江原道(平昌郡) , 平昌

2008年5月、江原道・平昌郡にあるフェニックスパーク内に地中海の雰囲気の漂うウォーターパーク「ブルーキャニオン」がオープンしました。江原道の澄んだ空気と渓谷のきれいな水を利用したブルーキャニオンは、室内外合わせて22,336.19m²の規模です。 ブルーキャニオンの室内外はブルーホワイトトーンでデザインされ、さまざまな水遊び空間が用意されています。まるでローラーコースターに乗ったようなスリルが満喫できるスライダーなど利用客に人気のある施設がたくさんあります。    


江原道(束草市) , 束草・雪岳山

蔚山岩(ウルサンバウィ)は6つの花岡岩の峰からなり、周径が4kmにも及ぶ岩壁。蔚山岩の頂上に登れば、雪嶽山のすばらしい景色や東海、達磨峰、鶴沙坪の貯水池一帯を見渡すことができます。この蔚山岩の名前の由来は3通りあります。一つはウルタリ(垣根)のような形をしているので「ウルサン」と言うようになったと言う説と、慶尚南道のウルサン(蔚山)の地名にちなんだと言う説と、「ウン・ヌン・サン」(泣く山)を漢字に当てはめたと言う説です。また、空から雨が降って雷が落ちる音が、まるで山が泣いているように聞こえるので天吼山とも言われています。蔚山岩の頂上まで(約4km)歩いて登るには約2時間ほどかかり、神興寺前を過ぎて広い道を10分歩き外側の道に回ると橋に出てきます。この橋を渡ると右側には安養庵があり、更に25分ほど歩くと、左側に内院庵があります。この休憩所から継祖庵までは10分(約300m)ほどで、丸く大きな岩の下の洞窟にある継祖庵には、人が一人でも押したら揺れ岩(フンドゥルバウィ)があります。継祖岩は天然の岩洞窟を利用した東屋で、揺れ岩の前に立てば継祖庵の後ろに蔚山岩の姿を見上げることができます。継祖庵から約500mほどの急な道を登れば、東洋一の大きさを誇る蔚山岩があります。高さは950m、四方は絶壁で、808の階段の鉄製の橋が取り付けられているので、誰でも楽に頂上まで登ることができます。


済州道(済州市 ) , 済州東部

済州島の済州チョルムル自然休養林は漢拏山の北東側のチョルムオルムにある休養林で、杉林が美しいことで有名な場所です。チョルムオルムは高さが約650メートルほどで火山活動によってできました。チョルムオルムの頂上からは城山日出峰や済州市内が一望できます。休養林内にはウォーキングコース、蓮池、展望台、薬水場、芝生広場などの施設や宿泊施設もあります。予約はホームページで行うことができます。ホームページ:http://jeolmul.jejusi.go.kr/(韓国語)* 宿泊料金 (林の中の家) 4人:ピーク期(7~8月)および週末-67,000ウォン / 非ピーク期-37,000ウォン   6人:ピーク期(7~8月)および週末-85,000ウォン / 非ピーク期-46,000ウォン   8人:ピーク期(7~8月)および週末-120,000ウォン / 非ピーク期-69,000ウォン  11人:ピーク期(7~8月)および週末-135,000ウォン / 非ピーク期-81,000ウォン


済州道(西帰浦市) , 서귀포

「神の蓮池」という意味を持つ天帝淵(チョンジェヨン)は、3段の滝からなっています。天帝淵瀑布の周辺の林には松葉蘭などの珍しい植物が自生しています。第1瀑布(高さ22メートル、水深21メートル)から流れ落ちる東側の岩洞窟の天井からは冷たい水が流れ出していますが、現在は水泳が禁止されています。瀑布から流れ出る水は第2瀑布、第3瀑布になり海に流れ込んでいます。天帝淵渓谷には「仙臨僑(七人の仙女を彫刻したアーチ型の橋)」と「天帝楼」と呼ばれる8角の楼閣が建てられています。七仙女と呼ばれる仙臨僑は天帝淵と中文観光団地に続く橋で128メートルにもなります。天帝楼の外壁には天帝淵の伝説がこめられた仙女図と神仙図が描かれています。毎年、偶数年の5月には、七仙女祭りが開かれています。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

錠博物館の「錠」は、鍵を意味する錠です。生涯を鍵屋の店員として過ごした後、江南に「チェガ鍵屋」を開いたチェ・ホンギュ氏が全財産をかけて建てた博物館で2003年11月に開館しました。韓国の昔の鍵や、世界各国の珍しい鍵をテーマとした博物館で、消え去りつつある韓国様々な鍵を収集、保存、研究し、一般に展示することで韓国の鍵の美と、優秀性を知ってもらうことが目的です。錠博物館は、鍵に関する新しい見方を一般の人々に伝え、疎通するコミュニケーションの場になり、また観覧する人自らが鍵に関する文化的意味と美学的意味を理解・学習できる機会を提供しています。


大邱広域市(中区)

徐相敦(ソ・サンドン/1851-1913)は、朝鮮時代末期の企業家で、官僚でもあり民族独立運動家でもありました。大邱で紙屋と反物商として成功した人物で、政府の検税官となり租税の管理の役も担いました。1907年、政府が日本からの多額の負債を抱え、国権を失うと考えた彼は、大邱広文社の社長である金光済と共に国債報償運動を繰り広げました。大邱市は、桂山洞の李相和古宅の横にあった徐相敦の生家を復元し、国債報償運動記念公園を造成し、銅像を建てるなど彼の志を称えています。


大邱広域市(達西区)

ヨーロッパ式都市公園、E-WORLD(旧友邦タワーランド)E-WORLD(旧友邦タワーランド)は1987年10月にタワー建設及び総合テーマパーク造成工事再着工を始め、1993年に総合テーマパークマストプランを確定後、1995年3月に開場しました。瀑布、噴水、照明、花で飾られたヨーロッパ式都市公園で老若男女誰でも楽しむことができ、乗り物、展示、芸術空間、食堂街などがあります。E-WORLDには各テーマ別に広場を作り、訪問客に新鮮さと楽しさと与えています。チケット売り場を通ると入り口に進入広場、ランドの中央に位置する中央広場、子ども達の遊び場である子ども広場、若者達のための空間がヤングタウン広場などが代表的な広場です。83タワー(旧友邦タワー)概括の現状83タワーランドには展望台、デジタル体験館、企画展示館などの教養施設と子どもの遊び場、ゲームセンターなどの施設があります。そしてランド内に回転レストラン、スカイラウンジなど5ヵ所飲食施設があり多様な料理を提供しています。


忠清南道(扶余郡 )

 百済文化の宝庫、扶蘇山と扶蘇山城扶余の市街地の北側に紺碧の林が続く海抜106mの低い扶蘇山が一番最初に目に留まります。扶蘇山には数多くの百済の女性達が花びらが散っていくかのように自らの死で節義を守った落花岩、百花亭、泗沘楼、半月楼、宮女祠、皐蘭寺、扶蘇山城(史跡第5号)、迎日楼、成忠・興首・階伯の百済忠臣を祭った三忠祠、穀物の倉庫だった軍倉址、百済の軍人の穴蔵である竪穴住居址など百済の歴史と百済王室の話が至る所に潜んでいます。「三国史記」の百済本紀には泗沘城、所扶里城と記録されていますが、山城があった山の名前をとって扶蘇山城と呼ばれています。この山城は百済の首都であった泗沘土城の一環であり、王宮を守護するために538年に首都の遷都前後の時期に築造されたものであると考えられており、これ以前の500年頃、すでに城山が築造されていた可能性があります。その後、605年に大々的に改築が行われたと推定されています、一方、一部の城壁は統一新羅時期に修築され、高麗と朝鮮時代にはその地域の規模に合うように縮小されて利用されていたと考えられています。  百済の文化に出会う、扶蘇山の遺跡地* 三忠祠扶蘇山城の正門である泗沘門を過ぎて少し歩いて上がっていくと三忠祠があります。外三門と内三門を過ぎて書堂に入ると百済末の三忠臣である成忠・興首・階伯の肖像画と位牌が祭られています。毎年10月の百済文化祭の時に祭祀を行い、3人の崇高な救国忠節を称えます。* 迎日楼迎日楼は扶蘇山城の一番東側の峰に建てられた百済王と貴族達が遠く鶏龍山の連天峰からの日の出を見て国政と国の平安、百姓達の平安を祈願した迎日台に立てた楼閣です。*軍倉址別名、万里蔵と呼ばれていたこの場所は1915年に焼かれたお米が発見された軍隊の穀物を保管していた倉庫です。* 竪穴住居址軍倉址を少し過ぎると穴蔵が見えます。穴蔵は百済の時に軍人達の穴蔵を発掘、復元したところで、1mほど掘って四方を木やわらで塀を囲った後、わらの屋根を置いた様子です。穴蔵と貯蔵庫を発掘した場所に展示室を建て、構成をしっかりと見ることができるようにしました。* 泗沘楼扶蘇山で一番高い所(海抜106m)に位置する泗沘楼に月が明るい夜に登ると美しい景色が目の前に広がります。泗沘楼の建立当時、泉水を掘っていたら金銅釈迦如來立像(宝物大196号)が発見されました。* 百花亭落花岩の絶壁の上に建てられた六角の屋根の亭子が百花亭です。白馬江を見下ろすことができる百花亭は百済滅亡当時、花びらのように落ちて死ぬことで忠節を守った崇高な百済の女性達の魂を追悼するために1929年に扶風詩社という団体が建てました。 * 宮女祠半月楼広場で東北側を少し下ると宮女祠があります。この宮女祠は660年に連合軍によって泗沘城が墜落した日、落花岩で花びらのように落ちて死んでいった百済の女性達の忠節を追悼し、その意味を後世に広く伝えようと1965年に建てられました。10月の百済文化祭の時に司祭を行います。* 官北里遺跡官北里遺跡は1983年9月に忠清南道記念物第43号伝百済王宮址に指定されています。1982年からこの一帯を中心に忠南大学博物館で5回に渡って発掘調査を行いました。1983年度に方形石築蓮池が発見され、1988年度の発掘調査では土器の口縁部に北舎という銘文が刻まれたものが発見され、1992年度には現在の国立扶余文化財研究所の南側50mのところから百済時代の道路の遺跡や排水施設が見つかりました。 


ソウル(東大門区) , 東大門

洪陵樹木園(ホンヌンスモグォン)は、1922年にソウルの洪陵に林業試験場が設立されたときに造成された韓国初の樹木園です。朝鮮王朝高宗の王妃である明成皇后の陵「洪陵(ホンヌン)」があったため、洪陵樹木園と呼ばれるようになりました。今は陵は移葬され、その跡だけが表示されています。洪陵樹木園は国立山林科学研究院付属の専門樹木園であり、国内外の様々な植物や遺伝資源を体系的に収集・管理し、基礎植物の学問分野の発展や、植物遺伝資源の確保のために造成された試験研究林です。


光州広域市(西区)

光州(クァンジュ)ワールドカップ競技場(キョンギジャン)は2002年のワールドカップ開催に合わせオープンした約44000名の座席数を持つサッカー専用スタジアム。観覧席の約60%を覆う屋根は、光州の名山・無等山を、そして屋根を支える大きな柱はこの地方の風習のひとつであるコサウムノリ(藁で編んで作った大きな「コ」と呼ばれるものに男性が3-4人乗って騎馬戦のように戦う競技)の「コ」をイメージしたもので、両側の屋根が向き合っている様子も2つの「コ」が戦う様子を表しているかのような印象を与えます。競技場には広報館、メディアセンター、医療施設、各種スポーツ施設など、様々な施設が整い、市民の憩いの場所として利用されています。