慶尚北道(浦項市 )

横幅1,750m、縦幅40~70m、面積406,613.4平方メートル(123,000坪)規模のの砂浜を持つ海水浴場で、東海方面の海水浴場の中でも最も大きな規模を誇ります。また、近隣には松島海水浴場などもあり夏の避暑地となっています。浦項市内から割と近い距離にあり、お刺身なども味わうことができます。


済州道(済州市 )

NEXONコンピューター博物館は約40年の歴史を通して人類の生活を一番早く変化させた革新的なアイディアであり、現在進行形の媒体である「コンピューター」の歴史とその発展に寄与してきた「ゲーム」の歴史を同時に眺望することで私たちの未来を想像することのできる空間です。 * オーピン日:2013年7月27日


済州道(西帰浦市) , 서귀포

済州特別自治道にある「ダヴィンチミュージアム」はアジアで唯一ダヴィンチのライセンスを保有している体験型博物館です。レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば「モナリザ」、「最期の晩餐」を連想しますが、彼の生涯最高の傑作は古文章であると言えます。レオナルド・ダ・ヴィンチの「秘密ノート」と呼ばれる7,000ページ以上の古文章を再現した作品約200点が常設展示されています。また、多様な展示品を通してルネッサンス時代の代表的な科学者、解剖学者、発明家としての姿まで見ることができます。


全羅南道(霊岩郡 )

王仁博士遺跡地(ワンインパクサユジョクチ)は鳩林村(クリムマウル)の東、ムンピル峰の麓にあり、王仁(ワンイン:百済の学者)が脚光を浴びたことにより彼に関連する遺跡物を復元した場所で、王仁墓(祠堂)、内三門、外三門、文山斎、養士斎、展示館、王仁像などから成っています。この中でも王仁墓(約82.5㎡)には、肖像画と位牌が安置されており、毎年祭祀が執り行われます。王仁博士の誕生した地である聖基洞や博士が飲んだと伝えられている聖泉もあり、誕生した地の横には遺虚碑が建っています。また、月出山の中腹には博士が勉強をしたと伝えられている冊堀や文山齋、養士齋があります。文山齋や養士齋には博士が勉強をしながら故郷の人材を育てた場所で、毎年3月3日には王仁博士の追慕祭を行ったといいます。冊堀の前にある王仁博士の石人像は博士の厚徳を称えるために建てたものといわれています。聖基洞の西にあるトルジョン峠は博士が日本を発つときに同僚や門下生たちとの別れを惜しみ、故郷を振り返って見たことからその名前が付けられました。上台浦は博士が日本から船に乗った場所で、当時の国際貿易港でした。王仁博士は百済人として日本の応神天皇の招待により、論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡り、その経書の知識により応神天皇の信任を受け皇太子の師匠になったといわれています。これが日本文化を開く重要な契機となりました。日本の古事記には和邇吉師、日本書紀には王仁という彼の名前が登場します。王仁博士は論語や千字文を伝えただけでなく、技術工芸の伝授、日本歌謡の創始などに貢献し、政治顧問となり百済文化の伝授を通し、日本の飛鳥文化に影響を与えました。この遺跡地は1985年から1987年の祠堂を始めとする遺跡地浄化事業を始め、王仁公園など聖基洞文化観光事業を継続して行っています。


慶尚南道(統営市 )

1990年、李忠武公の護国精神を称えるためにソウル市が海軍に依頼したもので、制作費22億ウォンを費やし、実物大に復元した亀甲船で、南北分断以降52年ぶりである2005年11月16日に漢江市民公園に停泊していた亀甲船を李舜臣(イ・スンシン)将軍の閑山大捷(朝鮮軍が日本軍を大きく打ち破った戦闘) の勝利の場所である統営に移し展示されることになりました。


京畿道(高陽市)

幸州対戦祭毎年3月14日、幸州山城では壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に日本軍を撃破し、国を危機から救って大きな功績をあげた權慄の幸州対戦を記念した行事とその他多彩な文化イベントが開催されます。多くの人達が参加する中、權慄都元師の掛け軸が奉られている忠莊祠で行われるこの行事は高陽市長が初獻官になり、将軍の魂を呼び出すための儀式など様々な伝統儀式が行われます。もともと、この行事は春と秋の2回行われていましたが、今日では陽暦3月14日に行われていましたが、韓国戦争になって位牌堂が焼失してしまったため、1970年に場所を移動して復元された忠莊祠で行われています。 


ソウル(中浪区)

忘憂山は1933年5月27日、京畿道の林野の一部を京城府が譲渡を受け、共同墓地として使用したのが始まりです。現在、ソウル市内にある唯一の共同墓地であり、総面積490,884坪の中に約28,500基の墳墓があります。1973年3月25日、受け入れる土地の余裕がなくなり埋葬が禁じられました。忘憂里公園には、韓国における子供運動の嚆矢である方定煥、民族代表33人の一人である呉世昌、韓龍雲、天然痘のワクチンの普及の先駆者であり医学者であると同時に国語学者の池錫永、臨時政府内務部書記を歴任した文明煊、東亜日報の主筆と新党の韓国民主党を作った張徳秀、制憲国会議員であり進歩党の党首であった曹奉岩等が安置されており、この七人の著名人の年譜碑が公園内の遊歩道が造成された時の97年2月に建てられました。また、98年2月に詩人の朴寅煥、文一平、徐丙浩、徐東日、吳哉泳、徐光朝、劉相奎、教育家の呉兢善と、八人の年譜碑が追加で設置され、歴史教育の場として活用されています。その他にも独立運動家の金貞奎、画家の李仲燮、小説家の桂鎔黙、 金末峰、 金利錫、 催鶴松、作曲家の蔡東蘚、ジャーナリストの 薛議植、政治家の李炳洪、歌手の車重楽、親韓日本人の浅川巧、朝鮮時代の純祖の長女である明温公主などが安置されていることが、最近明らかになりました。また、忘憂洞山57-1番地一帯の忘憂里公園内の循環道路5.2キロをアスファルトコンクリートで舗装した遊歩道があります。遊歩道の名称は公募により98年5月、「思索の道」に定められ、都市環境と調和した自然の観察路、総合案内板、東屋、湧水などが新しく設置され、区民の憩いの場であると同時に自然が満喫できる公園として多くの人々に愛されています。


江原道(平昌郡)

標高850m~1470mの高地に位置する大関嶺一帯の600万坪の高山遊休地を開拓してつくられた東洋最大規模を誇る「エコグリーンキャンパス(旧大関嶺三養牧場/テグァンリョンサミャンモクチャン)」は、広大な青い草原が広がり、遠くには江陵や注文津市内、そしてさらに東海の海まで見えます。牧場の頂上である黄柄山からは東に江陵の鏡浦台、注文津、連谷川、小金剛渓谷が見え、西には大草原がパノラマのように広がっており、牧場の全景が一目で見渡せます。 


全羅北道(益山市 )

益山市金馬面東古都里と新龍里一帯に位置する彫刻公園で、面積は132,000㎡ほどあり、2004年に完工しました。韓国の有名彫刻家の作品が68点展示されており、三韓時代の部族国家であった馬韓の生活像が一目で見られる馬韓館があります。展望台などの憩いのスペースや釣りのできるスポット、プロムナードが造成されており、近所の人々だけでなく、観光客もよく訪れる公園です。


京畿道(竜仁市) , 龍仁

JISAN COUNTRY CLUB(チサンカントリークラブ/ジサンカントリークラブ)の静けさと深い森、自然の趣とともにするコースの美しさは、余裕のあるひとときを与えてくれます。36のホールと調和した大池はチャレンジ精神を呼び起こし、多彩な池はホールの戦略であると同時に美しい景観を演出します。