仙遊洞溪谷
 
慶尚北道(聞慶市 ) ,
仙遊洞溪谷(ソニュドン・ケゴク)は古い松と岩壁が調和をなしている九つの曲がった溪谷で仙遊九曲と呼ばれています。 溪谷の巨大な岩石は自然に重なったものだがわざわざ積み重ねたもののように感じられます。昔 神仙が降りてきて遊んだこの溪谷は白い岩盤が河川の底をなし、並んだ 岩壁の間を澄んだ水が四季を通じて流れています。水流が巨大な岩石の上を流れる美しい風景を作っています。 仙遊洞 下流には七愚亭が建てられていて1927年この地域出身の愚隱, 愚石 等 愚字の号を持つ7人の志を合わせて建てた亭子です。.亭子の名前は朝鮮 義親王(1877~1955)が付けたという説もあります。この渓谷に沿って行くと時々亭子も見え岩に字が書かれているのも見ることが出来ます。それ程この渓谷の美しさが人々から愛されてきたためです。

光陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
京畿道(南楊州市)
京畿道南楊州市榛接邑富平里にある光陵(クァンヌン)は朝鮮第7代世祖(1417-1468、在位期間:1455-1468)とその妃、 貞喜王后(1418-1483)尹氏の陵です。 光陵は王と王妃をそれぞれ別に奉安しました。左の封墳が世祖の陵で、右の封墳が貞喜王后の陵です。二つの稜の中間地点に一つの丁字閣を立てる形式で造られました。世祖は世宗と昭憲王后の間に生まれました。文宗が死に幼い甥の端宗が王位につくと1453年、癸酉靖難(政権を奪い取る目的で反対派を厳しく取り締まった事件)を起こし朝鮮7代王に即位しました。光陵周囲にはさまざまな生物の自生する森が形成されており、山林庁の研究機関が管理を行い、樹木園を造成しました。光陵は天然記念物第11号に指定されているキタタキの生息地として有名です。また、稜の周辺の森はチョウセンマツやモミ、マツ等の老木が広がり、ドライブコースとしても知られています。

帰信寺
 
全羅北道(金堤市 ) ,
帰信寺は676年に義相大師(新羅時代の僧侶)によって創建された寺で、当時は国信寺と呼ばれましたが、新羅時代末に現在の名前になりました。1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の影響で火事となり廃墟と化しましたが、1873年に再建されています。 現在残っている建物は、宝物第826号として指定されている大寂光殿を始めとして、冥府殿、山神閣、寮舎などがあり、重要文化財として帰信寺の3重石塔(地方有形文化財62号)、舎利塔である帰信寺浮屠(地方有名文化財63号)、西側を見ながら横たわる獅子像などに男根石を奉った帰信寺石獣( 地方有名文化財64号)があります。

聞慶ファルコンランド
 
慶尚北道(聞慶市 ) ,
パラグライダーは、スカイスポーツの中でも歴史が新しい方ですが現在一番人気があります。 * 特徴-スカイスポーツのメッカとなっている「聞慶ファルコンランド」は、アクセスが良い全国最高の立地条件が揃っています。聞慶邑はこじんまりした盆地のため上昇気流が形成され、西・南・北風が吹くため安定的気流を維持してくれるので高気圧は全く起こりません。

コレブル海水浴場
 
慶尚北道(盈徳郡 ) ,
「コレブル海水浴場(コレブルヘスヨクチャン)」は、盈徳から北側に24キロメートルを中心とした寧海面の大津海水浴場に近い海水浴場で、鬱蒼とした松林に囲まれています。黄金色の砂粒は大きく、体につかないため、昔からここで砂風呂をすると心臓や循環器系の疾患に効果があるといわれています。砂浜が8キロメートルにもなることから、大津海水浴場とともに東海の名所20里と呼ばれています。長く白い砂浜、浅い水深、きれいなエメラルド色の海、鬱蒼とした松林がつくる涼しい日陰は、家族で楽しむ避暑地として最適です。また、海水浴場内には、シャワー室、トイレ、給水場、売店、駐車場などの便利な施設も揃っています。

磨剣浦海水浴場
 
忠清南道(泰安郡 ) ,
泰安郡南面に位置する磨剣浦海岸は安眠島に続く橋の前にある海水浴場で、まだ多くの人に知られておらず静かな海岸です。周辺には松林があり、キャンプをすることも出来ます。傾斜が穏やかなため、こどもの海水浴にも安全です。

マリンシティ(마린시티)
 
釜山広域市(海雲台区) ,
夜の帳が下りると、華麗な光で一変するマリンシティは、世界的にも有名な香港や上海にも負けず劣らない夜景の名所です。マリンシティの夜景を眺めていると、外国の街にいるかのような気分になってしまうほど。各国の料理が楽しめるレストランをはじめ、レトロなカフェやバーなどもあり、多くの人々が訪れる観光スポットです。  

寧越 清冷浦
 
江原道(寧越郡) ,
清冷浦(チョンリョンポ)は江原道寧越郡南漢江上流地域の地名です。 東、北、西側を南漢江が囲むように流れ、南川は絶壁となっていてまさしく陸の孤島。鬱蒼とした松林に清く澄んだ川の水は寧越八景のひとつとして知られ、避暑を求める人や釣り人に愛されています。朝鮮時代(1392-1910)の第6代王であった端宗(在位1452-1455)がここに流され暮らしたことから有名になりました。 端宗は12歳にして王位に就きましたが、17歳のときに叔父の首陽大君に王位を奪われここに流されました。 昼でも太陽の光が届かないほど松林が生い茂っていますが、その中でも樹齢600年高さ30mにもなる観音松は有名。端宗の悲しみにくれた流刑生活を見守りその心情を聞いてきた松であるということから名づけられました。 清冷浦は胸の痛む歴史もありますが、その景色は他のどこよりも美しく夏には多くの人々が訪れるのです。

高敞申在孝古宅
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
パンソリの集大成、国文学史に関して優れた功績を残した桐里申在孝(1812~1884)の古宅です。パンソリ博物館のすぐ後ろにあり、裏庭は桐里国楽団(桐里は申在孝の号)と牟陽城(倭寇の侵入に備え、1453年に建てられた自然石の城郭。別名高敞邑城)に当たります。重要民俗資料第39号に指定されている申在孝の古宅は1850年頃に建てられ、現在全面5間、側面2間の規模となっておりサランチェと桐の木、井戸などが残っています。