京畿道(漣川郡)

漢灘江一帯は、火山活動の影響で溶岩石が多い地域です。また、漢灘江一帯は景観が美しいことから以前から観光名所としても知られていました。漢灘江の下流エリアにある漢灘江国民観光地は、漣川郡全谷里の漢灘橋とサラン橋の間の川沿いに1.5kmに渡って作られました。北韓の平康方面から始まり、鉄原、抱川、漣川地域を流れる臨津江と合流する漢灘江は、特に渓谷が絶景で渓谷の左右の絶壁は珍しい形の岩からなっており、この他にも周囲のあちこちに景色の良い所が多いです。また、川上には孤石亭や蓴潭溪谷が、川下の遊園地の近くには各種行楽施設が並んでいます。漢灘江の氾濫により何度も地域のインフラ施設が破壊されてしまったことを契機に、漢灘江国民観光地は造成されました。漢灘江が見渡せる絶好のスポットに位置する漢灘江観光地には、オートキャンプ場や恐竜をテーマにした子どもキャラクター園、子ども交通ランド、水遊び場、生態池、サッカー場などの施設が整備された家族で訪れ休息できる休養地です。


江原道(東海市)

墨湖港は1941年8月11日に開港し、無煙炭中心の貿易港の役割をすると共に漁港としても発展し今日に至っており、墨湖灯台は1963年6月8日に建てられ航海する船舶の安全運航に寄与しています。海抜高度67mのところに立つ墨湖灯台は高さ12mの2階建ての構造になっており、春になるとレンギョウの花が華麗に咲き誇り海を眺望することのできる小公園が造成されています。小規模の海洋水産広報館は海洋水産の変遷史を伝えており、小公園はここを訪れた観光客と地域住民たちに見どころと安らぎの休息空間を提供しています。特に墨湖公園の小公園には1968年のチョン・ソヨン監督作の映画「憎くてももう一度」の主要ロケ地であることを記念するために2003年5月に「映画の故郷」記念碑が建てられました。墨湖灯台は墨湖地域の海岸地域の最も高いところに位置しており海から容易に灯台を識別できるようになっており、2003年10月に設置された韓国国内技術をもって開発されたプリズムレンズ回転式大型燈明機の光は42km先からも識別が可能です。灯台から海を見下ろしながら歩いていく散策路には吊橋が掛かっており、2009年に放送された大人気ドラマ「華麗なる遺産」のロケ地となりました。 墨湖灯台は、地域住民たちと観光客たちに見どころと安らぎの休息空間を提供するために2007年に海洋文化空間として手を加えられたことで観光客が沢山訪れる名所となりました。また一味違ったみどころを提供するために色とりどりの光を演出するLED照明灯を設置し、夜間に美しい光を演出しています。 墨湖魚市場の向かい側から伸びている灯台上り坂の道は、路地ごとに住民たちが書いた詩や絵が壁に描かれています。  


全羅南道(求礼郡 )

全羅南道文化財資料第35号に指定されている泉隠寺は統一新羅時代に創建された古寺として智異山の西南側に位置しており、大韓仏教曹渓宗 第19教区の本社である華厳寺の末寺として華厳寺、双渓寺とともに智異山3大寺刹の1つに選ばれています。泉隠寺は智異山の中でも特に明るく温かい場所にあり高く深い渓谷から流れ出る澄んだ水が寺の横を流れ、周りは雄大な山々に囲まれています。泉隠寺のもともとの名前は、興徳王3年(828年)にインドの僧侶と韓国の徳雲祖師が寺を創建した当時、境内に露のように冷たく澄んだ泉が湧いていることから甘露寺と呼んでいました。この泉の水を飲むと心(精神)が洗われるといい多くの僧侶たちが訪れたり、高麗の忠烈王の時には「南方第一寺刹」に昇格されたりしました。ところが、仁辰倭乱で寺が燃え改築した際、大きな蛇が泉によく現れ、捕まえて殺したところ泉の水が出なくなったといいます。そこから「泉が隠れた」という意味で名前を泉隠寺に変えましたが、その後も何度も火事と災難にみまわれ、村人たちは寺を守っていた蛇を殺したせいだと恐れました。この知らせを聞いた朝鮮4大名筆の1人である李匡師が、まるで水の流れるような書体で“智異山 泉隠寺”という文字を書き門に掛けたところ火事が起こらなくなったといいます。泉隠寺内には法堂である極楽殿(全羅南道有形文化財 第50号)と泉隠寺極楽殿、阿弥陀後仏幀画(宝物 第924号)があり、また李国師が文字を掛けた門を抜け、独特で趣あふれる垂虹楼を過ぎるなど、お寺を訪ね行く楽しみもあります。


全羅北道(淳昌郡 )

淳昌邑白山里の伝統コチュジャン民俗村の前にある醤類博物館(ジャンリュ・パンムルグァン)は、コチュジャンやテンジャンなどの醤(ジャン)類を展示した常設展示場をはじめとし、郷土文化遺産を展示した企画展示室、屋外広場などから構成されています。常設展示場には、醤類の歴史や醤を漬ける方法、醤類の容器の展示や、発酵過程観察室など各種体験および遊びの空間もあります。特に、野外広場には醤類の入った甕などを並べて置いておく高台や、ひき臼をひく水車や百済時代の古墳などがあります。


忠清南道(舒川郡 )

舒川八景のひとつ「馬梁里ツバキの森」は、8,265平方メートルの敷地内に樹齢約500年のツバキ80本あまりが生い茂っています。その成り立ちには、いくつか言い伝えがあり、ひとつは約500年前、馬梁の水軍僉使(水軍の武官)が、海辺にある花を増やせば村が繁栄するだろうという夢のお告げを実行し、森ができたというもの。もうひとつは、漁に出た夫と子どもを海で失くした老婆が沖合いで天に昇る龍王を見て、龍王を敬い怒りをおさめなければならないと考え、夢のお告げによりツバキの種を得て、それを撒きツバキが生い茂ったとされるものです。 ここは、韓国では数少ないツバキの森であり、また、気候面においてツバキが生息できる北の限界線上に位置するという植物分布学的な価値もあります。さらに伝統的な豊漁祭や伝説もあることから文化的価値も高いとされ、1965年には天然記念物第169号に指定されました。 ツバキは、ツバキ科に属し、韓国を含め日本や中国などの暖かい地方に分布しています。韓国では南側の海岸や島でみられます。ツバキは普通、高さ7メートルくらいまで育つ暖温帯性常緑広葉樹ですが、ここのものは強い風を受けるため約2mしか伸びず、横に広がっています。また、森の西側は風が強いため、残っているツバキは数本で、東側に約70本が分布しています。花が咲く時期によって「チュンベク(春栢)、チュベク(秋栢)、トンベク(冬栢)」と呼ばれ、馬梁里のツバキは春に咲く「春栢」です。常緑性の高木で、厚く光沢のある濃い緑色の葉がたくさんついており、とてもきれいです。3月下旬ごろから花が咲きはじめ、緑の葉と紅い花のコントラストは美しく、5月初旬ごろまで訪れる人々の目を楽しませます。森の頂上には東屋「冬柏亭」があり、ここから、海に浮かぶオリョッ島や美しい夕日が一望でき、まるで水墨画のような世界が広がります。さらに、ここは地理的特性により日の出と日の入りがどちらも見られるとして人気のスポットとなっています。また、冬柏亭の近くには馬梁タンチプと呼ばれる豊漁祭祠堂があり、その昔から、毎年ここで大漁と安寧を祈願する祭祀が営まれています。    


京畿道(水原市) , 水原

ミスタートイレットこと沈載徳(シム・ジェドク)氏は世界トイレ協会の創立を記念し、30年以上住んでいた家を取り壊して便器型の家を建て、解憂斎(ヘウジェ)と名づけました。解憂斎とは「懸念を解く空間」という意味で、寺院のトイレを意味する解憂所(ヘウソ)に由来します。2007年3月に工事を始め、同年11月1日に完工し、便器型の家「解憂斎」は2007年にギネスブック韓国記録院から「もっとも大きなトイレ造形物」という記録を認められ、国内外のマスコミから注目されました。沈載徳氏が亡くなった後、彼の意思により遺族が2009年7月に水原市に寄贈し、改修が行われました。水原市トイレ文化展示館「解憂斎」は2010年10月30日にオープンしました。


全羅南道(霊岩郡 )

霊岩郡は全羅南道の西海岸側に位置しており、東側は長興郡、西側は西海岸の小さい湾、南側は海南郡と康津郡、北側は羅州市と接しています。全体の面積は565.9平方キロメートル、総人口は58,813人(2015年1月基準)です。2邑9面121里からなっており、郡庁は霊岩邑東武里に位置しています。 *自然環境* 天皇峰(海抜809m)を頂上とする月出山が東南方向に山脈を形成しています。西南部地域は栄山江と栄山湖の周辺に平野地帯が広がっており、東南部は高い地形、北西部は比較的低い地形となっています。霊岩川をはじめとする20あまりの大小の河川が月出山とその周辺の山から流れ出ており、平野地帯を流れ栄山江へと流れ、栄山江は北西方向に流れて行き三湖邑の栄山江河口堰に至り、西海へと流れ出ていきます。 *歴史* 古代―三韓時代(原三国時代)は馬韓に属しており、三国時代には百済の領土に属していました。三国統一後、景徳王の時代に霊岩郡と呼ばれるようになりました。 高麗―995年に安南都護府が置かれ朗州と改称されましたが、1018年に安南都護府が全州へ移ると再び霊岩郡と元の名称に戻りました。この頃、霊岩は湖南・西南部の行政の中心地でしたが、1172年に監務の派遣が始まると郡県が独立し、概ね現在の規模に相当する区域に縮小しました。 朝鮮―現在は海南郡に属している玉泉と松旨が百済時代から冷泉部曲となり朗州に属していましたが、1421年に海南郡に編入されました。 近代―現在の金井面と始終面は羅州に属していましたが、1891年に霊岩に編入され、1895年に羅州部霊岩郡となり、羅州郡に属していた金馬面、元正面、非音面、終南面と珍島郡の命山面を編入しました。純宗の時には、玉泉始面、玉泉終面、北平終面、松旨始面、松旨終面の南部6面に分割され海南に移され、金井面と新北面、始終面など羅州南部3面が復活しました。 *文化* 文化財―永保豊享祭は毎年5月5日に開かれる霊岩郡の面単位の郷土イベントです。徳津面内に組織された永保愛郷会が1979年から孝子、孝婦を表彰し、また1931年5月の兄弟峰独立万歳運動の精神を称え、その生存者と遺族たちを招待し慰労する敬老国楽の宴などを繰り広げます。 その他、日本の飛鳥文化が開花する上で影響を及ぼした王仁博士の業績を称える王仁文化祭りでは、農楽や様々な伝統民俗ノリ(遊び)などを楽しむことができます。 民俗―カンガンスルレは全羅南道の海岸沿いの地域一帯で生まれた婦女たちの民俗ノリ(遊び)で、主に秋夕(旧暦8月15日)の夜に行なわれ、その起源は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)にさかのぼるとされています。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

済州の馬文化を簡単に楽しく理解して体験することができるポニー体験公園は朝鮮時代最高の馬を飼育した甲馬場があった加時里村に600年、牧畜文化の歴史を残しています。農林部が支援する「新文化空間造成事業」の一環として造られたポニー博物館に村会の努力で乗馬場所、カフェ、ゲストハウス、キャンプ場、アートショップ、体験場などがある複合文化空間として造られました。村で設立した韓国国内最初の専門博物館であり、村の歴史と文化をテーマにした文化空間として新しい形式のコミュニティビジネスモデルとして大きな意味を持っています。 ※2012年9月8日オープン


江原道(春川市) , 春川


忠清南道(天安市 )

民謡「興打令(フンタリョン)」で有名な天安サムゴリ(三叉路)を記念し作られた公園です。 天安サムゴリは昔から北はソウル、南は慶尚道の大邱、慶州、西は全羅道論山、光州、木浦へ繋がる道が分かれる三南大路の分岐点として知られています。 ちなみに天安サムゴリ公園(天安三叉路公園)が位置する場所は昔、三叉路があった場所から約500m離れたところにあります。