全羅南道 霊岩郡
 
全羅南道(霊岩郡 ) ,
霊岩郡は全羅南道の西海岸側に位置しており、東側は長興郡、西側は西海岸の小さい湾、南側は海南郡と康津郡、北側は羅州市と接しています。全体の面積は565.9平方キロメートル、総人口は58,813人(2015年1月基準)です。2邑9面121里からなっており、郡庁は霊岩邑東武里に位置しています。 *自然環境* 天皇峰(海抜809m)を頂上とする月出山が東南方向に山脈を形成しています。西南部地域は栄山江と栄山湖の周辺に平野地帯が広がっており、東南部は高い地形、北西部は比較的低い地形となっています。霊岩川をはじめとする20あまりの大小の河川が月出山とその周辺の山から流れ出ており、平野地帯を流れ栄山江へと流れ、栄山江は北西方向に流れて行き三湖邑の栄山江河口堰に至り、西海へと流れ出ていきます。 *歴史* 古代―三韓時代(原三国時代)は馬韓に属しており、三国時代には百済の領土に属していました。三国統一後、景徳王の時代に霊岩郡と呼ばれるようになりました。 高麗―995年に安南都護府が置かれ朗州と改称されましたが、1018年に安南都護府が全州へ移ると再び霊岩郡と元の名称に戻りました。この頃、霊岩は湖南・西南部の行政の中心地でしたが、1172年に監務の派遣が始まると郡県が独立し、概ね現在の規模に相当する区域に縮小しました。 朝鮮―現在は海南郡に属している玉泉と松旨が百済時代から冷泉部曲となり朗州に属していましたが、1421年に海南郡に編入されました。 近代―現在の金井面と始終面は羅州に属していましたが、1891年に霊岩に編入され、1895年に羅州部霊岩郡となり、羅州郡に属していた金馬面、元正面、非音面、終南面と珍島郡の命山面を編入しました。純宗の時には、玉泉始面、玉泉終面、北平終面、松旨始面、松旨終面の南部6面に分割され海南に移され、金井面と新北面、始終面など羅州南部3面が復活しました。 *文化* 文化財―永保豊享祭は毎年5月5日に開かれる霊岩郡の面単位の郷土イベントです。徳津面内に組織された永保愛郷会が1979年から孝子、孝婦を表彰し、また1931年5月の兄弟峰独立万歳運動の精神を称え、その生存者と遺族たちを招待し慰労する敬老国楽の宴などを繰り広げます。 その他、日本の飛鳥文化が開花する上で影響を及ぼした王仁博士の業績を称える王仁文化祭りでは、農楽や様々な伝統民俗ノリ(遊び)などを楽しむことができます。 民俗―カンガンスルレは全羅南道の海岸沿いの地域一帯で生まれた婦女たちの民俗ノリ(遊び)で、主に秋夕(旧暦8月15日)の夜に行なわれ、その起源は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)にさかのぼるとされています。

官防堤林
 
全羅南道(潭陽郡 ) ,
全羅南道潭陽にある官防堤林は天然記念物第366号で、潭陽邑を漂って流れる潭陽川北側堤防に造成されています。南山里の東亭村から水北面、黄金里を経て大田面、講義里までその長さは2kmに達します。 官防堤林 は潭陽川が氾濫することを防ぐために作った人工の森で、樹齢200~300年あまりと推定されるムクノキ、ケヤキ、エノキ、桜などの木が植えられています。 特に2004年には山林庁が主催した『美しい森全国大会』で大賞を受賞したほど、その景色は立派で美しく四季を通し観光客の足が絶えることはありません。この他にも官防堤林には彫刻公園をはじめ竹庭園である竹録苑、メタセコイア並木道が隣接するなど見どころがたくさんあります。

良才川の道(양재천길)
 
ソウル(江南区)
河川を延長して15.6kmになる良才川は冠岳山、清溪山から発源し、果川区間にかけて江南まで流れる漢江の支流のひとつです。また良才川に沿って、道谷洞と大峙洞にかけて2.8kmの補助幹線道路は良才川の道と呼ばれます。 良才川の道は、空高く立ち並ぶ約830株のメタセコイアの木々が映える異国的な雰囲気を感じられるのでドライブコースとしても最適です。特にデートコースの名所と呼ばれる「街路灯の道(カロドゥンギル)」は、夜になるとびっしりと並ぶ街路灯の美しい風景を求めて多くのカップルが訪れます。 また果川から江南まで連なっている「良才川サイクリングコース」は、サイクリングサークルにも人気のスポットです。

高霊大伽倻遺跡地
 
慶尚北道(高霊郡 ) ,
高霊大伽倻遺跡地(コリョン・テガヤユジョクチ)はソウルから約4時間のところにある高霊郡全域に広がっています。大伽倻は1世紀頃、韓半島の南側の落東江下流地方で生じ、520年間(A.D.42~562)繁榮して独自の文化を形成しました。しかし、その後6世紀以後に衰退し、一部は新羅(57 B.C.~A.D. 935)に、一部は 百済(18 B.C.~A.D. 660)に吸収されたため忘れられた部族国家となりました。新羅真興王(在位540~576)23年(AD562)に大伽倻郡となり、景德王(在位742~765)16年(AD757)に大伽倻郡から高霊郡へと名前が変わったということです。ここでは、韓国最古の殉葬墓(死んだ人のために多くの人を一緒に生き埋めにすること)である地山洞古墳群、大伽倻王陵展示館、先史時代の代表的な遺跡地である良田洞の岩刻画(宝物第605号)など、さまざまな文化財を見ることができます。 

ダレンイ村
 
慶尚南道(南海郡 ) ,
南海「佳川ダレンイ村」は海辺に挟まれている雪屹山(488m)麓の急斜面を削って石築を積んで作った階段式畑が美しい景色を作り出す所で有名です。ダレンイ村は南側に位置しているので真冬にも雪が降らない暖かい村で、ヨモギとホウレンソウなどの若菜が一番最初に芽を出す場所であり、海風の影響で作物の病害虫発生率が低くて親環境農業が可能な村です。また、田舎の人の情と土の暖かさを感じることができるこの村では、2007年から毎年春に「ダレンイ農業祭」が開かれます。

金永甲ギャラリードゥモアク
 
済州道(西帰浦市)
ドゥモアクは筋萎縮性側索硬化症を患い、身動きさえ困難な体で、旧三達小学校を自分でギャラリーに変えてしまった、写真作家の故金永甲氏の情熱と、済州島の静けさと平和を込めた、彼の作品を鑑賞できる美術館です。風のように済州島の表の顔だけを見て帰っていく観光客には、なかなか感じることのできない済州島の美しさが、彼の作品の中にそのまま表現されています。日の出、草原、海、霧、風、空など自然の生命が、感動的な瞬間として作品に宿っています。心の奥の侘しさまで、彼の作品の中で感じることができます。

新千年海岸道路
 
江原道(三陟市)
三陟市の「新千年海岸道路(セチョンニョンヘアンドロ)」は、奇岩怪石と松林が調和を成す東海海岸の絶景を観賞しながらドライブが楽しめるように海岸線に沿って新しく建設された4.8kmの道路です。毎年12月31日から1月1日にかけて日の出祭りが開催されるなど、日の出の名所としても広く知られています。 特に、道路沿いに32,347人の願い事が刻まれた新千年希望の塔が建てられ、新たな観光名所となっています。

金鰲島
 
全羅南道(麗水市 ) ,
多島海海上国立公園地域でまるで大きなスッポンに似ていることから金鰲島と呼ばれています。さまざまな説話と伝説、民謡、伝統遊びなどが伝えられています。緑豊かな島で朝鮮時代には王室で民間人の入居を禁止して鹿狩りをした場所でもあります。韓国最大のクロダイの産卵地のひとつとしても有名で数種類のタイが釣れることで釣りの愛好家たちに人気の場所です。 * 島の構成 : 金鰲島の他37島 * 面積:42.34平方メートル

草島(麗水)(초도
 
全羅南道(麗水市 ) ,
草島(チョド)は麗水(ヨス)から南西に77km、巨文島(コムンド)から北に18kmの地点に位置しており、周辺には大小の島が浮かんでいます。島に草が多いことから草島という名が付きました。島全体が山地となっており、中央には上山峰(サンサンボン)という山があります。大洞(テドン)、鎮幕(チンマク)、ウィソンの3つの村があり、島の北西側には大洞海水浴場、南西側には汀江(チョンガン)海水浴場があります。上山峰から眺める日の出や、鎮幕からモク島の間にできる海割れは、草島の自慢の観光スポットです。麗水から草島まで毎日1便の旅客船が運航しています。