00 メニュー 価格は事前の予告なく変更になる場合があります カムジャタン 駐車施設 可能 クレジットカード決済 可能 予約案内 可能 禁煙 / 喫煙 全席禁煙


忠清南道(錦山郡 )

錦山は1,500年の栽培の歴史を誇る高麗人蔘の栽培の歴史を誇る高麗人蔘の宗主地で、全国人蔘の総生産量の80%以上が直産取引で流通する中心地です。高麗(錦山)人蔘の優秀性を国内外に広く知らせようと人蔘栽培、農機具、形、効能、料理、種類、作品種類などを展示し、各種映像施設を設置し、人蔘に関わるすべての情報を簡単にわかるようにした高麗人蔘総合展示館を建立し、1998年4月から開館、運営しています。


済州道(済州市 ) , 구 제주

高内浦口を出発し、海岸に沿って旧厳里(クオムニ)まで続きます。一部の海岸道は細い散歩道で、一部は海沿いの道、一部は海岸道路に沿って行きます。広い塩ビルレ(平たくて広い岩を称する済州語)が広がる旧厳浦口(クオムポグ)を過ぎると、道は内陸へと向かいます。やや高くそびえ立っている水山峰(スサンボン)に向かって、村と畑の道を通り過ぎて行き、水山峰(スサンボン)のふもとを回ると、大きな黒松がある水山(スサン)の広い貯水池に出ます。貯水池の堤防を歩いて村を通り抜けると、背の高い木々が並ぶ昔の土城、ハンパドゥリに辿りつきます。城を通り抜けると、美しい森の道や渓谷の道が迎えてくれ、森を抜けるとゴールの光令(クァンリョン)です。


江原道(東海市)

望祥海水浴場(マンサン・ヘスヨクチャン)は美しい砂浜と充実した施設で家族の行楽に人気のビーチ。この周辺には他にも玉渓(オッケ)、鏡浦(キョンポ)海水浴場などがあり、望祥と共に東海岸を代表する海水浴場となっています。特にこの望祥海水浴場は1.4kmの白い砂浜や鬱蒼と茂る松林、浅い海水をはじめ便宜施設も充実しており一年を通じて観光客が絶えません。またワタリガニ、さざえ、ナマコ、ホヤ、ヒラメなど、豊富な海産物も特産物として有名です。


全羅北道(長水郡 )

義岩祠は、朱論介の忠節を称え1846年に論介生長郷竪名碑が立てられた後、1955年に長水郡民たちの寄付により祠堂が建立され、1974年に現在の位置に移されました。境内には「直石義妓論介生長郷竪名碑」があり、「義岩祠」と書かれた板が掛けられている祠堂には、論介の姿が描かれた掛け軸があります。また、記念館には論介の遺品や論介の夫である崔慶会将軍の遺品が展示されています。 1953年、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。この時、論介は19歳でした。論介を追慕するために1955年に長水に祠堂が建立され、「義岩祠」と名づけられ、論介の姿が描かれた掛け軸が安置されています。毎年旧暦9月3日に開かれる朱論介祭では様々な文化行事が催されます。