迦智山道立公園
 
慶尚南道(密陽市 ) ,
海抜1,240メートルの迦智山(カジサン)は奇岩怪石と険しい峰が多いことで有名な山です。サルバウィ(米の岩という意味)、石南寺、オルムコル(氷の里という意味)などの奇岩怪石が見どころです。また山イチゴやトックリイチゴも有名で収穫の時期には多くの人がここを訪れます。秋になると紅葉がきれいで、また山頂付近にひろがるススキ野がとても美しいです。自然景観が秀麗で文化財や観光名所が多くある迦智山は1979年に道立公園(トリプコンウォン)に指定されました。

通度ファンタジア
 
慶尚南道(梁山市 ) ,
迦智山道立公園と通度寺がある梁山市は密陽、蔚山、釜山に隣り合い、西側には洛東江が流れています。慶釜高速道路が市を南北に貫通するように通っていてどの地域からでも行きやすい場所にあります。通度ファンタジアは通度カントリークラブを運営している(株)トンイルリゾートが一緒に運営している、嶺南アルプス・霊鷲山の下に位置した釜山、慶尚南道圏内最大のテーマ公園です。30個以上もの遊戯施設に大型プール、自然湖、イベント広場、大型野外公演場などがあり多様なイベントも開かれます。近くには通度寺があり文化遺跡を見た後に立ち寄ってみる価値があります。

仙遊洞溪谷
 
慶尚北道(聞慶市 ) ,
仙遊洞溪谷(ソニュドン・ケゴク)は古い松と岩壁が調和をなしている九つの曲がった溪谷で仙遊九曲と呼ばれています。 溪谷の巨大な岩石は自然に重なったものだがわざわざ積み重ねたもののように感じられます。昔 神仙が降りてきて遊んだこの溪谷は白い岩盤が河川の底をなし、並んだ 岩壁の間を澄んだ水が四季を通じて流れています。水流が巨大な岩石の上を流れる美しい風景を作っています。 仙遊洞 下流には七愚亭が建てられていて1927年この地域出身の愚隱, 愚石 等 愚字の号を持つ7人の志を合わせて建てた亭子です。.亭子の名前は朝鮮 義親王(1877~1955)が付けたという説もあります。この渓谷に沿って行くと時々亭子も見え岩に字が書かれているのも見ることが出来ます。それ程この渓谷の美しさが人々から愛されてきたためです。

嶺南楼
 
慶尚南道(密陽市 ) ,
* 韓国三大楼閣のうちのひとつ嶺南樓 *密陽南川江の横の衙東山にある嶺南樓は宝物第147号で、晋周の矗石楼、平壤の浮碧楼とともに韓国の三大楼閣のひとつです。この2階建ての楼閣は新羅の五大名寺のひとつだった嶺南寺の付属建築物である小樓でしたが、嶺南寺が廃寺となり、高麗の恭愍王の時代にそれ以前の楼閣を撤去して規模を大きくして建てたという記録があります。現在の建物は1884年に密陽の武士であった李寅在が建てたものです。* 嶺南樓の建物の見所 *嶺南樓の付属建築物として凌波閣、枕流閣、四柱門、天眞宮などがあり、嶺南樓の楼閣には歴史の流れを証明する当時の名筆家達の作品が並べられています。嶺南樓と枕流閣との間には通路でつながっていて建物の配置と構成に特徴があり、壮大な気風で堂々としながらも絵に描いたような美しさを見せています。1931年に朝鮮16景のひとつとして朝鮮総督府が選定した場所でもあります。

金堂渓谷
 
江原道(平昌郡)
海抜1,173mの金堂山、西側の麓に流れる深い山の中の静かな谷が、金堂渓谷です。平昌郡、蓬坪面と龍坪面、大和面の間をうねるこの谷は、平昌川の上流地域にあります。金堂渓谷は思いのほか広く、ほとんどは静かに流れる水流が、ごつごつと岩が突出したところで急流になります。3月下旬から春の風情が漂いはじめ、4月の終わりには、クロフネツツヂが全ての山を覆います。 金堂渓谷は長坪から平昌川の水流に沿って下る方法もあり、安味初等学校から反対に上る方法もありますが、ひとまず大和面所在地から平昌邑方面に下ります。上安味と下安味などに分かれる十字路を別名「セチュコリ」といいます。ここに金堂渓谷の入り口の案内板があり、道を探すのは難しくありません。安味初等学校方面に右にまわり、ケスキョまで舗装道路が続いています。 非舗装道路は国道沿い13.5kmの地点から始まります。ここからもう少し上ると、川の向こうに鳳凰台という名前の奇岩がそびえています。「昔ある人が墓場を作ろうとこの辺の土を掘っていると、突然鳳凰が飛んで行った」といい、この名前をつけたといいます。鳳凰台をあとにして、上流にあがると川の向こうに8.4kmの非舗装道路がでてきます。渓谷の向かいには、水流に沿って奇岩怪石と絶壁が屏風のように広がっており、澄んだ水が流れています。ここは天然記念物第330号のかわうその重要な生息地であり、ナマズもよく捕まります。

台風展望台
 
京畿道(漣川郡) ,
「台風展望台(テプンジョンマンデ)」はソウルから約65キロメートル、平壌から約140キロメートル離れた漣川郡中面ピキ山の最高峰スリ峰にある韓国軍の展望台で1991年12月3日に陸軍の台風部隊で開館しました。初めは軍事境界線から2キロメートル地点に南方限界線と北方限界線が設定されていましたが、1968年に北韓(北朝鮮)が休戦線の近くに鉄柵を設置したため、韓国側も1978年に部分的に鉄柵を設置しました。台風展望台は休戦線まで800メートル、北韓の哨所までは1,600メートルの距離にあり、155マイルの休戦線上、北韓と最も近い展望台として有名です。また、台風展望台には、国軍将兵が宗教集会などを行うための宗教施設がある他、北側が故郷の失郷民の望郷碑や戦跡碑などが建てられている他、展示館には北韓の生活必需品や日用品、武装スパイの装備などが展示されています。    

慶州南山
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
南山は慶州市の南側にそびえる山で、新羅の人々の信仰の対象でした。金鰲峰(468m)と高位峰(494m)の二つの峰から流れ落ちる、40の渓谷と山脈でなる南山は南北8km、東西4kmと、南北に長く伸びた楕円形で、少し南側にかたよった頂上でなり、直角三角形の山です。 100ヶ所の寺跡、80の石仏、60の石塔が点在する南山は屋根のない博物館です。 南山には40の谷があり、新羅の聖地である西南山、弥勒窟・塔窟・釈迦無二窟などたくさんの岩の中に埋まった仏様がいる東南山にわけられます。 南山の西にある蘿井(ナヂョン)は新羅の初代王である、朴赫居世の誕生神話が宿る場所で、陽山斎は新羅建国以前の徐羅伐(ソラボル)にあった始祖を祭った祠です。 鮑石亭は新羅千年の幕を閉じた悲劇の場所です。東南山には韓国の美と慈悲でいっぱいの菩提寺の石仏座像、9mの高さの四角の岩に塔や仏像などを彫った佛無寺の釈迦無二岩、アーチ型に掘った穴の中の釈迦無二窟の石仏座像などがあります。南山には弥勒窟(菩提寺)の石仏座像、龍蔵寺址の三層石塔、七佛庵の磨崖石仏をはじめとした12の宝物、鮑石址、蘿井や三陵をはじめとした12の史跡、三陵窟の磨崖観音菩薩像、入窟石仏、薬水谷の磨崖立像をはじめとした9つの地方有形文化財、1つの重要民俗資料があります。 南山は遺跡だけでなく、自然の景観もすばらしいところです。たくさんの渓谷、奇岩怪石、そしてたくさんの登山道があります。南山が最高だと言う人は「南山に登らなければ、慶州に来たとは言えない」と話します。自然の美しさ、新羅の歴史、新羅の人々の美意識と宗教意識が芸術として昇華したところがここ南山です。

独島
 
慶尚北道(鬱陵郡) ,
独島(トクト / 総面積187,554㎡)は鬱陵島(ウルルンド)の南東87.4㎞の海上にあります。東経131度52、北緯37度14の地点に位置する、韓国で最も東にある島です。新羅(57 B.C.-A.D. 935年)智證王13年(512年)に于山国は新羅領土に帰属し、毎年、于山国は新羅に貢物を献上していたという記録が残っています。朝鮮(1392-1910)時代の「成宗実録」には、金自周が独島の姿を描写した内容が記錄されています。朝鮮時代には独島を三峰島・可支島・于山島などと呼んでいましたが、1881年に「独島」と名前が変更されました。「独島」という名前は1906年 鬱陵郡守・沈興澤により初めて使われ、1914年行政区域改編により、慶尙北道の一部となりました。独島には東島と西島があり、約89の付属島で成り立っています。東島(海拔 98m)には噴火口がありますが、西島(168m)には噴火口はなく、火山岩からできています。東島と西島の間には兄弟洞窟があり東島には海蝕洞窟と海蝕台及び海蝕崖が発達しています。現在独島には韓国の警備隊が駐屯しており、岩の上に家を建て、水質の高い水が湧き出る泉から生活飲料水を供給しています。

銀河寺
 
慶尚南道(金海市 ) ,
銀河寺は慶尚南道金海市三芳洞の神魚山にあります。1900年ほど前、長遊和尙がインドから仏教を伝承してきた後に銀河寺を建てたと伝えられており、規模は大きくありませんが新羅と高麗の多くの僧侶がいた由緒深い寺院です。この寺院は映画『達磨よ、遊ぼう!』のロケ地としてよく知られています。