忠清南道(牙山市 )

鳳谷寺(ポンゴクサ)松岳面の南端にある鳳首山(ポンスサン)のトンブク渓谷にある古刹です。うっそうと茂る松林に囲まれた入り口と背後に迫る山がこの静かで清らかな道場を一層引き立たせています。渓谷を前にした800坪もの敷地に大雄殿、香閣殿が並んでいて、その北側には「ロの字型」の大きな尞舎、さらにそのうしろには倉庫があります。また敷地の入り口の南側の丘の上には三聖閣があります。この三聖閣と香閣殿は近年建てられたものですが、大雄殿と尞舎は古の雰囲気が漂う木造建築であり1891年の火災に遭い、修復されたものと記録から判断できます。また満空禅士が1895年7月に悟りを開き悟道頌を詠んだ仏教の聖地として知られています。おすすめコース/TIP: 外岩里(ウェアムニ)民俗村、孟氏杏檀、松岳貯水池、広徳山、 講堂(カンダン)コル、顕忠祠、温陽民俗博物館、温陽温泉


全羅南道(木浦市 )

* 李舜臣将軍の戦術とカンガンスルレの伝説が宿る場所 * 露積峰(ノチョッポン)は全羅南道(チョルラナムド)木浦市(モッポシ)儒達山(ユダルサン)にある巨石の頂をいいます。 この頂は壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)将軍が敵を撃退するため利用したことで有名で、李舜臣将軍の地形を利用した高度な心理戦が垣間見える場所です。 壬辰倭乱の際、李舜臣将軍率いる陣営は、軍事的に劣勢な状況を挽回するため、藁を編みこの露積峰の岩を覆うように被せました。この藁を覆った岩がまさに軍糧米の俵を積み上げた露積みの俵のように見え、あたかも軍糧米が大量に備蓄されているかのように敵陣に錯覚させたといいます。 このほかには、住民らに軍服を着させ、露積峰の周囲をずっと回るように指示し、この様子が敵陣にまさに大軍がいるかのように思わせたといいます。また同時に近くを流れる栄山江(ヨンサンガン)に白土の粉を撒き、米のとぎ汁が河口に流れていくかのように見せかけることで、下流にいる倭敵に李舜臣将軍率いる自軍の軍勢を誇示、これを見た倭将が兵士を転じさせ撤退したと言われています。 当時、露積峰の周囲を回る戦術はその後の文化芸術に昇華し、大勢の人で円を描き踊る韓国伝統舞踊・カンガンスルレに発展したという伝説が残っています。


ソウル(中区) , 南大門・ソウル駅

安い値段の麦ご飯が人気の韓国料理店です。 南大門(ナムデムン)市場の麦ご飯路地に位置して在来市場の風情を感じることができます。 麦ご飯、おこわ(チャルパッ)が代表メニューです。 ご飯を注文すればカルグッスまたは冷麺がサービスに出て、2つの料理を楽しむことができます。              


光州広域市(東区)

「大仁市場(テインシジャン)」は、1959年5月に公設市場としてオープンしました。活気に溢れ、にぎわっていた市場は、都市計画によって駅とバスターミナルが移転したことで訪問する人の数が減り、それに伴い自然と店鋪数も減りました。店を閉める商店が増えていた市場が再び活気を取り戻したのは、2008年に芸術家のための「福徳房プロジェクト」がはじまってからです。空になった店鋪は芸術家の仕事部屋やオフィス、工房となり、市場の雰囲気も変化していきました。 現在市場では、土曜日に夜店が開催され、市場と芸術が調和したさまざまなプログラムが用意されています。


京畿道(坡州市 )

京畿道坡州市にあるユイルレジャータウンは朴達山と湖を背景にした自然の中での四季総合休養地である。 客室はきれいに整理されており、付帯施設としては乗馬場、屋外プール、雪ゾリ場、ボート場、ハングライダー、異色自転車、運動場、サウナ、チムジルバンなどが備わっている。また様々な施設が備わっているので、みんなが共に楽しめる。 また、食べ物としては日常では珍しい済州郷土料理も味わってみられる。 有料での朝食サービスもでき、500台の駐車が可能な広い駐車場も便利に利用できる。 そして英語、日本語、モンゴル語の案内サービスも可能である。


全羅南道(潭陽郡 )

即席手作りドーナツ専門店


全羅北道(益山市 )

新羅の景徳王(742∼765)の時代に建てられた寺で、代表的な建物である普光殿を含め合計6つの建物があります。この中で宝物第825号に指定された崇林寺の普光殿は、内部に毘盧遮那仏、阿弥陀仏、観世音菩薩と同様の三尊仏と、仏像を奉る上段の後ろに掛けられた仏教式の絵である後仏幀画が奉られています。崇林寺の入口は、木々や鳥の鳴き声、細道にかかる小さな渓谷などが見え、寺に行く前にすでに心身が晴れるような気分を感じられます。


全羅北道(金堤市 )

聖母庵は維仰山に位置する韓国仏教の曹溪宗の寺院で、伝統寺院111号として指定されています。聖母庵の由来は1562年朝鮮時代に遡り、全羅北道の金堤の有名な僧侶である震默大師(1562~1633)が、母親が亡くなった後に息子である自分と2人の姉がこの世から去った後も、全ての人たちから母親にお香や参拝をしてもらえるようにと「聖母庵」を奉りました。こうしてこの墓は風水地理に従って子孫が無くても1000年間、お参りできる場所となりました。そして今も多くの人たちが願いを成就するためにここに訪れ、お参りをしています。端麗で気品ある作りの墓と墓石には「震黙大聖師尊妣之墓」という立て札が立てられています。


江原道(江陵市) , 江陵

様々な中華料理が味わえる店です。代表的なメニューはちゃんぽんです。江原道のガンヌン市に位置した韓食専門店です。


ソウル(江南区)

炭川(タンチョン)は、京畿道(キョンギド)龍仁市(ヨンインシ)・城南市(ソンナムシ)を流れ、ソウル特別市を経て漢江(ハンガン)に注ぐ漢江の支流のひとつで、流域面積302平方キロメートル、総延長35.6kmに達する準用河川です。 炭川の中流域にある城南市は、市の中心部を流れる25kmの炭川流域とともに開発が進む地域です。炭川を蘇らせる汎市民連帯では、市民の環境保護意識を高め、これを実践に移せるよう、炭川の汚染の実態を調査・分析、それをもとに対策を提案していく活動を行っています。また同時に、炭川を自浄能力がある「自然型河川」にし、子どもたちが心置きなく遊べる河川へと生まれ変わらせることを目標に1999年6月20日、八つの民間環境団体を発足させました。 炭川と呼ばれるようになったのには浄水のため炭を川に入れた、朝鮮時代にこの川の住んでいた南怡(ナミ)将軍の子孫の人物の号に炭の字が入っておりその場所の地名・炭里(タルリ)に由来するなど諸説ありますが、このような言い伝えも残っています。 ある日、閻魔(えんま)様が冥土の使者に十八万年を生きたという東方朔(とうほうさく=中国前漢の文学者。伝説で非常に長寿であったとされている人物)を捕まえてくることを命じました。 しかし東方朔は姿を隠すことにかけては誰にも引けをとらず、冥土の使者も、なすすべがなくなかなか探し出すことができません。 困り果てた冥土の使者は謀をめぐらしこの川の近くで歯が白くなるという理由をつけて炭をしゃぶる奇行に出ました。すると、この使者の不思議な姿を見たある通りがかりの人が 「自分が十八万年も生きているが、こんな風に炭をしゃぶっている人間は初めて見た」と使者に語ったことから、冥土の使者はその人物が十八万年生きたという東方朔であることを見破り捕まえて、閻魔様がいる冥土へと連れて行くことができました。 その時から炭の川という意味の純粋な韓国語「スンネ」あるいは同じ意味の漢字表現・炭川と呼ぶようになったということです。