多大浦海水浴場
 
釜山広域市(沙下区) ,
多大浦海水浴場は釜山市内から約8キロ離れた所にある海水浴場です。淡水と海水が交じり合う洛東江の河口にあり、長さ900メートル、幅100メートルの白い砂浜が美しい所です。この多大浦海水浴場は300メートルまで推進が1.5メートルほどと浅く、家族連れに人気があります。また多大浦海水浴場の浜辺では小さな貝や蟹などを取ることもできて自然学習の場としてもよく利用されるほか、毎年8月には釜山国際ロックフェスティバルが開かれ、海とロックを同時に楽しめる機会になっています。多大浦海水浴場の近くには様々な便宜施設と大規模なキャンプ場があるので、海水浴以外も思いきり満喫することができます。

海岸列車
 
江原道(三陟市) ,
美しい東海岸沿いを走る海岸列車は、特室2車両、一般室1車両、家族室1車両の全4車両となっています。1、2両目の特室は映画館のカップル席のような座席で、窓側を向いています。3両目は、テーブルのある家族席や一般の列車の座席、カフェテリアがあります。4両目は団体席をメインに、3人用の座席や2人用の座席があります。海岸列車は、普通の列車より大きくつくられた窓からは東海の打ち寄せる波と広々とした白い砂浜を一目で見渡すことができる他、列車内部は貝や海の生き物、サメなどのトリックアートが施されています。また、列車がトンネルを通過する際には緑、赤、青色の光で列車の内部が照らされるなど、様々なみどころがあります。

隆陵・健陵
 
京畿道(華城市)
  隆陵 隆陵は朝鮮第22代正祖の父である莊祖(1735-1762)とその妃、獻敬王后(1735-1815)洪氏の合葬陵です。莊祖は朝鮮21代英祖の2番目の息子であり、1736年(英祖12年)に皇太子となりました。さまざまな方面において皇太子としての優れた面貌を備えていましたが、1762年に父・英祖の命令で米びつの中に監禁され亡くなりました。莊祖の陵は元は京畿道楊州郡拜峰山にありましたが、彼の息子・正祖が即位すると華城の華山に移し顯隆園としました。後に莊祖として追尊され現在の位置に墓を移した後、陵号(墓の名前)を隆陵としました。獻敬王后は1744年に皇太子の妻となりました。夫が非業の死を遂げた後、還暦を迎えた1795年、甥・洪守栄の願いで莊祖の惨事を中心にした自伝的回顧録「閑中錄」を残しました。資料的価値の高い「閑中錄」は「仁顯王后伝」とともに宮中文学の双へきを成しています。京畿道華城市安寧洞にある隆陵は、皇太子の墓である本来の形式に木蓮と蓮の模様を刻んだ屛風石を設置し、上界空間と下界空間に分けて空間を王陵のように作りました。上界には陵、魂遊石(魂が出てきて遊ぶようにした石という意味で、王陵の封墳の前に置かれた四角形の石)、 望柱石(墓の前の両側に造られた一対の石柱)が配置されており、下界には文人石(長明燈の左右にある文官の形をした石)、石馬(石で造った馬)が配置されています。健陵健陵は正祖(在位:1776-1800, 1752-1800)と彼の妃の孝懿王后(1753-1821)金氏の墓です。 正祖の遺言に従い父の陵である隆陵から近い場所に安葬されました。莊祖と獻敬王后(惠慶宮 洪氏)の2番目の息子であり、1959年(英祖35年)、8歳で皇太子の長男となりました。党争の渦の中王位についた正祖は、在位24年の間蕩平策(党争の弊害をなくすために各党派で人材を登用した政策)を実施して国を治め、王室の図書館である奎章閣を設置し、学問の研究に大きな業績を残しました。彼の妃である孝懿王后は金時黙の娘で1762年、10歳で皇太子の長男の妻になりました。1776年に正祖が即位し王妃となりました。一生をつつましく暮らし、1821年(純祖21年)に昌慶宮慈慶殿にて69歳でなくなりました。健陵は合葬陵で隆陵の例に従いましたが、屛風石(封墳を保護するために 封墳の下の部分を囲んだ石)を巡らせた点を除けばほとんど隆陵の構成と似ています。 健陵や隆陵とともに同一史跡に指定されました  

晋州城
 
慶尚南道(晋州市 ) ,
晋州城 (チンジュソン) は文禄の役と関係の深いところです。晋州城は三国時代には居列城 (コヨルソン) 、高麗時代には矗石城 (チョクソクソン) と呼ばれていましたが、朝鮮時代に入ってから晋州城と改称されました。石垣造りの城の周りが約1,760メートル、高さは約5~8mあり、城内に井戸と泉がそれぞれ3つずつあり、当時は軍倉もあったといいます。これよりも先立って 『東国輿地勝覧』に掲載されている河崙 (ハリュン 1347-1416年) の『城門記』によれば城の跡だけ残っているため、いつ築かれたのか分からないが、倭寇の侵入が頻繁だった高麗の禑王 (ウワン) 5年 (1379年) に晋州牧使 (※1) に石垣造りにさせたとあります。この時、城の周りは800歩 (※2) で、城の高さはおよそ30尺を越え、義正門 (ウィジョンムン 西側) 、知済門 (チジェムン 北側) 、礼化門 (イェファムン 南側) があり、城外は西側に青川 (チョンチョン) が、南側には長い川 (南江 ナムガン) が流れ、北側には池があり、城と池の間にはお堀があったとあります。このように高麗末期に倭寇の攻撃を防御するための砦に築き直したこの城は、朝鮮先祖25年 (1592) に文禄の役が起きた時、湖南 (ホナム) に進出しようとする外敵を防ぐ関門となりました。城内にはいくつかの楼閣や祠、国立晋州博物館、野外公演会場などがあります。※1 牧使 ‘牧’とは地方行政の単位のことで、これを治めた文官。※2 歩 距離を測る単位。周尺で約6尺。

朴景利文学公園
 
江原道(原州市) ,
朴景利(パク・ギョンニ)文学公園は、小説『土地』の産室である朴景利の旧自宅を公園として造成したところです。敷地面積が3,200坪ほどあり、朴景利が『土地』を執筆していた旧自宅と庭園が当時のままに保存され、周辺には『土地』に出てくる背景をテーマにした3つの公園があります。

洛山寺
 
江原道(襄陽郡) ,
洛山寺(ナクサンサ)は洛山海水浴場から北に4km離れたところに位置した1300年の歴史を持つ寺院。新羅(BC57-AD935)の30代目の王である文武王(661-681)11年(671)に義湘大師(625-702)が建てたもので、寺の中には七重石塔、銅鐘、虹霓門などの文化財があります。中国・唐での留学を終え帰国した義湘が勤行中、観世音菩薩が現われ菩薩が教えてくれたところに法堂を建て、名前を洛山寺と名づけたと言われています。その後幾たびの再建を経て、現在の建物は1953年に建てられたものとなっています。一柱門と虹霓門を通って寺に入ると、法堂の両側にある土と石で作られた瓦ののった土塀や黒竹を見ることができます。また洛山海水浴場の北側にはある銅鐘横の小さな門から小道に沿って歩けば、義湘台と紅蓮庵に行くことができます。この義湘台は、海辺の絶壁の上で義湘大師が座禅をしたと言われるところに建てられた東屋で、紅蓮庵は義湘大師が海辺の洞窟の上に建てた庵。法堂の床下には、直径10cmほどの穴が開いていてそこから真下にある海が見られます。また義湘台を過ぎて右側の坂を登ったとところにある神仙峰には、石造の仏像である海水観音像が海を眺めるように立っており、遠くはムルチ港からも見ることができます。

鎮海内水面環境生態公園
 
慶尚南道(昌原市 ) ,
鎮海内水面環境生態公園は、様々な種類の樹木と花が息づく優れた自然環境と、湿地を維持管理する南部内水面研究所内の遊水地周辺の83.897㎥を環境にやさしい生態公園として造成し、自然学習体験と市民文化休息空間として活用しています。生態公園には約65種の様々な植物が生息しています。

加平四季ソリゲレンデ
 
京畿道(加平郡)
加平ソリゲレンデ(カピョン・ソルメジャン)は年中利用できます。冬季は毎年若干の違いはありますが、大体12月上旬から3月上旬まで運営しています。大部分のソリゲレンデが人工雪を撒いているのに対し、ここはスロープの下にひいてある人工芝生と太陽を背にしているという地域的特性の為、雪が溶けません。他のところより利用期間が1カ月近く長く、冬の終わりまで自然雪でソリを楽しむことができます。また、「水平歩行器(ムービング・ウォーカー)」が設置されているので、そりを持って立っているだけでスロープ出発地点まで移動することができます。大人用と子ども用の2つのスロープがあり、子ども用スロープの横の空間を利用して、スノーハウス(氷の家)と雪合戦場も別に作られています。

峨嵯山
 
ソウル(広津区)
ソウルと九里市にまたがる峨嵯山(アチャサン)は、標高287mの低い山で、山が険しくないため、近くの市民が軽く山登りをするためによく訪れます。40分ほど登山路を登ると漢江(ハンガン)やソウル市内が一望できます。朝鮮時代には、今の烽火山(ポンファサン)を始め、忘憂里(マンウリ)共同墓地地域、龍馬峰(ヨンマボン)などの広範囲の地域をすべてひっくるめて峨嵯山と呼んでいたものと考えられています。この一帯は三国時代に造成されたとみられる20以上の堡塁があり、発掘調査の結果、高句麗の軍事遺跡としての重要性が認められ、2004年に国家指定文化財に指定されました。

利川温泉地区
 
京畿道(利川市)
利川温泉はソウルと京畿道地域からは最も利用しやすい温泉です。日帝強占期から利川は観光名所として開発されてきました。水質は単純泉で、無色、無臭、無味です。塩化カルシウム、塩化ナトリウム、炭酸カルシウム、マグネシウムなどが豊富に含まれ、特にナトリウムが多く含まれているため慢性湿疹をはじめ各種皮膚病、神経痛、婦人病、目の病気などに良いとされています。水温は摂氏30度前後で一度加熱して利用されていますが、噴出量は豊かで屋内プールやその他施設にも温泉水がそのまま使用されています。現在、温泉浴が可能な場所としてミランダ利川ホテルとテルメデン温泉などがあります。