慶尚南道(統営市 )

慶尚南道統営の洗兵館はイ・ギョンジュン第6代統制使(水軍を総指揮する朝鮮時代の官職)により1605年に建てられた統制営(李舜臣が閑山島に設置した軍営)の客舎です。洗兵館は景福宮の慶会楼や麗水の鎮南館とともに現存する最も広い面積をもつ朝鮮時代の建物として知られています。正面9間・側面5間の一階の合掌造りからなる美しく雄壮な建物で、長台石に基壇に50の柱があり柱と柱の間は全て開放されています。ヨファン山の麓にある洗兵館は、統営の見下ろせるこぢんまりした景観が素敵な場所でもあります。すぐ横には運寿堂など統制営の遺跡も残っています。ここで洗兵は、兵器を磨くという意味で戦争を終えるという意味を含んでいます。


京畿道(高陽市) , 一山

FLOW HOUSE SEOUL(フロウハウスソウル)は韓国で唯一、室内サーフィンを楽しめる施設で、フローボーディング(Flowboarding)時に必要なボード(無料)とスーツ(有料)は現地でレンタルできます。初心者は専門講師から手ほどきを受け、楽しくサーフィンを学ぶことができ、上級者は海に行かなくても人工波でサーフィンを楽しめるため、初心者にも、上級者にも魅力的な場所といえます。


江原道(華川郡)

「氷の国華川のヤマメ祭り(オルムナラ・ファチョンサンチョノチュッチェ)」は、韓国で最も早く分厚い氷がはるという華川地域のきれいな河川に生息するヤマメを釣ったり素手で捕まえられる冬の体験祭りです。ヤマメを素手で捕まえるのはもちろん、冬の遊びを体験したり、ヤマメの試食や料理作り大会などが開かれ、多彩な舞台イベントや公演なども繰り広げられます。


全羅南道(霊岩郡 )

全羅南道霊岩の「湖南の小金剛」と呼ばれる月出山の麓に建てられた鳩林村(クリムマウル)は、百済の王仁博士と道銑国師の誕生伝説の舞台であり、韓国陶器文化の中心地です。 2200年の歴史と伝統が息づく鳩林村の入口にある霊岩陶器博物館(ヨンアムトギパンプルグァン)は、陶器文化センターの建物をリモデリングして2008年4月に再オープンしました。 博物館の常設展示場には、この地域で発掘された土器と陶棺、統一新羅時代の鳩林陶器、朝鮮時代の窯の焼き跡などから発掘された陶器が時代別に展示されており、霊岩の陶器の歴史を一目で見ることができます。また、直接陶器作りを体験することができる工房と霊岩黄土でできた陶器、茶器などの陶器を購入することができる陶器ショップもあります。 博物館の入口に展示された梨花女子大学博物館の二度にわたる発掘調査によって学界で有名になった韓国最初の施釉陶器の窯の焼き跡(施釉陶器、史跡第338号)が目を引き、また、陶器体験工房を含め陶器で作られた椅子やテーブル、かめなどが庭に飾られています。 毎年博物館では、土と陶器をテーマにした様々な企画・特別展示会が開かれています。 周辺には、王仁博士遺跡、道岬寺、月出山国立公園などをはじめとする多くの文化遺跡が点在しており、春には桜の花びらが舞う鳩林村一帯の桜花見通りで「王人文化祭」が開かれます。


江原道(東海市)

望祥海水浴場(マンサン・ヘスヨクチャン)は美しい砂浜と充実した施設で家族の行楽に人気のビーチ。この周辺には他にも玉渓(オッケ)、鏡浦(キョンポ)海水浴場などがあり、望祥と共に東海岸を代表する海水浴場となっています。特にこの望祥海水浴場は1.4kmの白い砂浜や鬱蒼と茂る松林、浅い海水をはじめ便宜施設も充実しており一年を通じて観光客が絶えません。またワタリガニ、さざえ、ナマコ、ホヤ、ヒラメなど、豊富な海産物も特産物として有名です。


ソウル(鍾路区)

セファ.ホステルはソウルの中心である鍾路に位置していて多数の観光地へ便利にアクセスできる。また様々な見どころやショッピングセンターおいしくて有名なレストランが多く、ソウルの飲食文化がより豊かに楽しめる。 国際電話無料サービスとインターネットが無料に使用でき、従業員も英語で対応できるので、外国人の観光客がより便利に利用できる。


慶尚南道(居昌郡 )

蔚山博物館(ウルサンパンムルグァン)は、蔚山の過去と現在、未来をテーマにした蔚山の先史時代から近代までの発展史を展示した歴史館、韓国の産業首都である蔚山の現状を知ることができる産業史館、蔚山に関するあらゆることを感じることができる教育の場であるヘウリ館(子ども体験館)などから構成されており、蔚山の文化のタイムマシーンであると共に、蔚山の市民のアイデンティティを感じることができる空間です。 エコ博物館を目指す蔚山博物館は、高水準の展示と保存空間を有しており、歴史文化を継承・保存することで明るい未来像を提示している、研究と学習、教育の機能が強化された21世紀型の博物館です。 ※オープン:2011年6月22日


江原道(鉄原郡)

鉄の三角地(チョレ サムガクジ)は金化、平康、鉄原を結ぶ地域。この地域は韓国戦争当時の激戦地で多くの死傷者が出たところで、韓国戦争以外にも白馬高地戦闘、五聖山戦闘などがこの三角地帯で起きました。1953年の休戦以後は一般人の出入りが統制されていましたが、韓国戦争の惨状を見せる生きた教育の場として1989年11月から公開されています。北韓(北朝鮮)軍が南侵のための中部戦線の本拠地にしたこの場所は、韓国軍が攻撃するには不利で、敵が防御するには良いという地形的特色を持っています。戦跡地には「鉄馬は走りたい」という看板と汽車の残骸、労働党社、第2トンネルがあります。地域住民の強制募金と労働力動員で作られた地上3階のソ連式建物である労働党社では反共活動をした多くの人々が拷問され虐殺されました。党社裏側に設置された防空壕では現在も遺骨と実弾、針金などが見つかっています。またソウル北方108km地点では北韓(北朝鮮)の南侵用第2トンネルが見つかっています。ここは安保の教育場の役割とともに、渡り鳥の渡来地としても知られています。


大邱広域市(達城郡)

南平文氏の中始祖として知られる三憂堂文益漸の子孫が大邱に入郷したのは500年前と伝えられており、ここ仁興に定着したのは彼の18代目にあたる仁山斎文敬鎬(1812~1874)の時です。彼は文一族の村を作る計画を立て、元来高麗の大刹である仁興寺があった場所に敷地を構え、今日の仁興村を新たに形成したと言われています。先祖代々からの居住地に最初に建てた建物は1820年前後に建てられた斎室、龍湖斎(ヨンホジェ)であり、現在の広居堂のある場所にあたります。邸宅として使用し始めたのは1800年代後半であり、最初は藁ぶき屋根でしたが、その後100年の年月をかけて今の居住地が形成されました。現在70軒あまりの瓦屋根の家が一ヶ所に整然と並ぶこの村は、建築年代は200年未満でありながら、伝統的な嶺南地方の両班家屋の型を守っており、世居地の構成や周囲の景観との調和は、他では見ることのできない村であると言えます。


慶尚南道(晋州市 )

「晋州南江流灯祭り(チンジュナムガンユドゥンチュッチェ)」は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592~1598)の時、晋州城の戦いで南江を渡ろうとする敵軍の攻撃を防ぐために軍事信号として灯籠を流した風習から始まりました。陽が沈むと南江沿いには、願いを記した灯籠と晋州の学生たちがつくった灯籠の作品で長い列ができます。この光景が祭り一番の見どころで、この美しい夜景を見るために、毎年国内だけに限らず海外からも多くの観光客や写真家が訪れます。