ソウル(中区) , 市庁・光化門

2010年にリニューアルオープンしたプラザホテルは国内最高級のホテルです。ホテルの至る所に感じられる感性的なデザイン美学と顧客が利用するサービスひとつひとつに気を使い、国際ビジネス都市ソウルのスタイルと便利さを追求した現代のビジネスマンのための「完璧なホテル」を目指しています。また、プラザホテルは各企業の本社以外にも、銀行本店などが密接した、市内中心部に位置しており、南大門や各ショッピングセンターなどの連携で、ビジネスマンだけでなく、観光客にも便利です。また、市庁の正面に位置しており、遠く青瓦台まで眺めることができます。


ソウル(中区) , 市庁・光化門

1997年3月、韓国の銀行として初めて韓国の金融発展の歴史を一目で知ることができ、一般の人の金融に対する理解を助けるための金融博物館として設立されました。金融博物館は韓国の文化通りである中区太平路に位置する新韓銀行光化門支店の3、4階にあり、総面積1,320.93平方メートルの規模を誇り、3,500点以上の資料を所蔵しています。韓国金融史博物館は韓国の経済発展の過程を金融史的な側面から新しく定義し、新韓銀行とともに発展してきた韓国金融の発展の様子が一目でわかります。


京畿道(安養市)

安養市の北側には「冠岳山」の山並みが続き、南西側には修理山と秀巖峯が並んでおり、自然に囲まれた街の「安養市」。この山々には渓谷や川岸公園が整備されており、首都圏からの観光客に人気を集めています。安養芸術公園は、安養駅から北東側に2㎞ほど離れた場所にあります。ここには、冠岳山や三聖山にある谷から流れるきれいな水を利用して作ったプールなどがあります。公園の周辺には、その昔、京畿道名物の1つであった安養ブドウ畑が続いていました。しかし、今はなくなってしまいました。 安養公園は、ボート乗り場や子どもの遊び場、バンガローなどの便宜施設やレジャー設備が完備されている他、渓谷に沿ってきれいな水が流れており、首都圏や地元の住民の憩いの場として活用されています。


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

香ばしくてすっきりとしたスープの味が最高のサムゲタン(参鶏湯)専門店です。一般的なサムゲタンは鶏肉の中にもち米が入っていますが、この店のサムゲタンは鶏肉の中に入れず、鶏肉の下にもち米が敷かれているのが特徴です。     


ソウル(龍山区)

タンゴゲ殉教聖地は龍山電子商店街から歩いて5分のところにあります。己亥迫害の時である1839年12月27日・28日(旧暦)の2日間に、カトリック信者10人が処刑されたところです。この時処刑された信者の中に、幼い子どもを残した母親が3人いたため、ここを母の聖地と呼ぶようになりました。    


ソウル(江北区)

ロッテデパートは、韓国を代表するデパートブランドで、ロッテデパート弥阿店は、2006年12月にオープンした江北エリアの高級デパートで、新たな文化空間として注目を集めています。 弥阿店は、快適で清潔な店内とともに文化センター、リラックスショップ(マッサージショップ)、ファミリーラウンジ、カフェタイプの休憩スペースなどが揃った、快適で洗練されたショッピング空間です。 地下食品館から地上8階の家電/家具売り場まで、実生活に必要なものがほぼすべて揃い、韓国人はもちろん、外国人観光客も訪れます。 特に食品、衣類、コスメなどが観光客に人気です。


京畿道(竜仁市) , 龍仁

「大長今パーク」は、歴史的な考証を経て三国時代から朝鮮時代まで、時代ごとの街並みや家屋が再現された韓国最大規模のオープンセット場で、『朱蒙』『イ・サン』『トンイ』『逆賊-民の英雄 ホン・ギルドン』『君主~仮面の主人~』など、多くのMBC時代劇ドラマの撮影が行われているだけでなく、現代劇、映画、CMなどのロケ地としても活用されています。セット場の観覧に加え、宮中衣装体験も楽しむことができることから人気の観光スポットとなっています。


ソウル(江南区) , 江南・三成(COEX)

ジャデンドシュエットは初期にレディースジャケットで有名になり、最近には品質と希少性を重視するファッショニスタに人気の店になりました。キム・テヒ、イ・ヒョリ、ハン・ガイン、ソン・ヘギョなど有名芸能人らがよく利用し、かわいいフクロウのシンボルで有名です。内装は落ち着いた雰囲気です。


ソウル(城北区) , 三清洞・ソウル北部

1972年に設立されたこの建物は、70~80年代に韓国の政治家たちが重要な交渉や晩餐会を行ったところで、1990年代中ごろに三清閣(サムチョンガク)と名前を変え一時期レストランとして営業していましたが、経営難により1999年12月に廃業しました。 この後2000年にソウル市がこの土地と建物を文化施設に指定し、それまでの上流階級のための排他的なエリアとしてのイメージを取り払い、2001年10月に全く新しい文化空間として生まれ変わりました。 広い敷地に6棟の伝統家屋が建てられており、レストラン、伝統工芸の教室、公演スペース、客室などとして使われています。