仁川(甕津郡)

信島・矢島・茅島(シンド・シド・モド)は連島橋で繋がっており、信矢茅島(シンシモド)三人兄弟の島とも呼ばれ、3つの島を一度にまわることができる楽しさがあります。特に、島と島の間を走る自転車の旅が人気を呼んでおり、九峰山、ヘダンファ(ハマナス)トゥルレキル、水気海岸、ペミクミ彫刻公園 など、さまざまな魅力を持つ観光地で思い出づくりができます。 信島は、島の住民たちが善良で信義があるということから名づけられた島で、九峰山が有名です。林道に沿って登山路が整備されており、ツツジやサクラが整然と並びます。また、九峰亭からは西海の景色を一望でき、仁川空港と仁川市の夜景は特に美しいといわれています。 矢島は山と海が調和した美しい景色を誇り、『フルハウス』、『悲しき恋歌』といった人気ドラマの背景にもなりました。水気海岸の砂浜は緩やかで広く、摩尼山が近くに見える他、堤防の道に沿って咲くハマナスは見ものです。 信矢茅島の連島橋を渡り、ヘダンファキルに沿って行くと茅島のペミクミ海岸に出ます。ここには彫刻家イ・イルホの彫刻公園があり、作品と海が織り成す神秘的な雰囲気を求めて多くの観光客が訪れます。


仁川(中区)

虹のような形をしていることから名付けられた虹霓門(ホンイェムン)は、仁川(インチョン)の南北の行き来の不便さを解消するため、鉄道敷設の任を預かっていた日本の工兵隊が1906年に着工、1908年に完成したもので、当初は穴門と呼ばれていました。 各国の租界が作られた当時、朝鮮政府の計画に反対した日本人は、朝鮮や満州への侵略の計画、そして仁川へ集まる日本人の居住地拡大の問題が現実化し、日本人租界の拡大を目論んでいました。 当時、仁川の街の交通事情は大変劣悪なもので、日本人租界や仁川の港から、仁川の街の北側、現在の仁川駅の北にある当時の仁川の中心地・万石洞(マンソクドン)方面へ向かうためには、北西の海岸沿いにぐるっと迂回して行けねばなりませんでした。 そこで、日本人らは比較的、短距離で仁川の南から北への行くことができる、現在の松鶴洞(ソンハクトン)の丘を削り、万石洞へ通じる道を開き、その場所に花崗石造りの虹霓門を築き、測候所などがある北側への進出を企てました。 虹霓門の築造様式は花崗石と煉瓦を同時に使ったアーチ構造で、当時の日本の土木工法や建材を知ることができる比較的原型を留めている史跡として価値があります。


仁川(甕津郡)

仁川(インチョン)沿岸ふ頭からおよそ44Km南西沖に浮かぶ大伊作島(テイジャクト)。島の北西のすぐそばには付属島の小伊作島(ソイジャクト)もあります。 この大伊作島は面積2.57平方キロメートル、海岸線の総延長およそ18Kmで、島民の数は158人(2001年末現在)にすぎない小さな島ですが、澄んだ海ときれいな砂浜、鬱蒼と生い茂る海松の森など手付かずの素晴らしい自然がある島です。 特に引き潮の時に現れる沖州でも憩いのひとときを過ごすことができ、また静かに釣りを楽しみたい方にも最高の環境の島です。 大伊作島はこれまで人々にあまり知られこなかった島ですが、島民の人情も厚く、大変素晴らしい島です。 島内にはクンプラン(チャンゴル)、チャグンプラン、モクチャンゴル、テノミ(界南=ケナム) の各海水浴場4か所があります。いずれの海水浴場もたいへんうつくしい砂浜が広がり、また遠浅の海水浴場となっています。 特にクンプラン海水浴場ではボートに乗っておよそ500mほど沖に進むと陸地でもなく海でもない砂の砂漠のような沖州にたどり着きます。日に6時間ほどの引き潮の時に東西2.5m、南北1Kmの規模で現れるこの沖州では、海で泳いで楽しんだり潮干狩りもできます。 また島にある小高い山・負児山(プアサン)では、キキョウ、ツルニンジン、アマドコロなどの野草の採取もでき、特に山の頂からの眺めは最高で、島の周囲に浮かぶ紫月島(チャウォルド)、昇鳳島(スンボンド)、小伊作島、徳積島(トクチョクド)などの島々を一望できます。 仁川の港から近く、気軽にトレッキングできることから、美しい風景を楽しめる癒しの観光スポットとしておすすめの島です。 島内の主な観光スポットには、引き潮の時に姿を現し満ち潮になると消える砂の沖州、周囲の島々や西海(ソヘ)の美しい夕陽も眺められる負児山展望台などがあります。


仁川(中区) , 仁川市街地

過去と現在が行き交い、歴史と文化が共存する仁川(インチョン)中区(チュング)にある中区生活史展示館。 この中区歴史博物館には大仏ホテル展示館と1960年代から70年代の韓国の生活ぶりが分かる生活史展示館の二つの展示館があります。 大仏ホテル展示館は韓国初の西洋式ホテル・大仏博物館の歴史を紹介する展示館で、生活史展示館では1960年代から70年代にかけての仁川・中区の人々の生活の歴史を垣間見ることができます。 [出典:中区生活史展示館]


仁川(西区)

仁川にある青羅(チョンナ)スパレックスは、サウナをはじめ屋外プールやキャンプ、森林浴、お子様の遊びスペース、火窯などがここ一か所で楽しめる施設です。 仁川国際空港から車で30分ほどと空港かrなおアクセスが抜群で、韓国のチムジルバンがお好きな外国の方々にも気軽にご利用いただけます。


仁川(南区)

水準原点とは韓国の国土の標高を測る基準点のことで、平均海水面との差を測り、1963年陸地に設置した施設物です。 全国の水準点及び三角点の標高もこの原点を基準にしており、測地学及び地球物理学研究の基準に利用されています。 韓国では1914年から1916年にかけておよそ三年間、仁川港(インチョンハン)で発生する干満の差を測定しその平均値を平均海水面と定めました。 このような平均海水面との差を測定し陸地に設置した施設物が水準原点で、この水準原点の標高は26.6871mとなっています。水準原点は基礎となる石の上に花崗石で造られた六面体の設置台を置き、さらにその上に紫水晶で表示しており、小さな円形の煉瓦造りの建造物がこの水準原点の周りを覆い保護しています。 元々、仁川港の干満の差を測定し平均海水面を測定しそれに基づき仁川水準基点を仁川広域市中区(チュング)港洞(ハンドン)1街2番地に設置していましたが、1963年この水準基点を基に精密に測定し直し、現在の場所に大韓民国水準原点を設置、現在もこの水準原点を基準点として利用しています。 水準原点から測定し全国の国土及び主要地方道におよそ2kmおきに設置されている水準点は、各地域の標高の値を測定する基準となります。水準原点は国土の標高を測定する基準点となる重要な施設で、学術的、歴史的価値が大変高いものとなっています。


仁川(中区) , 仁川市街地

仁川郵逓局(現・仁川中洞郵逓局[郵便局])は仁川広域市中区港洞(ハンドン)にある日帝強占期の建物。1982年3月2日仁川広域市有形文化財第8号に指定されました。日帝強占期の1924年、郵便業務を担当するため建てられた近代式の建物で、当時の官庁としては大きな規模です。建設当時の名称は仁川郵便局でしたが、1949年8月に仁川郵逓局と改称しました。 この当時流行した折衷主義の建築様式を単純化した建物で、総面積1,787平方メートル(約540坪)です。正面入口は建物本体から張り出される形で造られ両側に大きな柱を配置、その正面玄関上部の建物本体2階部分からは柱の上部にある屋根などの上部建造物の重さを和らげ装飾が施されている柱頭がない数本の柱で建物を支えています。 当時、行政官庁の建物は上部にドームの形をした塔屋を造るのが一般的でしたが、この建物はこの部分を省略するなど平面構造や外観の細部が基本的な形式からやや外れています。 全体的な構造は煉瓦造りですが、床はコンクリートで施工されています。外部の仕上げは外壁の下部にのみ花崗岩を二段積みにしその上の部分にはモルタルで処理し石造の模様を表現しています。 韓国戦争(1950~1953年)当時の市街戦などにより一部が破損、屋根がスラブ材からスレート葺きに改修されるなどし1957年復旧工事が完了しました。


仁川(甕津郡)

西海(ソヘ)最北端の島・白翎島(ペンニョンド)の龍機院山(ヨンギウォンサン)にある国土クッソム(最果ての島)展望台。この展望台からは双眼鏡で北韓国の島々や陸地を眺めることができます。また山の頂にあることから、左手には新港や沙串(サゴッツ)海岸、右手にはハニ海岸など白翎島の隅々までよく見えます。


仁川(甕津郡)

豆粒ほどの砂利が海辺を覆っていることから、韓国語で豆をコン、石をトルということから、豆のような石が覆いつくす海岸いうことで、コンドル海岸と呼ばれています。このコンドル海岸は天然記念物第392号に指定され、保護されている海辺です。 海岸の総延長は800m、水辺からの幅は30mほどで、豆粒のような砂利はここ白翎島(ペンニョンド)の地質の大半を占める珪岩が割れ波に洗われることにより、石が擦れてこのような玉砂利が広がる海岸になりました。 透き通ったきれいな海水が海辺に打ち寄せる波の音を聞きながら、皮膚炎にも効能があるという天日で熱くなった砂利の上で横になる砂利チムジルも体験できます。 海岸は波打ち際あたりの傾斜が急なため、突然深くなるところもあるため注意が必要です。また潮が引いた干潮の時間帯になると海岸の先の絶壁にある深くえぐれた場所が姿を現します。


仁川(甕津郡)

仁川(インチョン)広域市甕津郡(オンジングン)の大伊作島(テイジャクト)にある負児山(プアサン)クルムタリ(雲の橋/雲のかけはし)は、山の頂付近に登山客のために設置した全長68m、高さ7mの遊歩道を兼ねたつり橋です。 この負児山クルムタリからは、映画やテレビドラマのロケ地に度々なったことのある小島・砂昇鳳島(サスンボンド)やモレソム(砂島)、1967年公開の映画『島の村の先生』の背景となった界南(ケナム)分校が一望できます。