ソウル(瑞草区)

"清渓山コンドゥレ屋は2004年にオープンし、清渓山入口の欅のある場所にしかありません。 類似商号にご注意ください。コンドゥレ屋はチェーン店がありません。"  


江原道(高城郡)

1958年、筋肉学を専攻したピエール・ダルファンにより考案されたフダルファンタッチを使用した顔面非対称トリートメントと、最上のエッセンスとコスメティックテクノロジーなど、東西洋の様々なプログラムを体験できます。また、テラピスト全員が関連学科出身で、肌の美容に関する国家資格所持者です。 


忠清北道(報恩郡 )

報恩は、隣接している槐山エリアと同じく山地が多いエリアです。三国時代の角逐の場だった忠清北道には、比較的山城が多く、その中でも韓国で一番立派な山城と言われているのが、この三年山城です。三年山城は、新羅慈悲麻立干13年(470)に建て始め、わずか3年で城を完成したことからその名がついたと言われています。その後、 炤知麻立干8年(486)にシルチュク将軍が、3千人を動員して改築したという記録が残っています。新羅が、西北地方で勢力を拡大するのに一番重要な前哨基地だったと考えられており、三国統一戦争の際、太宗武烈王(654~661、在位)が、唐の国使臣王文度をここで迎えたと言います。高麗太祖王建(918~943,在位)が、この城を占領しようとして大敗した場所です。韓国の一番代表的な石垣山城として評価されており、城の周りの長さは、約1.7㎞で、城壁の高さは13m、幅は8~10mです。この城には、西門•北門•東門跡があり、城壁のところどころには、曲城があり韓国の古代建築城法研究において非常に重要視されています。城内には、アマジと言う巨大な池があり、この周辺の岩壁には、玉筆、有似岩、アマジなどの字が刻まれていますが、金生の筆記体だと考えられています。


京畿道(安養市)

サムウォンプラザホテル安養市内のショッピングメイン・ストリートのメッカにある新しいスタイルの一級ホテルで、ビジネスのための 最適の宿泊施設です。


ソウル(鍾路区)

ソウル特別市鍾路区にある北村韓屋村は、朝鮮時代から当時の支配階層であった両班(ヤンバン)が居住していた地域として有名です。 それから多くの月日が経過し、2014年北村韓屋村に昔の両班の家を思わせる高級感あふれる韓屋が誕生しました。それがブティック韓屋ホテルを志向する清縁斎(チョンヨンジェ)です。 「清く美しく、そしてこの上なく大切な良縁」という意味の清縁斎は、1935年に建てられた韓屋です。 およそ1年間時間を掛けて補修し、2014年オープンに至りました。 補修工事は既存の韓屋の構造をそのままに、韓国固有の松である陸松(ユクソン)の木材を使い補修、中庭にはオンドルに使っていた石をはめ込み一味違った雰囲気を醸しだしています。 北村韓屋村観光案内所の近くにある清縁斎は、近くの道を通り過ぎる人々が必ず目をやるほど素晴らしい外観を誇ります。瓦を使った石塀や大きな大門、石塀越しに見える目新しい光沢を帯びた韓屋、そのいずれも大変素晴らしく人々の視線を釘付けにします。 大門から中に入ると期待通りの高級感あふれる韓屋の姿が現れます。清縁斎の客室の名前は「タオン(다온)」「トレ(도래)」「チニ(지니)」「シネ(시내)」「トラン(도란)」といった漢字語でない純粋なハングル由来の名前が付けられています。 「すべてよいことが来る」という意味の「タオン」は別棟となっており、部屋が2つと浴室、小さな中庭からなります。 「タオン」へ入る扉の横を過ぎて敷地の奥へ入っていくと、小さな木がある美しい中庭が中央にあり、その周囲を囲むように明るい茶色い木材で建てられた韓屋があります。この韓屋の建物にに4つの部屋と居間があります。「末永く健康に暮らせるように」という意味をもつ「トレ」と名付けられた部屋は、清縁斎のメインの奥の間というべき部屋で、大きな窓から中庭の全景を見ることができる部屋です。 「すべての福をみな兼ね備えている」という意味が込められた部屋「チニ」はかわいい小物で飾られた温かな雰囲気の部屋です。 「涼しく澄んでいる」という意味の「シネ」と名付けられた部屋は中庭側の扉から日差しや風を感じることができる部屋です。 最後に「お互い集まり、情あふれる話を交わす」という意味が付いた「トラン」という部屋はこじんまりとした静かな部屋。 「トラン」と「チニ」の部屋の間には居間とキッチンがあります。全室ともエアコン完備で、綿花の綿でふかふかのカラフルな布団と高級感あふれる浴室があり、快適にお休みいただけます。天井に見える垂木や壁紙に使われた韓紙、木製家具などが合いまり高級感あふれる雰囲気を演出します。 外国からのお客様には韓国文化をご理解いただけるよう、韓国のお客様には楽しい思い出作りができるよう、韓服試着プログラムも実施しており、女性用、男性用、子ども用韓服などさまざまな韓服をご用意しています。 伝統茶を飲みながら話の花を咲かせる茶道体験も可能です。 また韓国料理の朝食サービスもあります。新鮮な旬の素材を真心こめて料理した朝食は宿泊客から大変好評です。


全羅南道(潭陽郡 )

全羅南道潭陽は、竹の名産地であると共にトッカルビでも有名です。 トッカルビ本家は、独特な香ばしさが特徴的な絶品トッカルビで有名な店です。まるでインジョルミ(引切餠、もち米をふやかした後、蒸して適当な大きさで切って餅にまぶし粉をつけた餠)を連想させる精巧な模様と口の中で自然にとけるような柔らかい食感、トッカルビの魅力的な深い味に魅了された観光客が、遠く日本からも尋ねて来るほどです。 トッカルビと言う名前は、カルビの模様が餠のように見えることからこのように呼ばれるようになったと言います。トッカルビは、とろけるように柔らかい食感で食べやすいうえ、肉の食感も十分に楽しむことができます。また、香ばしくもちもちとした食感は、子供や女性たちにも人気です。 トッカルビ本家では、メインメニューである韓牛トッカルビ以外にも、豚カルビ、プルコギ、カルビタンなどを味わうことができ、韓定食のように沢山のおかずとデザートもついてきます。週末の夕方には、行列ができるほど人気の店です。


忠清北道(丹陽郡 )

*三国時代の戦略的な要衝の地、赤城山城* 丹陽城在山にある石を積んで造られた山城で、1979年8月1日に史跡第265号に指定されました。周囲が約900mで大部分が崩壊されてしまい、北東側の内側の一部のみ残っています。城門は南西側、東側、南東側に3ヶ所で発見されました。城内には赤城碑があります。高麗軍が占領していたものを新羅軍が奪い、北進製作の前哨基地を構築した場所です。  *赤城山城の歴史的の意義* 1978年、城内で赤城碑が発見され、これによると新羅と高句麗の勢力関係の変動を知ることができます。碑石以外に三国時代の土器の破片と瓦の破片も発見され、高麗時代の遺物もあり、高麗後期まで今日の丹陽地方を治めてきた邑城の役目をしてきたことがわかります。城内には新羅および百済の土器のかけらや高麗朝の青磁のかけらなども発見されました。築城方法がとてもしっかりしており、新羅の築城術を研究するのに貴重な資料として評価されています。


全羅北道(淳昌郡 )

全羅北道淳昌邑白山里にある伝統コチュジャン村の前にある淳昌醤類体験館は淳昌醤類の伝統の味と風味をそのまま伝えながら醤類産業の世界化を広める研究や普及、広報をしようと設立された体験館です。 淳昌醤類体験館では韓国の国家代表コチュジャンである淳昌伝統コチュジャンを実際に作って持ち帰ることができ、淳昌伝統コチュジャンを利用したおいしい料理を作って試食することができる開かれた体験空間を提供しています。 料理体験場、野外学習場など伝統醤類体験に必要な多様な施設が揃っていて国内だけではなく、外国人達にも醤類文化を体験してもらうことができる体験館です。


慶尚南道(晋州市 )

千年の歴史が流れる美しい川の都市、晋州市にある『ホテル・アルマニ』は合理的な価格と清潔さを最優先にしたホテル級のサービスを提供しようと努力している。ビジネスで晋州市を訪ねる利用客や家族連れの旅行客のためにツインベッドの客室を多く保有しており、ロビーには共用パソコンとプリンター機があっていつでも気軽に利用できる。周辺観光スポットには晋州城の矗石楼、新鮮な気持ちで迎える月牙山の日の出、美しい晋陽湖の夕焼けなどがあり、グルメスポットとしては晋州ビビンバや晋州冷麺などが超お勧め。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

「大静郷校(テジョンヒャンギョ)」は1416年(太宗16)、賢儒の位牌を奉安するとともに地方民の教育と教化を目的として大静県城内に創建されました。1653年(孝宗4)に現在の場所に移され、1772年(英祖48)には明倫堂、1834年(憲宗1)には大成殿が再建されました。現存する建物としては大成殿・明倫堂・東斎・西斎・内三門などがあります。 朝鮮時代には国から土地や典籍、労賃などを受けて教生(儒生)を教えていましたが、甲午改革以降は新学制実施によって教育機能は消え、現在は祭祀機能のみが残っています。 大静郷校は1971年8月に済州特別自治道有形文化財第4号に指定され、1948年4月からは文明学院を併設・運営しています。所蔵典籍には『大静郷校節目』など18種37冊があり、儒教経典の集註類が主流となっています。