慶尚北道(英陽郡 )

英陽(ヨンヤン)ホタル天文台は、一般の方々を対象にした英陽郡が運営する市民展望台です。 ホタル生態体験村徳邱にある英陽ホタル天文台は、夏の夜空の星と英陽の自然に生息するホタルを同時に観測・観察できる韓国で唯一の天文観測施設です。 日中は太陽望遠鏡を使い太陽の黒点やプロミネンスを観測でき、夜は惑星・星雲・星団・天の川・月などの観察ができます。 <出典:英陽郡生態公園事業所>


江原道(寧越郡)

一昔前まで繁栄を誇っていた石炭産業や炭鉱村の鉱夫らの暮らしの様子を再現した博物館・江原道(カンウォンド)炭鉱文化村。 「寧越(ヨンウォル)磨磋里(マチャリ)炭鉱村の痕跡」をテーマに、炭鉱産業や鉱夫らの家屋、磨磋里の昔の様子をリアルに再現、見学することができます。実際に使われていた坑道入口部分を体験展示館に作り替え、鉱夫の作業着体験などもできます。


全羅南道(求礼郡 )

精進料理で有名なこのお店の蓮の葉の竹筒ご飯(ヨンイプ・デトンバプ)は、硬水で煮てから黒米、もち米、トウキビ、栗、ナツメ、蓮の葉の粉、蓮の花を浮かべて調理したものです。竹筒から静かに漂う香りは胸がすっとするようで、まさに精進料理のあるべき姿を見せてくれます。また、智異山のふもとで採れる25種類の季節のナムルと、手作りの味噌とコチュジャンの味は、自然を感じさせてくれ、ご主人の真心が伝わってくるお店です。


江原道(寧越郡)

韓国・江原特別自治道 寧越(ヨンウォル)で注目急上昇!   「東江シスターリゾート」で味わう極上のウェルネス旅 江原道・東江シスターリゾート (Donggang Cistar)で癒しの時間を 韓国江原道の美しい自然の中に位置する「東江シスターリゾート (Donggang Cistar)」は、東江(ドンガン)の優美な川の流れに抱かれた癒しのリゾートです。このリゾートは、2024-2025年の「優秀ウェルネス観光地」に選定されており、自然を活かしたリラクゼーションと心身のヒーリングを求める旅行者に最適な場所として注目されています。 リゾートはヨーロッパ風のデザインで、4~5階建ての建物が周囲の景観と見事に調和しています。宿泊施設にはウェルネスルームが用意され、プールや散策路など充実した設備が揃っており、訪れる人々に深い癒しを提供します。また、スパやゴルフ場、コンベンションセンター、ウェディング施設など、様々な目的に対応する充実した施設をご利用いただけます。 周辺の観光スポット * 東江ラフティング 韓国を代表するラフティングスポットとして人気が高い東江では、美しい渓谷の景色を楽しみながらスリリングな冒険を体験できます。 * コシ洞窟 石灰岩で形成された自然洞窟で、幻想的な鍾乳石や石筍を見ることができる観光地です。韓国の地質学的な歴史に触れる絶好の機会を提供します。 * 別馬路(ピョルマロ)天文台 山頂に位置するこの天文台は、満天の星空を楽しめる絶好の観光スポットです。星空観察や天文学に興味のある方には特におすすめです。 特別な体験を 「東江シスターリゾート (Donggang Cistar)」は、江原道の豊かな自然環境の中で、リラクゼーションや多彩なアクティビティを満喫できます。家族旅行、友人との思い出作り、または自分自身のための癒しのひとときに最適です。特別な旅の計画には、ぜひ「東江シスターリゾート (Donggang Cistar)」をお選びください。 ​『 COPYRIGHTS © 강원특별자치도 경제진흥원 All rights reserved. https://www.kwellness.kr』


江原道(華川郡)

江辺フェッチプは、季節ごとに旬の刺身を味わえるお店です。


全羅南道(羅州市 )

* 羅州邑城の南側を守っていた場所、南顧門(羅州邑城南門)* 羅州邑城の南門として羅州市南内洞にあります。1920年頃、石造り以外は撤去されてしまいましたが、その後1993年に昔の姿に復元され、2005年に追加で修復工事が行われました。2階になっている門楼で正面3間、側面2間規模の八角屋根の建物です。羅州邑城には東の東漸門、西の西成門、南の南顧門、北の北望門があり、この中で南顧門がもっともよく利用されていたと言われています。 * 朝鮮時代の平山城、羅州邑城 * 羅州邑城は大部分の朝鮮時代の邑城と同じで平地と丘陵を利用して築造した平山城で背後には金城山城がたたずんでいます。全体の城壁の大きさを復元してみると周囲3.679m、面積は974.390平方メートルになります。しかし、現在は大部分は破損しており、部分的に残っているだけで城郭の形態は楕円形です。


ソウル(西大門区) , 新村・梨大

2018サンタランクリスマスシーズンの12月に合わせ、都心で行われる異色のチャリティーマラソンフェスティバル。サンタランチケットを購入すると1,225ウォン分の寄付がなされ、寄付金は闘病中の幼い子どもや資金難に苦しむ若手芸術家の支援に使われます。


江原道(三陟市) , 三陟

きれいな東海(トンヘ)の海!三陟ズワイガニズワイガニ試食、ズワイガニのつかみ取り、ズワイガニの競り市行事などを通じて三陟(サムチョク)ズワイガニをおいしく食べられる機会やズワイガニ料理実演会、公演などさまざまなプログラムをご用意しています。


忠清南道(天安市 )

趙炳玉博士生家地は、独立運動家で政治家としても活躍した維石(ユソク)趙炳玉(チョ・ビョンオク)博士が生まれたところです。 1894年3月21日、忠清南道(チュンチョンナムド)天安市(チョナンシ)並川面(ピョンチョンミョン)龍頭里(ヨンドゥリ)で生まれ、ソウルの培花学堂(ペファハクタン)で学び、その後、平壌(ピョンヤン)崇実(スンシル)専門学校を卒業後、渡米し米国コロンビア大学に留学しました。 コロンビア大卒業とともに1925年帰国し、1927年には抗日団体・新幹会に参加、幅広い抗日民族戦線を形成する運動に立ち上がりました。 1929年には光州(クァンジュ)学生運動を裏で操っていたとして逮捕され3年間獄中生活を余儀なくされました。 大韓民国政府樹立後は李承晩政権下で内務部長官を歴任するなどしたものの、李承晩大統領と意見の対立があり、辞職に至り、以降野党の政治家として活躍することになります。 その後1960年には李承晩大領領率いる自由党に対抗する民主党の大統領候補として選出されたものの直後に病で倒れ渡米、病気療養中にアメリカで逝去しました。 没後の1962年3月1日には大韓民国建国勲章単章(独立章)が追贈されました。 現在の趙炳玉博士生家地の建物は1995年4月20日に復元されたものです。 なお、趙炳玉博士の父である趙仁元(チョ・イノォン)氏は1919年の3・1独立運動直後、地元・天安で起きたアウネ万歳運動で、柳寛順(ユ・グァンスン)烈士とともに主導的な役割を果たした人物として知られています。


全羅南道(羅州市 )

弥勒寺は全羅南道羅州市鳳凰面鉄川里山1224番地、徳龍山の麓にある寺院で大韓仏教曹渓宗第18教区の本寺である白羊寺の末寺です。544年に縁起祖師が創建し、蒼龍寺と称した伝えられていますが文献上の記録がなく確認することができず、創建後の沿革に関して伝えられていることがありません。韓国戦争後、廃寺となり人法堂の形態で維持されてきましたがその後、弥勒堂と呼ばれて巫俗人が住むようになりました。1990年代後半にウォンイル僧が赴任した後、仏事を行って大雄殿、三聖閣、観音殿、説法殿などを建てて現在の姿となりました。大雄殿の後方に宝物第461号に指定されている「羅州鉄川里七仏石仏」と宝物第462号に指定されている「羅州鉄川里石仏立像」があります。