宝城駅
 
全羅南道(宝城郡 ) ,
「宝城駅(ポソンヨク)」は、慶全線にある汽車駅(普通駅)として営業を始めました。ムグンファ号が運行されており、旅客、貨物、乗車券の発売といった業務を担当しています。 宝城は全羅南道南部の中央に位置し、海洋性気候の影響により緑茶の栽培地として有名です。

キッザニア釜山(키자니아 부산)
 
釜山広域市(海雲台区)
2016年4月にオープンしたキッザニア釜山(プサン)は、全世界で利用実績5000万人を超えるグローバル職業体験テーマパークです。 一般的な遊園地とは差別化を図り、「仕事」をテーマにしたリアルテーマパークで、ソウル・蚕室(チャムシル)に続き韓国で2番目、世界では22番目にオープンしました。 キッザニア釜山は釜山・海雲台(ヘウンデ)にある新世界(シンセゲ)センタムシティモール4階から6階に各種施設があり、釜山及び嶺南エリアの子どもたちを対象におよそ70の本格的な職業体験活動が可能な施設となっています。 キッザニア釜山は大都市・釜山の特色を生かし、地元・水営湾(スヨンマン)を再現した画面を見ながらモーターボートを操船する「ボート操縦スクール」、韓国プロ野球チームの本拠地でもある釜山にふさわしく球質を分析するピッチングカムを通じピッチングフォームなどを学べる「スポーツ放送センター」など、他では体験できない職業体験もできます。 LCC航空会社・JIN AIR、大手食品会社・オットゥギ、流通大手・新世界、公営放送・MBC(文化放送)など国内外を代表する企業、公共機関との提携により、本格的かつリアルな体験コンテンツをお楽しみいただけます。 また観光客の方のニーズに合わせて保護者の方は楽しいショッピングを、子どもたちは専門スタッフのサポートの下、職業体験がお子様だけでできる「一人でキッザニア」、プライベートパーティールームでお誕生日パーティーが可能な「お誕生日をお願い」などさまざまなプログラムもご準備しています。

浄水寺(康津)
 
全羅南道(康津郡 ) ,
浄水寺は全羅南道康津郡の天開山にあるお寺です。浄水寺は全羅南道の有形文化財第101号に指定された大雄殿や山門などがあります。山門の外は壬辰倭乱の激戦地として有名です。南側に約3kmはなれた場所は高麗青瓷陶窯地があります。

栗浦海水浴場(ソルパッ海岸)(율포해수욕장
 
全羅南道(宝城郡 ) ,
爽やかな茶葉の香りいっぱいの宝城ならではの浪漫 栗浦(ユルポ)海水浴場は幅60メートル、全長1.2キロメートルに及ぶ白い砂浜に、およそ樹齢100年の松の木々が林を形成する素晴らしい風景の海水浴場です。 目の前には水のきれいな海域の得粮湾(トゥンニャンマン)の海があり、素晴らしい海の光景を楽しむことができます。目をちらっと浜辺に向けると、小さな漁船が浮かんでいる平凡な小さな漁村に過ぎませんが、茶畑で有名な宝城(ポソン)にある大韓茶園などが有名観光スポットとして浮上してからは、栗浦海水浴場を訪れる観光客も年々増加しています。 1991年国民観光地として指定され、さまざまな各種施設が登場し、韓国で唯一の海水緑茶風呂や9,917平方メートル(およそ3000坪)の規模の人工海水プールもあり、お子様連れのご家族での避暑地としておすすめの場所です。  

徳周寺
 
忠清北道(提川市 ) ,
「徳周寺(トクチュサ)」は、大韓仏教曹渓宗第5教区の本寺である法住寺の末寺です。新羅真平王9年(586年)に創建されたと伝えられていますが、創建者と確かな年代は不明です。言い伝えによると、昔は月蛍山月岳寺だったということです。また、新羅最後の公主(姫)である徳周公主が麻衣太子の一行とここに立ち寄った際、寺を建てて名を徳周寺とし、谷の名称を徳周谷としたと言われています。当時の寺院は、宝物第406号・徳周寺磨崖仏の前に建てられましたが、6・25戦争(朝鮮戦争)で壊れてしまいました。現在の建物は元々の寺址から1.7キロメートルほど離れた所に1970年に再建されたものです。寺の入口に男根石があることから、ここが男児を好む信仰が込められたところだったことがわかります。その他、西側の山の下には4基の浮屠と長台石があります。 6.25戦争により焼けた後、1963年に智岩和尚が5間の因法堂を、1985年に性珠和尚が現在の法堂を再建し、高麗時代につくられた薬師仏を忠州ダムに水没した寒水面駅里からここに移しました。上徳周寺はここから東方の渓谷に1.5キロメートル上がった山の中腹に位置しています。 磨崖仏保護前室、牛公塔、三層石塔、寮舎棟などがあった中原一の寺院でしたが、1951年12月戦禍を被り廃寺となり、今は磨崖仏像、牛公塔、三層石塔だけが現存しています。お堂の建物は法堂と寮舎棟だけとなっていますが、いつの時代のものか確かでない牛塔1基と朝鮮時代の浮屠が4基あります。この牛塔には次のような伝説があります。その昔、寺の僧侶が多くなり、寺が狭くなったため、新たに付属棟を建てようとしたところ、突然大きな雄牛一頭が現われ、木材をどこかに持って行ってしまいました。牛の後をついて行ってみると現在、磨崖仏がある岩の下でした。そのため、そこに寺をつくり、木材をすべて運んだ雄牛が死んだところには牛塔を建てたというものです。

宝鏡寺(보경사)
 
慶尚北道(浦項市 ) ,
宝鏡寺(ポギョンサ)は、智明(チミョン)法師が602年、晋に留学し帰国後創建した寺です。 智明法師は「東海(トンへ)沿岸にある名山の中で風水地理的に素晴らしい土地・明堂を探し出し、自らが晋の、とある道人からもらった八面宝鏡を埋め、その上に法堂(本堂)を建立すれば、倭寇の侵入を防げるほか、隣国の侵略からも受けずに済み、(新羅・百済・高句麗の)三国を統一することになるだろう」といったと言います。 王はこの話を聞き嬉しがり、智明法師とともに東海沿岸を北の方へさかのぼっていくと、海阿県(ヘアヒョン)にある内延山(ネヨンサン)の麓にある大きな池があるのを見つけ、その池の中に八面宝鏡を投げ入れ、池を埋め、その上に金堂を建立し宝鏡寺と命名したと言います。 宝鏡寺は慶北(慶尚北道)三景のひとつに数えられ、素晴らしい景色の場所にあり、渓谷にある十二瀑布は、見る人の心を奪うほどです。また、寺の周囲には鬱蒼と生い茂る松林があります。 * 重要文化財 1) 宝鏡寺 円真国師碑(宝物第252号) 2) 宝鏡寺 僧塔(宝物第430号) 3) 宝鏡寺 五層石塔(慶尚北道有形文化財第203号) 4) 宝鏡寺 寂光殿(宝物第1868号) 5) 宝鏡寺 カラタチの木(慶尚北道記念物第11号) 6) 宝鏡寺 大雄殿(慶尚北道有形文化財第461号) 7) 宝鏡寺 銅鐘(梵鐘)(宝物第11-1号) 8) 宝鏡寺 掛仏(宝物第1609号) 9) 宝鏡寺 瑞雲庵 後仏幀画及び神衆幀画(慶尚北道有形文化財第367号) 10) 宝鏡寺 瑞雲庵 浮屠群(慶尚北道有形文化財第478号)