全羅南道(咸平郡 )

松の森と浜辺が美しいところ、石頭海水浴場 咸平邑の一番西側海辺にある海水浴場です。陸地の終わりが岩になっていて「石頭」という名前が付けられたそうで、これに伴って村の名前も石頭になりました。周辺には、貯水池、古城や海水浴場など名所がたくさんあります。石頭海水浴場は後方に松の森が生い茂っていてその景色が美しいです。 また、幅70m、長さ1kmの白砂浜があって、水が透きとっていてきれいで水深の浅い海水浴場です。潮の干満の差が少し激しいのが短所ですが、それを解消するために約2,700坪規模の人工海水プールが設置されているので引き潮の時も泳ぐことができ、その他便利な施設も整えました。また、水が抜けた干潟の上に長い木橋をかけて観光客が直接、干潟の生態を観察できるようにしました。 また、干潟では海産物がたくさん採れ、新鮮な夏の果物も豊かであり、海水浴と食事を楽しむことができます。子どもから大人まで家族全員が満足できる休養地です。


大田広域市(儒城区)

大田先史博物館は 当地唯一の先史時代専門博物館で、大田広域市初の市立博物館です。1997年に発掘された老隠洞(ノウンドン)遺跡地(記念物第38号)内にある大田先史博物館には「老隠先史文化館」をはじめ大田市のあらゆる先史文化を垣間見ることができる旧石器時代から鉄器時代に至るまでのすべてで5つの展示室があります。また野外体験場や体験資料室もあり、児童・生徒のための学習スペースとしてもおすすめの場所です。行政、科学、そして観光都市として暮らしやすい大田は先史時代から先祖がその生活の基盤として暮らしてきた歴史と文化の都市でもあります。


ソウル(中浪区)

忘憂里(マンウリ)公園は、東亜日報1933年2月2日付記事「弥阿里(ミアリ)共同墓地がしばらくして満杯となることに備えて、京畿道(キョンギド)忘憂里の林野およそ70万坪を京城府の共同墓地として決定した」、同1935年10月24日付記事「梨泰院(イテウォン)の共同墓地を宅地化するため、37,000基あまりのうち縁故者がある墓は忘憂里に移葬し、無縁故の墓は新寺里(シンサリ)で火葬することとした」という当時の新聞記事からも分かるように、忘憂里の忘憂山を1933年から現在のソウル市の共同墓地として利用したのがその始まりです。 その40年後の1973年3月25日には、およそ28,500基の墓で一杯となり、墓を増やすことは禁じられ、改葬や埋葬された遺骨を整理した結果、2018年12月現在で7,425基まで減り、今後も墓の数は減少していくものとみられます。 ちょうどこの改葬を行った時期に、韓国を代表する著名な独立運動家・島山(トサン)安昌浩(アン・チャンホ)、 植民地時代に東亜日報社長を務め教育家・政治家などとしても活躍した古下(コハ)宋鎮禹(ソン・ジヌ)、国楽の名唱・林芳蔚(イム・パンウル)、愛国志士・趙鐘完(チョ・ジョンワン)、独立運動家・朴賛翊(パク・チャニク)、文学評論家・白大鎮(ペク・テジン)などの墓も改葬され、国立墓地や市立公園墓地に埋葬されました。 1992年2月にはここに眠っていた児童文学者・方定煥(パン・ジョンファン)、言論人・呉世昌(オ・セチャン)、僧侶で詩人の韓龍雲(ハン・ヨンウン)、独立運動家で政治家の曺奉岩(チョ・ボンアム)、医師で国語学者の池錫永(チ・ソギョン)、独立運動家・文明煊(ムン・ミョンフォン)、言論人で政治家としても活躍した張徳秀(チャン・ドクス)など7人の年譜碑を地元・中浪区(チュンナング)により散策路を中心に建立、続いて1998年2月には、詩人・朴寅煥(パク・イナン)、学者・言論人の文一平(ムン・イルピョン)、教育者・徐丙浩(ソ・ビョンホ)、独立運動家・徐東日(ソ・ドンイル)、独立運動家・呉哉泳(オ・ジェヨン)、独立運動家・徐光朝(ソ・グァンジョ)、独立運動家の劉相奎(ユ・サンギュ)、医師で独立運動家の呉兢善(オ・グンソン)など8人の年譜碑が追加で5.2Kmの散策路に建てられました。 これまで忘憂里市民公園には、3.1独立運動を主導した万海(マンへ)韓龍雲などをはじめとした17人の著名人が埋葬されている墓地として知られていましたが、各マスコミの人名録や独立有功者功勲録を中心にソウル市施設管理公団葬墓文化センターの故人検索を元に、墓をひとつひとつ実際に確認し、17人以外にも小説家・桂鎔黙(ケ・ヨンムク)をはじめ10人の著名人が埋葬されていることが新たに分かりました。 <出典:ソウル市中浪区庁>


慶尚南道(統営市 )

1604年に設置された統営(トンヨン)三道水軍統制営は、1895年に廃営となるまで足かけ292年、慶尚(キョンサン)・全羅(チョルラ)・忠清(チュンチョン)の三道の水軍を指揮した本営(現在の組織で言えば海軍本部に相当)です。 壬辰倭乱(イムジンウェラン=日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、初代統制使に任命された李舜臣(イ・スンシン)将軍の閑山島(ハンサンド)陣営が初代の統制営で、現在の統営にある三道水軍統制営は第6代統制使・李慶濬(イ・ギョンジュン)統制使の時代に設営された場所です。 統制営の主な建物には、朝鮮時代の最も大きな木造建築のひとつに数えられる洗兵館(セビョングァン=国宝第305号)があるほか、地方工房でも最大規模を誇り壬辰倭乱当時、軍需品などを作っていた統営十二工房などがあります。


京畿道(加平郡)

京畿道の小雪岳と呼ばれる雲岳山中腹にある「Sunhill Golf Club(サンヒルゴルフクラブ)」は美しい自然を背に、正規コース36ホール(サンコース9ホール、バレーコース9ホール、パインコース9ホール、ヒルコース9ホール)およびパー3コース9ホールなど全45ホールのコースがあります。自然に近い素材を使った曲線の美しいクラブハウスは、ゴルフコースを一望できるように設計されています。また、1級ホテルレベル・53室のゴルフビレッジがあり、快適で楽しい1泊2日のラウンディングができるようになっています。


京畿道(漣川郡)

高台山(832m)は生態系が大切に保存された地域であり、韓国国内で唯一登山により北方の地を眺めることができる山です。古くから広範な山の麓とうっそうとした山林によって、林産資源が豊富なだけでなく、木材と炭を作るのにも適したところと言われています。韓国戦争(朝鮮戦争)以前には堅炭が有名な地方として広く知られていました。また、1907年11月臨津江で義兵を討伐しに派遣された日本軍に敗戦した後、再び日本軍隊と激しく交戦したところとしても知られ韓国国民の精気が渦巻いている所でもあります。


釜山広域市(水営区)

ワイヤー工場から文化スペースへシックに変身 高麗製鋼(KISWIRE)は世界最大級の特殊線材会社で、2008年まで懸垂橋、自動車ワイヤーなどに使われるワイヤーロープをこの場所で生産していました。現在、リモデリングを行い公演・展示・学術会議を実施できるようになり、ビールバーやコーヒーショップなども入店しています。インダストリアルインテリアの真髄をお楽しみいただけます。


全羅南道(潭陽郡 )

メタプロバンスは、年間約500万人の観光客が訪れる全羅南道(チョルラナムド)潭陽(タミャン)に作られた観光団地で、休養地として有名なフランスのプロバンス地方を模して造られた異国情緒あふれる場所です。すぐそばには大韓民国で最も美しい並木道と名高い潭陽メタセコイアキルもあります。 メタプロバンスは、個人でのご旅行の方をはじめ、家族連れ、お友達同士でのご旅行におすすめなファッション通り、デザイン工房や体験館、商業施設、そして宴会場など、文化や芸術、ショッピングが共存する開かれたスペースとなっています。 メタプロバンスは、他にはない多種多様な素晴らしいサービスで、かけがえのないひと時や思い出作りを楽しんでいただけるよう、皆様をお迎えいたします。


慶尚北道(星州郡 )

星州ハンゲ村は星山李氏が代々住んできた典型的な同姓村落です。朝鮮第4代国王の世宗大王の時に晋州牧師李友(イ・ウ)が住み始めて村を形成しました。現在は月峰(ウォルボン)李廷賢(イ・ジョンヒョン)の子孫達が集姓村を形成して住んでいる村です。村には地方文化財に指定されている9棟を中心に保存状態の良い伝統韓屋が残っています。