大関嶺自然休養林
 
江原道(江陵市) ,
韓国一の松の森として有名な大関嶺自然休養林(テグァンリョン・チャヨンヒュヤンリム)は、高さ約17m、太さ約36mにもなる松の木々が生い茂っています。清らかな渓谷の水と青々と茂る緑が見事に調した空間の中に快適な宿所と便宜施設が備えられており、山林浴と共に安らかな休息の時間を楽しむことができます。野生花の庭園や黄土藁ぶき家屋、水車など普段はなかなか目にすることができない物もあり、家族連れやカップルに特に人気のあるスポットです。ただし、宿泊をする場合、休養林内には売店がないため、食料品や洗面道具などは事前にしっかりと用意してくる必要があります。宿泊施設は「森の中の家」と「山林文化休養館」の2つがあります。森の中の家は、部屋の大きさにより3万2千ウォン~11万ウォンの宿泊料金がかかり、山林文化休養館は5万ウォン~9万8千ウォンの宿泊料金がかかります。アクセス方法は、ソウル高速ターミナルまたは東ソウル総合ターミナルから江陵へ行くバスを利用します。江陵ターミナルを降り、於屹里方面行きの市内バスに乗り30分ほど行くと大関嶺自然休養林に到着します。

九里市民漢江公園(コスモス公園)
 
京畿道(九里市)
九里漢江市民公園にはきれいな花がたくさん植えられ市民が楽しい時間を過ごせる憩いの場所となっています。子供たちは自然の大切さを学び、大人は都心を抜け出して休息を取ることができます。5月には菜花が、10月にはコスモスが咲き九里市民だけでなくソウル市民も共にきて楽しむことができる首都圏の名所です。

鎮南館
 
全羅南道(麗水市 ) ,
国宝第304号である鎮南館は現在までに伝えられて来た全羅左水営城の唯一の建物です。壬辰倭乱が終わった翌年1599年、李舜臣の後任統制全羅左水営の李時言が、壬辰倭乱で焼かれてしまった鎮海楼に建てた75間の大規模な宿です。南側を鎮撫する意味から「鎮南館」と言われています。その後、1664年、節度使の李道彬が多少の修理をしましたが、1716年に節度使の李如玉の時に大火災で消失してしまいました。その後、1718年に李載冕水使(水軍の節度使)が再建したものが今日まで残っている建物の骨組みです。1911年、麗水普通公立学校をはじめとし日帝強占期には麗水中学校と夜間産業中学校として使用されました。 建物は全面15間(54.5m)、側面5間(14m)、面積240坪の大型の建物です。八角形の屋根がついている1階建てで支柱が68本あります。鎮南館の正面に建っている望海楼は、日帝強占期に撤去されたものを1991年4月、改築した2階建ての楼閣です。2009年9月に新しく丹青を施しました。鎮南館の付帯施設として鎮南館の歴史と壬辰倭乱について一目でわかる遺物展示館があります。また、週末には麗水市文化観光解説者が詳常駐し、詳しい説明をしてくれます。(既存のチケット売り場に、解説者の連絡先が掲示されています。)全羅南道の有形文化財第33号である麗水石人像が境内に建てられていて周辺の紫山公園、梧桐島、突山大橋、忠愍祠、万聖里海水浴場などがあります。

新世洞七層塼塔
 
慶尚北道(安東市 ) ,
新世洞七層塼塔(シンセドン・チルチュンジョンタブ)韓国最大最古の塼塔で国宝第16号に指定されている、高さ16,8m、幅7,75mの塔です。この塔がある場所の名が法興里であることから、8世紀統一新羅時代(AD654-935)の法興寺の塔であると思われますが、この塔のほかには寺の遺物は何も残っておりません。現在はかつての法興寺跡と思われるところに固城李氏塔洞派の宗宅(本家)があります。塔の相輪部分は失われていますが、塔の下部には仏教の守護神たちが優麗に刻まれています。各層の屋根の上には瓦が使われていた痕跡があります。安東の歴史書である永嘉誌(1608年完成)には1487年に修理が行われた際、法興寺が小規模ながらも存在していたことが書かれています。新世洞(シンセドン)七層塼塔は固城李氏塔洞派の宗宅と安東臨清閣正枕君子亭の近くにあるので、3箇所を一度に見るのがよいでしょう。バスやタクシーを利用して法興地下道前で降り、地下道を渡るとすぐ左に国宝新世洞七層塼塔が見えます。塔の前には固城李氏塔洞派の宗宅があり、宗宅に向かって左側の道を3分ほど歩くと安東臨清閣正枕君子亭です。

竹緑苑
 
全羅南道(潭陽郡 ) ,
「竹緑苑(チュンノグォン)」は官防堤林と潭陽川近くの郷校を過ぎるとすぐ左に見えてきます。竹緑苑の入り口にある石の階段を一つひとつ踏みしめながら上って行くと、凝り固まった体がスッと楽になり、竹林の間から吹いてくる風が日ごろの疲れを癒してくれます。サワサワなびく涼しげな竹の葉の音を聞きながら歩いていると気分もリフレッシュされます。竹緑苑内には竹の葉から流れ落ちる露を飲んで育つという竹露茶が自生しています。竹林浴を楽しんだ後は、竹露茶を一杯飲みながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。

砂時計公園
 
江原道(江陵市)
砂時計公園は正東津の東海と山に挟まれるような場所に位置し、公園の真ん中には公園のシンボルである巨大な砂時計があります。また砂時計公園は目の前の正東津海水浴場につながっています。 正東津砂時計公園は1999年江陵市とサムスン電子が新しい千年を記念するために総事業費12億8千万ウォンをかけて造られました。砂時計公園中の砂時計は直径8.06メートル、幅3.20メートル、重さ40トン、砂の重さ8トンで世界最大の砂時計であり、時計中にある砂が全部下に落ちるのにちょうど1年かかります。 都市が明けた1月1日00:00に時計の上下を変えまた新しい1年を数え始めます。 この巨大砂時計が腰がくびれた形の一般的な砂時計ではなく丸い形であるのは、時間の無限性と東海から浮び上がる太陽を象徴し、時計の下に敷かれた汽車のレールは永遠の時間の流れを意味しています。

ミリネ聖地
 
京畿道(安城市) ,
京畿道安城から北に40里ほど離れており、天の川という意味の美しい韓国固有語で呼ばれているミリネは、韓国最初の司祭である金大建神父のお墓と彼の母親であるウルスラ、金神父に司祭品を与えた朝鮮教区第3代教区長ペレオール主教、そして金神父の遺体をこの場所に安葬した李敏植ビンチェンシオのお墓が並んでおかれている場所です。聖地に入ると静けさの中にも穏やかさが感じられます。信者でなくとも聖地を見渡すと心が洗われるような気がします。この地がミリネと呼ばれるようになったのは、天主教信者が辛酉迫害(1801年)と己亥迫害(1839年)から逃れ、この地に隠れ住み、教友村を形成し、夜になると彼らの家々から零れ落ちる灯が月明かりに照らされ、まるで天の川のように見えたためです。 本来ミリネは、京畿道広州、始興、龍仁、楊平、華城、安城一帯など、初期の天主教宣教地域をなしていた地域の一つでした。そのため、金神父がミリネに埋葬されてから50年後の1896年に初めて本堂が作られた際、この地にはすでに1,600人以上の信者がいました。26歳で処刑された金大建神父は、葬儀も行われないまま、処刑されてから40日後にようやく李敏植ビンチェンシオにより、人の目を避け一週間背負われ、この地ミリネに移され安葬されました。ミリネは1972年から本格的な聖域化作業が始まり、1989年に荘厳な103位聖人記念大聖堂が完成しました。聖地に入ると一番最初に目に入るのが、聖地の真ん中に雄壮に立っている記念聖堂です。この聖堂は天主教103位の諡聖を記念するため建てられたもので、記念聖堂の後ろ側につづく十字架の道には、イエスがローマ兵士に捕まり十字架にかけられ苦しみ亡くなり墓に埋葬されるまでの過程が表された青銅彫刻15点が立っています。金大建神父の墓と銅像、聖母聖堂、ゲッセマネの園(あちこちに転がっている石を自然そのままに利用した園)などを見て歩くには2~3時間所要します。 *金大建 1822~1846(純祖22~憲宗12年) 韓国最初の神父であり、天主教の聖人。洗礼名アンドレア。本貫金海。忠清南道内浦において篤実な天主教徒であった両親のもとに生まれました。その後、天主教の弾圧から逃れ、京畿道龍仁のコルベマウルに移り住みました。幼い頃から祖母と両親から天主教の教えを受けました。1836年(憲宗2年)フランスの神父モーバンから洗礼を受け、神学生として選ばれ、崔良業、崔方済らとともに中国のマカオに渡り、パリ外国宣教会のカレーリ神父から神学をはじめとした西洋学問とフランス語、ラテン語などを学びました。その後マカオにおいて民乱が起きると1839年にフィリピンのマニラに移り、そこで学び6か国語を習得しました。1842年(憲宗8年)フランス軍艦提督セシルの通訳官をした後、数回の失敗の果てに1845年(憲宗11年)故国を離れてから9年ぶりに帰国しました。人の目を避け布教に邁進しながら、その後ペレオール神父を迎えるため、小舟に乗り中国上海に渡りました。 そこで陞品され、24歳の若さで韓国最初の神父となりました。その後、ペレオール、ダブルィ両神父を連れ、忠清南道江景を経て帰国しました。彼は地方伝道に出てから10年ぶりに故郷で母と再会しましたが、父は殉教していました。1846年崔良業と他の神父の入国のため、秘密裏に港を探したことで逮捕されソウルに連行され40回に渡る取り調べを受け、9月に朝鮮時代の死刑執行場であったセナムトにおいて殉教(当時26歳)しました。当時の状況では、斬首され軍門にさらし首にされるところでしたが、憲宗の力でさらし首にはされず、埋葬されることになりました。埋葬40日後に陽城面ミリネに住む李敏植氏により夜7日をかけ運ばれ、現在のミリネ墓地に安葬されました。1925年7月5日ローマ教皇ピウス11世から列福され、1984年5月6日には教皇ヨハネパウロ2世が韓国を訪問し、直接列聖が執り行われカトリックの聖人となりました。

迎日台海水浴場
 
慶尚北道(浦項市 ) ,
横幅1,750m、縦幅40~70m、面積406,613.4平方メートル(123,000坪)規模のの砂浜を持つ海水浴場で、東海方面の海水浴場の中でも最も大きな規模を誇ります。また、近隣には松島海水浴場などもあり夏の避暑地となっています。浦項市内から割と近い距離にあり、お刺身なども味わうことができます。

エコランドテーマパーク
 
済州道(済州市 )
エコランドテーマパークは1800年代の蒸気機関車であるボールドウィン機種をモデルにし、英国で手作りで制作されたリンカーン汽車に乗り、30万坪のコッチャワル原始林を体験できるテーマパークです。30万坪のコッチャワルの敷地には線路が敷かれ、湖も作られており、自然生態体験や散歩やピクニックも楽しむことができます。英国に特別注文し制作した赤い汽車は全部で5台が運行しており、汽車旅行を楽しむ間、神秘の森コッチャワルに生息する昆虫や動物、そしてさまざまな植物に出会うことができます。エコブリッジ、ホバークラフト、エコ風車、ピクニックガーデン、キッズタウン、エコロード、火山灰裸足体験、水上カフェ、トピアリーなど、見て、体験して楽しめます。

抱川アートバレー
 
京畿道(抱川市 )
抱川アートバレーは、放置されていた廃採石場を、抱川市が韓国で初めて文化と芸術の力で環境を復元させ、複合文化芸術空間として2009年に新たにオープンさせたところです。オープン以降、たくさんの人が訪れ、企画展示、週末の公演、企画公演など、様々なプログラムで観覧客を迎え入れています。また、抱川アートバレーの天文科学館では、宇宙科学体験の名所として2014年8月1日に正式にオープンし、遊びと体験ができる宇宙天体科学展示館や最先端4D映像館、星座体験ができる天体観測室などが備えられています。