白竜洞窟
 
江原道(平昌郡)
白竜洞窟(ペンニョンドングル)は江原道平昌郡美灘面馬河里に位置しており、全長1.8kmに達する天然石灰洞窟で、川の水面から約10~15m上の地点に入口があります。洞窟の入口周辺には素晴らしい景観を誇る奇岩絶壁があり、昔は洞窟には船でしか接近できませんでした。白竜洞窟は古くから村の住民にはよく知られており、洞窟入口付近に焚き口やオンドルの痕跡があったり、その周囲で土器などが出土したりしたことから、古代から住居として利用されていたものと推定されています。1976年には洞窟のメイン通路の中間にあった握りこぶし大の細い通路が住民によって拡張され、全区間の調査が可能になったことで白竜洞窟内部の景観や学術的価値が学者に知られるようになりました。白竜洞窟の名は、この洞窟を抱く白雲山の「白」と、発見者の名前の最後の字の「竜」とを合わせて付けられたもので、1979年に天然記念物第260号に指定されました。

仁川メディカルツーリズム・サポートセンター(T1)
 
仁川(中区)
仁川メディカルツーリズム・サポートセンター(T1):医療と観光を一度にサポートする空港拠点 1. 概要 仁川国際空港 第1ターミナル(T1)の入国フロア付近にある「仁川メディカルツーリズム・サポートセンター(T1)」は、海外からの旅行者や乗り継ぎ客に向けて、韓国の医療サービスやメディカル観光に関する幅広い支援を提供する案内所です。英語・日本語・中国語などを扱える看護師や相談員が常駐し、単なる医療相談だけでなく、観光情報やウェルネス連携のヒーリングツアーなど、トータルでサポートしてくれるのが大きな特徴です。 2. 主なサービス内容 * 無料健康チェックサービス 血圧計、身体測定器、BMI測定器などを用意し、乗り継ぎの合間や長旅の疲れを感じた際に、無料で自身の健康状態を手軽に確認できます。 * 診療相談・予約 仁川市内や近郊にある医療機関について、専門スタッフが情報を提供。症状に合った施設や診療科を紹介し、必要であれば予約代行も行います。 * ワンストップ メディカルサービス支援 観光情報やイベント案内、通訳・移送(コンシェルジュ)サービス、ウェルネスツアー連携など、“医療×観光”を幅広くサポート。外国人患者と医療関係者が対面で相談できるスペースもあります。 3. 場所と利用方法 * 第1ターミナル(T1) 入国フロア付近、7番ゲート近く 入国審査を終え、荷物を受け取ったあと、7番ゲート付近を目指すと「メディカルツーリズム・サポートセンター」の表示が見つかります。詳しい位置はインフォメーションデスクでも確認できます。 * 営業時間の確認 空港の運営時間に合わせて比較的長くオープンしている場合が多いものの、祝日や特定のイベント期間で変動することもあるため、公式SNSや空港HPをチェックしておきましょう。 4. 利用時のポイント * 保険や書類の準備 海外旅行保険の証書や保険番号があると、治療費の精算や医療機関の紹介がスムーズに進行しやすくなります。 * 症状が重い場合 命に関わる緊急症状や大きなケガの場合は、まず119(韓国の緊急番号)へ連絡、または空港内の救護ステーションへ行くのが最優先。センターは初期相談や予約支援が主になります。 * 言語サポート 英語・日本語・中国語対応が基本ですが、詳しい医療用語に関しては通訳アプリなどを併用するとさらにスムーズに説明できます。 5. なぜ利用すべきか * 乗り継ぎや到着後の体調チェック 無料健康測定機器があり、旅の疲れや時差ボケ、移動中の軽度の体調不良などを手軽にチェックできます。 * 安心の医療相談と観光情報 韓国の医療機関や美容医療、ウェルネスツアー等に興味がある方にとって、専門スタッフから直接情報を得られる機会は大きなメリット。 * インバウンド医療観光のゲートウェイ 治療や検査、エステやヒーリングなど、医療と観光を組み合わせた旅を希望する方にとって、疑問や予約をまとめて解消できる利便性が高い。 まとめ 仁川メディカルツーリズム・サポートセンター(T1)は、海外からの旅行者に向けて、無料の健康チェックから医療機関の紹介、観光との連携まで多方面のサポートを一カ所で受けられる頼もしい窓口です。空港の入国ゲート近くというロケーションも使いやすく、韓国に初めて訪れる方や、医療サービス・ヒーリングツアーを組み合わせた旅を計画中の方にもおすすめ。快適かつ安全な旅のために、ぜひ活用してみてはいかがでしょうか。

聞慶石炭博物館
 
慶尚北道(聞慶市 ) ,
聞慶石炭博物館は、国家機関産業の原動力だった石炭の役割とその歴史的な事実を一ヶ所で集まって体系的に一目瞭然に展示・保存し、後の歴史的な教育の学習場として活用され、かたわらまぎれていく石炭に対する記憶を繰り返し石炭産業の撤退による地域経済の活性化を図ろうと建設されました。 石炭産業は韓国の近代史のひとつの軸でした。聞慶石炭博物館は、このような役割をした石炭に関連する遺物を収集・保管し、また石炭に関連する学術的な資料を集めて解析、整理し、後世にしっかり保存できるようにしています。また聞慶石炭博物館は、石炭と関連した産業、生活史などなどを展示という方法で観客に伝えています。聞慶石炭博物館の展示室は中央展示室(1-2階)、野外展示場、坑道展示場などがあります。石炭は韓国の唯一昔からあるエナジー資源であり、生活の燃料供給と国家機関産業の中枢的な役割として国花経済発展に大きく寄与してきましたは、ガスや石油が供給されるようになり需要が大きく減りました。国内第2位の炭田であった聞慶に石炭博物館を建立し、石炭の役割やその歴史的事実を体系的に展示は、石炭を掘った鉱夫たちの人生を理解し、今を見る社会的な価値を生み出しています。

潅燭寺
 
忠清南道(論山市 ) ,
潅燭寺(クァンチョクサ)は論山(ノンサン)市内から3km程離れた般若山にある寺。昔中国の智安という名僧が寺内に建てた「石造弥勒菩薩立像」を見て、それがあたかもロウソクの明かりのように光るといってこの寺を潅燭寺と名づけたといいます。この像は韓国で最も大きい石仏であり、次のような伝説も残されています。昔ある女が般若山で山菜採りをしていた時に赤ちゃんの泣き声を聞きました。不思議に思った女はその泣き声の元に行ってみましたが、赤ちゃんの姿はなく、かわりに大きな岩が土から出ていました。この話を聞いた役人はこの岩で仏像を作るように命じ、それで作られた像がこの石造弥勒菩薩立像だということです。論山市内より寺まで続く潅燭路に沿って約4キロは桜並木。春になれば美しい桜のトンネルになる道としても有名です。

江陵端午文化館
 
江原道(江陵市) ,
江陵端午文化館は江原道江陵市魯岩洞にある江陵端午祭広報館です。江陵端午祭が 2000年ユネスコ世界無形遺産暫定リストに選定された後、江陵端午祭の広報を目的に2004年2月19日に開館しました。江陵端午祭に重要な、祭祀の儀式、端午グッ(グッ(굿):お祭りが開かれる端午に不正を無くし神々を呼び一緒に遊び楽しみながら市民の安寧と幸せの1年を祈るもの)、ノリの3つについてわかりやすく展示しています。建物は展示堂と公演堂があり展示堂には広報展示及び映像室、資料ショールームと体験コーナーがあります。 展示だけではなく江陵端午祭の核心機関である江陵端午祭保存会や巫俗楽士演習室などもあり関係者から祭りについてわかりやすく説明を受けることも可能です。

徳裕山国立公園
 
慶尚南道(居昌郡 ) ,
1975年に国立公園に指定された徳裕山国立公園(トギュサン・クンニプコンウォン: 1,614メートル)は全羅北道、慶尚南道の2道4郡に渡る広大な公園。1,614メートルの北徳裕山のヒャンジョク峰から1,507メートルの南徳裕山に至る稜線はその長さが17.5キロに達し、高度もまた1,200メートル以上ある他、海抜1,330メートル以上の峰が5つ、大きな渓谷も8つあり、巨大な規模となっています。徳裕山のすばらしい自然景観や寺院や文化財、スキー場などもある他、韓国の10大観光エリアの一つとされる茂朱(ムジュ)九千洞(クチョンドン)は羅済通門から白蓮寺に至る25キロの渓谷一帯を指し、特に九天洞33景が有名。また海抜900メートルの高地に位置する白蓮寺は九天洞渓谷のただ一つの寺刹で、高麗時代に製作されたという三尊石仏が有名で、壬辰倭乱(文禄の役1592-1598)を前後して歴代の高僧たちを数多く輩出した寺としても知られています。四季折々の美しさを誇る徳裕山には約600種の動物と約250種の植物群が分布しており、珍しい朱木(アララギ)の木が群れをなす独特の景色を楽しむこともできます。

高福自然公園
 
忠清南道() ,
高福自然公園(コボクチャヨンコンウォン)にある高福貯水池は、面積77万㎡の大規模な農業用の貯水池です。ライギョ、フナ、コイ、ナマズなど、多種の魚が生息しているために全国から釣り人が集まるようになり、郡立公園に指定されました。公園の指定面積は184万㎡で、五峰山自然林、洞窟、寺院、野外彫刻展示場などがあります。貯水池近くにブドウや桃、梨が栽培されている果樹団地があります。

旧ソウル大学校本館
 
ソウル(鍾路区) ,
若者の通り、文化の通りとして有名な大学路(テハンノ)の中心に文化芸術振興院の建物がありますが、この建物はソウル大学校本館の建物として長年使われていました。元々この建物は日帝強占期の1931年に京城帝国大学本館と建設されたものです。 1922年11月、李商在を代表とする朝鮮教育協会により朝鮮民立大学期成会を結成、1923年3月29日に発起人総会が開催されたことにより朝鮮民立大学の設立運動が本格化しました。日帝はこれを阻止すべく1923年5月京城帝国大学令を公布、翌1924年に京城帝国大学という官立大学を設立しました。 1924年にまず2年制の予科が設置され開校、その後1926年には3年制の法文学部と4年制の医学部を、1938年には理工学部を設置しました。 そして解放後の1946年8月に米軍政により国立ソウル大学校設置令が発表され、今日のソウル大学へと改組されました。 この建物は韓国人建築家朴吉龍が設計、日本人経営の建築会社・宮川組が施工を担当し、1930年8月に着工して1931年10月竣工しました。 1945年の解放以降、ソウル大学校本館として使用されましたが、1972年ソウル大学校がソウル特別市冠岳区の冠岳キャンパスに移転し、その後文化芸術振興院の建物として使われています。 この建物は長方形の形をした鉄筋コンクリート造の構造ですが、部分的に煉瓦と木材も使われています。地下1階、地上部は2階建となっている部分と3階建になっている部分があり、近代合理主義の形態を取り入れた精錬かつ優雅な外観を誇ります。 ※面積-1,628.1平方メートル ※所有者-韓国文化芸術振興院