全羅南道(海南郡 )

全羅南道海南の頭輪山のふもとにある薛芽(ソラ)茶園は、茶文化を守ろうとする人々によってつくられたところです。ここの主人が1996年に海南の大興寺で出会った僧侶から「地元の茶文化を受け継ぐ人がいない状況を懸念している」と聞き、これをきっかけに茶園が始まりました。一緒に茶を学んでいた9人が海南に集まって茶畑をつくり、家を建て、茶に関心のある人々が薛芽茶園に訪れるようになりました。遠くから訪れた人が泊まるところがなかったため、石の家や土の家、アースバッグハウスなど、8棟の家屋を作り上げました。韓屋は2003年に文化空間とともにつくられ、そのうち3部屋を韓屋ステイとして運営しています。


忠清南道(論山市 )

忠清南道論山市(ノンサンシ)魯城面(ノソンミョン)には敷地と外とを隔てる大門や塀もなく、村の集落へ開け放たれた状態の韓屋・明斎古宅(ミョンジェコテク)があります。 韓屋の背後には山々が屏風絵のように聳え、建物の前には正方形の形をした大きな池があります。その池には小さな丸い島があり、その島には明斎古宅とともに300年の月日を経てきたサルスベリの木があり、趣ある曲線を描き、明斎古宅に風情を与えています。池を横目に観ながら韓屋の前庭にある踏み石に足をかけると、目の前には韓屋の基礎部分の基壇が素晴らしい主人の居間などがある舎廊(サラン)チェの建物が見えてきます。 明斎古宅は朝鮮時代の粛宗(在位:1674-1720年)の時代に活躍した学者・尹拯(ユン・ジュン)先生の家屋で、尹拯先生の号である明斎をとって明斎古宅と呼ばれるようになりました。尹拯先生は王が18回も官職を授けようとしたものの辞退するというような竹を割ったような性格の人物だったといいます。また質素で分かち合いの美徳の精神を自ら実践し、後学の人々にこれを説き、この精神を引き継いだ人々の手によって東学革命や韓国戦争(1950-1953年)など世の中の混乱が起きた時代を経てもなお古宅がなくなる危機を免れたといいます。このような尹拯先生の哲学を反映するかのように、古宅は他の両班(ヤンバン)などの家屋に比べ、外見が素朴な印象を与えます。しかしながら仔細に見てみると、気品が感じられるばかりでなく、建物のあちらこちらに隠された科学的な造りに驚きを感じます。 前面が開けた舎廊チェの左手にある中門へ入ると、目の前に母屋が見えてきます。板の間を中心に左右対称となっているコの字型の建物で、コの字型の母屋の前に舎廊チェが建っている配置から、母屋と舎廊チェ全体を見ると庭を囲んで口の字型のような韓屋に見えます。舎廊チェから母屋へ向かう途中には壁がありますが、実はそこに科学的な仕掛けが見え隠れします。入口の門に壁を作り、外から来た人に母屋の内部が見えないよう遮っているのです。ただ壁の下にはぽかっと空間が開いていて、母屋の中庭からはその空間を通じて外から来た人の足が見え、訪問客が来たことが分かる仕掛けになっています。女性たちの空間である母屋に男性がむやみに入らないようにする知恵がここにあります。 また母屋の横には納屋がありますが、二つの建物を平行に並べて配置せず、二つの建物の間を北側へ行くほど狭くなるようにしています。夏には南寄りの風が北側の狭い通路を吹きぬけていくのでその速度が速まり周辺の空気が涼しくなり、反対に冬には北寄りの風が南側の広い通路を通り抜けて厳しい北風を避けることができるようになっています。 そのおかげで納屋の北側の端の物置は夏でも涼しく、温度が低い状態で保管しなければならないものを置いていました。舎廊チェは大きな舎廊房を中心に右手に板の間が、左手には少し高くなった高殿の板の間があります。またその裏手に小さな舎廊房とさらに奥にある舎廊房、入口の大門の内側にある空間・大門間が続いています。明斎古宅の客室は母屋の板の間の反対側にある向い側の部屋をはじめ、舎廊チェの舎廊房3箇所にあります。高殿の板の間を含む舎廊チェを丸ごと予約して建物全体を借りることもできます。 また中庭の片隅では草葺の韓屋の離れがあり、音響設備やビームプロジェクターが設置された超然堂(チョヨンダン)もあり、団体での集まりや公演での使用も可能です。現代風にリモデリングした浴室兼トイレも大変綺麗です。舎廊チェには引き戸と開き戸を融合させた戸があり、4枚の引き戸を開けて、さらに開くと開き戸のように開く特徴ある科学的な方式となっています。また舎廊チェの一段高くなった高殿の板の間に座れば、中庭池やその向こうの村、そして周囲の山々を眺めることができます。 古宅の右手には数百もの甕が並んでおり、その様子は素晴らしいものがあります。甕の中には味噌や醤油などが入っており、韓国産の今年収穫したばかりの大豆や西海(ソヘ)の海で取れた天然塩、古宅の井戸から汲み上げたきれいな水を使い、伝統的な自然発酵の製法でおいしく作られていきます。真冬に甕の上に雪がたくさん積もる風景は大変趣があり、おすすめの風景です。 また明斎古宅では国楽、茶礼、天然染色などの様々な伝統体験も有料で可能です。


ソウル(城東区)

ENTER6往十里駅店はヨーロッパの街並みをテーマに、6つの特色あるアベニューで構成されたテーマパーク型ショッピングモールです。


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)

紺岳山(カマクサン)は京畿(キョンギ)五岳の一つで、岩の間から黒と青の光が共に放たれることということから由来して名づけられた山です。 紺岳山のトレッキングコース・紺岳山トゥルレキルのスタート地点にある吊り橋・紺岳山つり橋は、道路によって山が寸断された雪馬里(ソルマリ)の谷とを結び、再び紺岳山を完全な一つの形に取り戻す役割を果たしている橋でもあります。 紺岳山つり橋は、韓国最長の150mにもおよぶ無主塔山岳懸垂橋で自然との調和を考慮し設計された橋です。


慶尚北道(清道郡 )

雲門山(1,188m)は嶺南アルプスを形成している1,000級の7つの山のひとつです。山勢が雄大で木々が生い茂っており登山客が多く訪れる山です。頂上からの展望は南側の向かい側に天王山のススキ畑が見え、東側には加智山に続く稜線が見えます。ここには雲門寺をはじめ、大小様々な寺や庵子があります。 雲門寺 雲門山の北側の麓にある寺院で新羅真興王18年(557年)に神僧が創建し、円光法師、宝襄国師、円應国師、一然禅師が続いて修復をしてきました。壬辰倭乱の時に一部の建物が焼失しましたが、五百羅漢殿、観音殿などが昔の姿のままで保存されています。ここには宝物第193号である金堂前石燈をはじめ、7点を保管しています。すべて新羅・高麗時代のもので由緒正しい場所です。


 
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仁川(中区) , 仁川国際空港

乗り継ぎという名の休息術:「ウォーカーヒル・仁川空港トランジットホテル」 (究極のエアサイド・サンクチュアリ:「Relax & Fly」が現実になる場所) 韓国・仁川 — 長時間のフライトに疲れた旅行者にとって、空港はしばしば忍耐の場所となります。しかし、仁川国際空港のセキュリティエリア(免税エリア)内には、乗り継ぎの時間を「回復のためのリトリート」へと変える聖域が隠されています。 ようこそ、「ウォーカーヒル・仁川空港トランジットホテル」へ。 2001年に韓国初の空港内トランジットホテルとして設立されたこの施設は、韓国を代表するラグジュアリーブランド「ウォーカーヒルホテル&リゾート」の深いノウハウと品格をもって運営されています。ここは単に眠るだけの場所ではありません。次の旅路へ向かう前に、心身のリズムを整えるための空間です。「Relax & Fly(リラックスして、飛ぶ)」という哲学の下、グローバルな旅人たちに最も快適で合理的な休息を提供します。     ホスピタリティの遺産 (Since 2001)     韓国におけるトランジット宿泊施設のパイオニアとして、ウォーカーヒル・インチョンエアポート・トランジットホテルは、ウォーカーヒルブランドの誇り高いサービス精神をターミナルにそのまま持ち込みました。 専門性: 数十年にわたるホテル運営のノウハウを活かし、一般的な空港泊のレベルを超えた快適さときめ細やかなサービスを提供します。 空間: 客室は「利便性と安らぎ」に重点を置いて設計されており、旅の疲れを癒やしたい旅行者に最大限の満足をお届けします。     合理的なラグジュアリー:「ブロック料金制」 乗り継ぎ客のスケジュールが多様であることを理解している当ホテルでは、合理的な「ブロック料金制」を採用しています。 6時間スタンダード: 1泊料金ではなく、6時間単位で予約が可能です。レイオーバー中の短く深い睡眠が必要な場合でも、夜間の乗り継ぎで長く滞在する場合でも、フライトスケジュールに合わせて最適な時間を選択できます。必要な分だけ支払う、合理的なシステムです。     客室を超えた体験:差別化された付帯施設 当ホテルでは、乗り継ぎ客のあらゆるニーズに応える包括的なアメニティを提供しています。 ビジネスセンター (24時間): 充実した設備を備えたワークスペースで、いつでも仕事や連絡が可能です。 エアカフェ (Air Café): リラックスした雰囲気の中で、軽食や飲み物を楽しめるカジュアルな空間です。 フィットネスセンター: 施設内に位置し、狭い機内で凝り固まった筋肉の緊張や身体的疲労を解きほぐすのに最適な場所です。 • エアカフェ: 第2ターミナル (T2) 限定 • フィットネスセンター: 第1ターミナル (T1) 限定     美食の目覚め:「マティーナラウンジ」の特典 宿泊ゲストには特別な特典があります:「マティーナラウンジ」の割引利用です。 同じくウォーカーヒルが運営するマティーナラウンジは、その卓越した料理の質で有名です。ここでは、厳選された食材で作られたビュッフェを割引価格で楽しむことができ、ウォーカーヒルの品格ある食のサービスを体験できます。           [Traveler’s Note] ウォーカーヒル・インチョンエアポート・トランジットホテルは、第1ターミナルと第2ターミナルの両方の「免税エリア(エアサイド)」に位置しています。 • 第1ターミナル (T1): 4階 11番ゲート付近 • 第2ターミナル (T2): 4階 252番ゲート付近 「ただ乗り継ぎを耐えるのはやめましょう。ウォーカーヒルで『Relax & Fly』のライフスタイルを体験してください。」 施設情報 (Visit Information) 主な特徴: • ブロック料金: 6時間単位(合理的な価格設定) • 施設: 24時間ビジネスセンター、エアカフェ、フィットネスセンター • ダイニング特典: マティーナラウンジ(ビュッフェ)の割引利用 • 客室: 最大限の快適さと静粛性を追求した設計 利用資格: • 乗り継ぎ客または出国手続き済みの出発客(搭乗券をお持ちの方)専用。 • 韓国に入国(一般区域へ出る)した後は利用できません。   ■ FAQ:乗り継ぎ旅行者のための必須ガイド Q. トランジットホテルは一般のホテルとどう違いますか? A. トランジットホテルは空港内(免税エリア)に位置しています。韓国で唯一、「6時間単位」で利用可能な料金システムを採用しており、移動中の短期休息に特化して設計されています。 Q. 国際線から国内線へ乗り継ぐ場合、このホテルに宿泊できますか? A. はい、可能ですが、手続きが異なる場合があります。手荷物や乗り継ぎの規定について、事前に必ずご利用の航空会社へお問い合わせください。 Q. 滞在中、ホテルの外に出る(入国する)ことはできますか? A. 出発当日の搭乗券をお持ちであれば、技術的には可能です。ただし、出るためには入国審査を通過し、戻るためには再度保安検査を受ける必要があります。トラブルや遅延を避けるため、ホテル滞在中は入国審査を通過しない(一般区域に出ない)ことを強くお勧めします。 Q. 出発日より前にトランジットホテルに滞在できますか? A. いいえ。航空会社のチェックインは通常、出発当日のみ有効です。つまり、数日前に免税エリア(ホテルがある場所)に入ることはできません。出国手続きを完了し、エアサイド(免税エリア)に入った後でのみ宿泊可能です。 Q. 仁川国際空港での乗り継ぎ中に、預けた荷物を受け取れますか? A. いいえ。乗り継ぎエリア内では、受託手荷物を受け取ることはできません。お荷物は出発地から最終目的地までスルーチェックイン(通し)される必要があります。手荷物の詳細については、航空会社にご確認ください。 Q. トランジットホテルにはどのような付帯施設がありますか? A. ホテルでは、ラウンジ(マティーナ)、ビジネスセンター、シャワー施設をご利用いただけます。


全羅北道(完州郡)

全羅北道完州郡(ワンジュグン)の澄んだきれいな農家が立ち並ぶ鳳捿(ポンソ)コル(谷)は青い山に囲まれた深く静かな山あいの村です。 斗億(トゥオク)ヘンボクトゥリム村は鳳捿コルの斗億村の中にある韓屋で、建物の前には広々とした芝の庭が、そして背後には高い山々が屏風のように広がっています。自然に恵まれたこの地に来れば、爽快な空気が体中をきれいにしてくれるような気分になるほどです。 韓国の風水地理的に素晴らしいとされる場所・明堂(ミョンダン)でも韓国の八大明堂のひとつに数えられる鳳捿コルのトゥオク村。 全州中心部からさほど離れていませんが、桃源郷を思わせるほど深く物静かな山間の村です。村の右手には終南山(チョンナムサン)、左手には西方山(ソバンサン)があり。山が村を包み込んでいるかのように見え、この姿が鳳凰が包み込んでいる形に似ていることから「鳳捿」という地名が付けられたといいます。こんな地形のおかげで空気は澄み、一年を通じて美しい風景を誇っています。 斗億村は完州郡の村活性化事業を通じて、斗億ヘンボクトゥリム村に生まれ変わりました。斗億村には築150年の韓屋から築45年の韓屋までさまざまな韓屋が軒を連ねていますが、2010年から村では共同で韓屋宿泊業と協力しさまざまな体験プロフラムを開始しました。 その中で斗億ヘンボクトゥリム村は教育用体験館としての機能を果たしているところです。客室のほか、およそ100平方メートルの広さの大きな体験場があり、団体専用施設として利用しています。 体験場では礼節教育の実施や科挙試験の再現を体験したりします。 宿泊費用には1日3食の食事も含まれていますが、酵素を使って作った漬物やナムル、野菜がいっぱいの地元の田舎料理で構成された健康食をご提供しています。味もすばらしく、都会では味わえないおかずが多く、ご利用のお客様から好評を博しています。 敷地入口の大門脇にある門間(ムンガン)チェの建物に入ると、さまざまご利用いただけるとても広々とした芝の中庭が目に飛び込んできます。そして中庭の前には青い山々を背景に正面、左右にと大きくはだかる瓦屋屋根の家屋が広がり、伝統韓屋の雄大な雰囲気を感じられます。 韓屋の客室は特別な装飾はなく、こじんまりとしてシンプルな造りです。薪を焚いて利用する昔ながらのオンドル部屋となっていることもあり、エアコンは設置されていません。 大門の正面にある体験館の戸は天井につるし開閉する形態となっています。そのため中庭に向って設置されている10つの戸すべて天井に吊るし上げており、山側の戸もやはりすべて開くと、四方に外の風景がパノラマのように広がり素晴らしい風景となります。 斗億ヘンボクトゥリム村は農漁村体験及び休養村の指定を受けた村です。このため村では共同でさまざまな体験を実施しています。 ガイドとともに村の森を巡る「自然体験」、願いを書いたネックレスを作ってかけたり、明堂を訪れる体験などもあります。種籾を蒔いたり、稲を刈ったりする「稲作体験」を始め、サツマイモ掘りの体験も季節毎に行っています。 また弓矢、丸い金属製のリングを転がして遊ぶクルロンセなど伝統遊びを体験することもできます。 ソリ(音)学堂や礼節教育などの体験も一年を通じて2日間のコースで行われています。 この他「杵つき体験」、「案山子作り体験」、「伝統チェギ作り体験」、「凧作り体験」なども常時実施しており、学校単位などの団体で韓国の伝統文化を自ら体験し学ぶことができ、児童・生徒の課外学習の場所として最適なところです。


大邱広域市(南区)

梨泉洞九十九階段壁画村は、ソウルの仁寺洞(インサドン)通りのような古美術通りとしてよく知られる大邱(テグ)広域市南区(ナムグ)にある梨泉洞(イチョンドン)古美術通りの西側のエリア、瑞鳳寺(ソボンサ)の南からすぐそばにある平屋の古い韓屋が軒を連ねる場所にあります。 それまで薄暗いコンクリート塀に囲まれた路地というイメージがあった九十九階段でしたが、「99歳になっても、はつらつと」というコンセプトで壁画を描き、明るく美しい壁画の路地に生まれ変わったのが、ここ梨泉洞九十九階段壁画村です。


全羅南道(麗水市 )

ヒルモーテル(HILL MOTEL)は生きている海、呼吸をする海岸・全羅南道麗水(ヨス)市の鶴洞(ハクトン)にある宿泊施設です。 麗川(ヨチョン)駅、麗水空港、エキスポ会場など主な拠点へは車で10分圏内で、アクセスが大変便利なとことにあります。麗水空港からは車で10分、麗川駅からは2分、麗川バスターミナルからは5分のところにあります。徒歩10分で麗水の海岸まで行くことができます。 客室は韓室とベッドルームそれぞれあり、選択の幅も広くなっています。客室ではWi-Fiもご利用いただけ、テレビ、冷蔵庫、エアコン、パソコンなど各種設備も完備しています。 巨文島(コムンド)や百島(ペクト)、梧桐島(オドンド)などから遊覧船に乗ったり、汝自湾 (ヨジャマン)で干潟体験をしたり、日の出で有名な向日庵(ヒャンイルアム)も近くにあり観光にも便利です。忠武公・李舜臣の遺跡地である鎮南館や突山大橋もおすすめの観光スポットです。麗水のグルメとしてはアカシタビラメの刺身、突山カッキムチ、ケジャン白飯、牡蠣焼きなどがあります。


京畿道(坡州市 )

伴鴎亭(パングジョン)は、高麗時代末期から朝鮮時代第4代の王・世宗(セジョン・即位1418~1450年)の治世に至るまで、長きに渡り王を輔弼し89歳という長寿を全うした清廉潔白な官吏・ 黄喜(ファン・ヒ=1363~1452年)が晩年、官職を退き、故郷に戻り、鴎を友とし過ごした、臨津江(イムジンガン)下流の絶景の場所に建てられた亭子(東屋)です。そのすぐそばの少し高くなった場所には六角屋根のもうひとつの亭子・仰止台(アンジデ)もあります。 南北分断の現実を実感できる鉄条網が伴鴎亭のある丘と臨津江の間を遮り、また陽が落ちる頃になると寂しさと美しさが共に感じされるそんな場所が伴鴎亭です 朝鮮時代中期の文臣で学者でもあった許穆(ホ・モク)の『伴鴎亭記』ではこの場所を「朝汐の時になると白い鴎は川上へ群れをなし集まり、砂原はいっぱいとなる」と描写しています。 1452年、黄喜がこの世を去り、黄喜の遺徳を称えるため建てた厖村影堂(パンチョンヨンダン)や祭祀を行う景慕斎(キョンモジェ)が同じ敷地内にあり、臨津江を眺める黄喜の銅像も立っています。 また慶尚北道(キョンサンプクド)尚州(サンジュ)にある玉洞書院(オクトンソウォン)や全羅北道(チョルラプクド)長水郡(チャンスグン)にある滄渓書院(チャンゲソウォン)でも同じように黄喜を祀る祭祀を行っており、黄喜の墓は伴鴎亭から同じ京畿道北部にある汶山(ムンサン)の方へ向かった京畿道(キョンギド)炭県面(タンヒョンミョン) 金縄里(クムスンニ)の山の稜線にあります。 黄喜は左遷、罷免、配流など数々の苦難に遭遇しながらも、60年にわたる官職を貫き、法律や制度の整備、世宗大王のハングル創製に尽力するなど太平の御代を打ち立てる偉業を成し遂げました。 この場所とは異なりますが、同じように鴎を友とするという名称がついた亭子・狎鴎亭(アックジョン)もソウルの漢江(ハンガン)縁に建てられ、世宗大王の時代の文臣・韓明澮(ハン・ミョンフェ)が自らの号を取って狎鴎亭と命名しました。 現在ではその亭子は姿を消し、地名のみが狎鴎亭洞という形で残っており、その跡地は現在のソウル特別市江南区狎鴎亭洞にある現代(ヒョンデ)アパート11棟の裏手付近に当たります。