大邱広域市(達城郡)

達城郡求智面道東里にある道東書院は、屏山書院、玉山書院、紹修書院、陶山書院と共に韓国の五大書院の1つで、朝鮮時代初期の名のある儒者の寒暄堂と金宏弼が祀られています。1568年に琵瑟山の東側の麓に双渓書院として建てられ、1573年に王から双渓書院と正式に命名されました。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)により焼失しましたが、1605年に現在の位置に祠宇を再建し、甫労洞書院と命名しました。そして、1607年に「道東書院」という名称を王から正式に拝命され、村も道東里と呼ばれるようになりました。道東書院は大院君により書院撤廃令が出たときも、全国650の書院の中で撤廃されずに残る47の重要書院のひとつに選ばれて、その後も厚い保護を受け現在に至っています。


ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

約400種、2万匹の多種多様な海洋生物を54の水槽と26の特殊飼育用水槽で展示を行う大規模室内水族館です。珊瑚礁、ペンギン、オットセイ、イルカ、2mを超えるカニ、3億5千万年前の古代の魚シーラカンスを見ることもできます。水中シンクロナイズショーでは国家代表シンクロ選手がサメや様々な種類の魚が泳いでいる大型水族館の中で妙技を繰り広げます。その他にドクターフィッシュ体験、トカゲ、アナコンダなどの生き物の展示も行われています。 オットセイショー、ペンギンショーも見どころです。


仁川(中区) , 仁川市街地

仁川の歴史と文化の交差点、済物浦倶楽部(Jemulpo Gurabu)の探訪 韓国仁川を訪れる外国人観光客の皆さんに、特別な観光スポットである済物浦倶楽部(Jemulpo Gurabu)をご案内します。この場所は、韓国の開港期における国際文化交流の中心地として、多くの国々の歴史に触れることができる貴重な場所です。 1901年に建設された済物浦倶楽部は、仁川に居住していた様々な国籍の外国人たちが集う社交場でした。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアなどの外国人が、友情を育むための場としてこの倶楽部を利用しました。また、少数ながら中国や日本人もこの社交の場で交流を深めていました。         この2階建てのレンガ造りの建物は、当時の建築スタイルを映し出しており、内部には社交室、図書室、ビリヤード台が備えられ、外にはテニスコートもありました。これらの設備は、当時の外国人コミュニティにとって重要な娯楽の場となっていました。 1914年、仁川の外国人居住地区が廃止された後、済物浦倶楽部はさまざまな役割を担いました。日本の在郷軍人会館や婦人会館として利用され、解放後は在韓米軍によって使用されました。1953年から1990年までは仁川市立博物館として、1990年から2006年までは仁川文化院として利用され、2007年には済物浦倶楽部として新たな生命を吹き込まれました。 元々「済物浦クラブ」と呼ばれていたこの建物は、租界制度の廃止とともに日本式の漢字表記「倶楽部」に変わり、今日までその名前が使用されています。これは、仁川が直面した歴史的変遷を反映しており、韓国の近代史を理解する上で重要な一部をなしています。 現在、済物浦倶楽部は、仁川の文化と歴史のシンボルとして、国際的な文化交流の歴史を体験できる場所として訪れる人々に開かれています。この建物の中を歩くことで、過去と現在が交差する瞬間を感じることができます。仁川の旅行中には、このユニークな歴史的スポットを訪れて、韓国の豊かな文化遺産を体験してみてください。歴史愛好家だけでなく、建築や文化に興味がある方々にも、済物浦倶楽部は魅力的な訪問地となるでしょう。 管理者  韓国文化院協会 仁川広域市支会 TEL  +82-32-765-0267 指定現況  [旧済物浦倶楽部] 仁川広域市有形文化財第17号(1993年7月6日指定) 休業日  毎週月曜日、元日(1月1日)、ソルラル(旧正月)及び秋夕連休 所要時間  20分(展示物観覧及びビデオ観覧) 利用時間  [観覧時間] - 1月~12月 9:30~17:30(12:00から13:00までは昼食時間のため閉鎖) ※ 団体観覧時は事前予約を頂くと観覧がスムースです。 駐車施設 なし 観覧料  トイレ  あり バリアフリー  なし


釜山広域市(影島区)

影島大橋は釜山広域市中区と影島区を繋いでいます。1934年11月に竣工した韓国初の連陸橋(陸地と島を繋ぐ橋)で、韓国唯一の片開きの跳ね橋です。    


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

省谷美術館(ソンゴク・ミスルグァン) は雙龍グループが韓国美術のために建てた美術館。才能ある作家のための個人展や美術文化の発展のための企画展、海外美術の流れを見ることができる国際展などを1年に15回以上開催しています。展示会を開催する本館といろいろな施設を備えている別館に分かれている他、彫刻公園には樹齢が数十年にもなる約100種の木々がなす森があり、彫刻作品とともに森も一つの芸術空間となっています。韓国や世界の有名作家の彫刻作品が自然と調和を成して展示されている1128坪の彫刻公園を一周することができる散策路もあります。本館入口にあるアートショップでは、省谷美術館が企画した企画商品や有名な工芸家が作った水準の高い美術商品や実用的な工芸品が販売されている他喫茶店もあります。コーヒーや緑茶、紅茶、柚茶、クッキーなどがありますが、手作りの柚子茶とクルミが入った甘いクッキーはこの店のお勧めメニューです。■ 展示施設案内 本館は1階と2階、別館は1~3階に展示室があります。■主要施設美術館本館/別館、カフェ、アートショップ、彫刻公園  


ソウル(中区) , 市庁・光化門

「HiKR GROUND」で韓国の魅力を全身で感じる - 新感覚K-POP体験と壮大なメディアアートの融合!         ソウルの心臓部に新たに誕生した“HiKR GROUND(ハイカグラウンド)”で、韓国観光の新しい可能性を存分に体感してください。ここはただの観光広報館ではありません。世界各地から集まった観光客に、韓国の広大な芸術と文化の世界を広げるプレイグラウンドです。 1階:「HiKRウォール」でメディアアートの新世界へ ここでは、イ・イナム氏が創り出す「新都市山水図」など、画期的なメディアアートを堪能できます。さらに、グローバル韓流ファンが送り込む韓国観光の動画も展示されており、観光客自身が主人公となり、韓国の魅力を発見できる空間となっています。   2階:あなたが主役のK-POPミュージックビデオを制作 XRライブスタジオでは、自身でK-POPのミュージックビデオを制作する夢のような体験を実現します。その背景となる清渓川と共に、ソ・ドホ氏の力作『North Wall』も一緒に楽しめる、感動的なスポットをお見逃しなく。   3階・4階:地方観光の奥深さに触れる さまざまな芸術作品や展示を通じて韓国各地の観光スポットの魅力を発見できます。日常を忘れ、韓国の豊かな文化と歴史に没頭する贅沢な時間をお約束します。 『HiKR GROUND』は、韓国(KR)が“Hi”と挨拶を交わし、全世界の観光客を迎える心地よい遊び場を目指しています。特に、MZ世代の方々に向けて、多くの新しいコンテンツと体験が用意されています。 “HiKR GROUND”は、K-POPファンはもちろん、アートや文化に興味のある方々にも、韓国の新しい面を発見できる絶好のスポットです。韓国観光公社ソウルセンターで、韓国の魅力溢れる旅を始めませんか?さあ、ワクワクするような韓国観光の新しいページを、一緒に開きましょう!


全羅北道(全州市 )

全州郷校の北側の崖の上にある梧木台は、1380年に李成桂が雲峰の荒山で日本軍を打ち破って帰郷する途中、立ち寄って戦勝を祝った場所です。ここは李成桂の祖先である穆祖が住んでいたところで、後に高宗皇帝の直筆による太祖高皇帝駐畢遺址碑が建てられました。ここから陸橋を渡ると梧木台があり、天主教聖地・致命子山のある僧岩山の端に位置しています。梧木台から陸橋を渡って70mほど上がった所に梨木台があり、その80m下方には碑石と碑閣が建てられています。この碑には穆祖大王旧居遺と刻まれていて、これも高宗皇帝の直筆です。穆祖は朝鮮王朝を建国した李成桂の5代前の祖先で、穆祖が幼い頃にここで陣取りごっこをして遊びながら住んでいたところとして知られています。穆祖がここから咸鏡道に移動して行ったことで、李成桂が朝鮮王国を建国することができた契機になったと言われています。


ソウル(麻浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

西江大学(ソガンテハッキョ)は、ソウル市新水洞に位置する私立大学です。カトリック信仰とイエズス会の教育理念をもとに、韓国の教育精神に合わせてイエズス会が設立した教育機関です。厳しい学生管理と学生中心の専攻選択制度の運営を通して、知性と人性を兼ね備え、国際的な感覚を身につけた人材の育成に努めています。1960年に設立された西江大学は、延世大学や梨花女子大学とも近い新村地域に位置しており、学校の規模は小さいけれども力のある名門大学として知られています。


全羅南道(珍島郡 )

珍島(チンド)は済州島と巨済島に次いで韓国で3番目に大きい島。大小250の付属島嶼で成り立っています。珍島は毎年旧暦2月末と6月中旬にある「海割れ」現象で有名。旧約聖書に出てくるモーゼの伝説に似ていることから、「モーゼの奇跡」とも呼ばれています。潮がひくと幅30~40メートル、長さ2.8キロにわたる道が現れ、1時間ほどでまた潮が満ちていくという現象です。また珍島には回洞里の桑ばあさんの伝説が言い伝えられています。昔、この島にはトラが多く、トラがこの村にしばしば現れ被害を受けた村人達は芽島に逃げていきました。その際、桑ばあさんだけが取り残されてしまい、桑ばあさんは家族と離れ離れになってしまいました。桑ばあさんは、海に住むという竜王に家族と会えるようにしてほしいと毎日お願いをしました。そして2月末になった時、竜王がおばあさんの夢にあらわれ、「明日、海に虹が降りてくるからそれに乗って海を渡れ」と告げました。次の日、桑ばあさんが海辺に行きお祈りをしたところ、本当に海が裂けて円い虹が現れ、芽島でおばあさんを心配していた家族や村人たちが海を渡り会えるようになったという話です。この伝説により海割れの起こる時には桑ばあさんを称えて霊登祭が行われています。祭の時には珍島固有の民俗公演などが行われ、多くの観光客でにぎわいます。


仁川(中区) , 仁川市街地

日本が韓国の金融界を支配する目的で建てた旧仁川日本十八銀行支店は、1890年10月にオープンしました。銀行としての業務がいつまで続いていたのかという記録はなく、1954年には韓国興業銀行の支店となり、現在は中区開港場一帯の近代建築物の現状を紹介する展示館として活用されています。一階建ての古典的な装飾の施された折衷主義の建物で、壁は組積造にモルタル、柱と基壇部は石で仕上げられています。出入口の石柱は非常に精巧で、屋根は木造トラスの上に日本式の瓦を使った寄棟屋根となっており、異国の雰囲気を漂わせています。