慶尚北道(鬱陵郡)

慶尚北道 鬱陵郡 鬱陵邑にある道洞港は、鬱陵島に出入りする船の船舶場で、浦項と墨湖の間を運航する旅客船と独島に行く船に乗れます。道洞港の左側には「望鄕峯」という峰があり、右側には樹齢2500年の香木がある「杏南灯台」があります。 江原道の墨湖ターミナルから161km、慶尚北道 浦項ターミナルから217kmの位置にあり、最速2時間20分で平均3時間ほどで到着します。また東南方向87.4kmには独島があり、往復平均3時間ほどで到着します。1日1~2回程度運航される旅客船は、風や波、気象条件により時間や運航が調整されるため、出発前には問合せをして予約するのがいいでしょう。外国語での対応は無いので、ガイドや韓国語ができる人と同行する必要があります。 問合せ) +82-54-791-0801(韓国語)


ソウル(龍山区)

24ゲストハウスソウル駅店は、ソウルメトロ4号線「ソウル駅」12番出口から徒歩2分、空港鉄道「ソウル駅」と連携しているので外国人と公共交通を利用する旅行客達に人気の宿泊施設です。最も韓国的でありながらも合理的な価格の実用的な客室と外国語が流暢な若いスタッフがいるので便利で安心して利用することができます。東大門、南大門市場と大型ショッピングセンターが周辺にあるので観光にも最適な場所です。


仁川(西区) , 仁川市街地

1970年5月に史跡第211号に指定された「仁川 景西洞 緑青瓷窯址(インチョン・キョンソドン・ノクチョンジャヨジ)」からは、平鉢や大皿などが主に発掘されており、盤口長頸甁やハンアリ(甕)も出土しました。 ここで作られていた陶磁器は、緑褐色と暗緑色の釉(うわぐすり)が使用されており、不透明かつ光沢がなく、表面に斑点のような模様があり、ここで使われていた窯の傾斜度は22度程で単室窯でした。ここと同じ構造の陶窯址が日本で2ヶ所発見されていることから、仁川 景西洞 緑青瓷窯址の研究結果によっては、陶窯技術の日本流出経路が明らかになるという点で学術的価値が高い場所でもあります。


江原道(江陵市) , 江陵

2004年1月、リニューアルオープンし、きれいな客室と雰囲気あるレストラン、伝統の味が味わえる 韓食レストランと宴会場、ウエディングホールがあり、鏡浦台と海水浴場の間に位置し、 夕方には散歩など、周辺景観を鑑賞しやすい所にあります。


済州道(済州市 ) , 신제주

済州グレイス観光ホテルは済州空港から車で5分の距離で、済州島観光の中心地である新済州にあります。2006年に施設の改修と補修が行われ、より快適に過ごせるホテルになりました。


ソウル(鍾路区)

彰義門(チャンイムン)は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。


釜山広域市(海雲台区) , 海雲台

「ホテルイルア(HOTEL ILLUA)」は大韓8景である海雲台タルマジキルの丘に位置しており、海雲台の海、五六島、冬栢島、二妓台、広安大橋を一望できる最高の展望を誇ります。また、2009年5月には客室をモダンでスタイリッシュにリノベーションしました。


済州道(済州市 )

NEXONコンピューター博物館は約40年の歴史を通して人類の生活を一番早く変化させた革新的なアイディアであり、現在進行形の媒体である「コンピューター」の歴史とその発展に寄与してきた「ゲーム」の歴史を同時に眺望することで私たちの未来を想像することのできる空間です。 * オーピン日:2013年7月27日


忠清南道(牙山市 )

外岩村は礼安李氏の集成村で野生花と秀麗な谷で有名な広徳山と雪華山の下にひっそりとあります。忠清南道の牙山市近郊に位置し、500年前から続く農村の伝統的な風習を体験することができ、外国人を含む多くの観光客が訪れる韓屋ステイです。韓屋は韓国の農民伝統家屋形状で、中にはわらで編んで作った草屋根の家も残っています。民俗博物館という別名があるほど固有の伝統生活が残るこの外岩村は国家指定重要民俗資料第236号にも指定されています。


全羅北道(扶安郡 )

全羅北道扶安郡鎮西面石浦里から北に1.2km程のところに位置する来蘇寺(ネソサ)は、633年に建てられたと伝えられています。 恵丘という僧がこの地に寺を建て、大きな寺を「大蘇来寺」、小さい寺を「小蘇来寺」と命名しましたが、そのうち大蘇来寺は焼失し、今の来蘇寺である小蘇来寺が残りました。保有している文化財には、国家指定文化財4点と、地方有形文化財2点があります。また、保存状態が良い蓬来楼のトイレなど昔からある建築物と近年に新築された無說堂、真華舍、梵鐘閣などの建築物が調和を成しています。 宝物第291号に指定されている大雄殿は朝鮮時代に建てられたもので、自然な古寺の雰囲気が感じられます。境内にはこの他にも高麗銅鐘、法華経折本写本などの国家指定文化財と、三重石塔などの地方有形文化財が保存されています。また、来蘇寺には樹齢約500年になるケヤキの木と、高さ約20m、幅7.5mの樹齢約1000年のケヤキの木があり、蓬来楼の前の庭には樹齢約300年の巨木が植わっています。寺の入口にあるモミの木の林道は、モミの木の香りが漂う魅力的な散策路となっています。さらに、モミの木の林道を抜けると、一柱門の前までは紅葉が植わっており、秋になると紅葉のトンネルができ、紅葉狩りを満喫することもできます。