大邱広域市(南区)

梨泉洞九十九階段壁画村は、ソウルの仁寺洞(インサドン)通りのような古美術通りとしてよく知られる大邱(テグ)広域市南区(ナムグ)にある梨泉洞(イチョンドン)古美術通りの西側のエリア、瑞鳳寺(ソボンサ)の南からすぐそばにある平屋の古い韓屋が軒を連ねる場所にあります。 それまで薄暗いコンクリート塀に囲まれた路地というイメージがあった九十九階段でしたが、「99歳になっても、はつらつと」というコンセプトで壁画を描き、明るく美しい壁画の路地に生まれ変わったのが、ここ梨泉洞九十九階段壁画村です。


全羅南道(羅州市 )

羅州牧使内衙(ナジュモクサネア)は朝鮮時代の地方行政機関・牧の長で羅州を治めていた羅州牧使の官邸として、上流階級の住宅の母屋と同じ平面構造で造られました。母屋は純祖25(1825)年建てられたもので、建物の構造は中庭を囲むようにコの字型で建てられた伝統的な韓屋の様式を踏襲しています。羅州牧使内衙は現在全羅南道文化財資料第132号に指定されています。羅州は朝鮮時代の行政機関の建物・官衙(クァナ/クァンア)の建物が数多く残っており、文化遺跡踏査地としてもおすすめです。 * 規模 - 内衙 1棟、行廊(ヘンラン)チェ1棟


慶尚北道(慶州市 )

慶州の普門団地内にある韓国大衆音楽博物館は大韓民国で最初の有性音盤から現在までの音盤を常設および企画展示してある場所で政府から公認された第1種専門博物館です。各階330坪規模で全3階立ての建物です。映画OST特別館、韓国最初のダンス歌手イ・グムヒショーケースパネル、子ども館、韓国大衆音楽100大名盤館、LP制作過程のパネル展示、再生機に関するパネル展示、K-POP100年史の主要音盤と関連した各種企画展示が行われています。 K-POP100年史の他にも1920年代の無声および有声映画時代に使用していたウェスタンエレクトロニック16A、ウェスタンエレクトロニックミロフォニックシステムなど世界最高の貴重な音響システムも常設展示してあります。K-POPとオーディオ100年史を展示物とした大韓民国大衆音楽の宝庫としての役割をするために多様なプログラムも運営されています。 開館日:2015年4月25日


京畿道(安城市)

家畜と共感する農場体験安城ファームランドは牧場生活を体験できる場所です。牛・羊・ガチョウ・豚・ロバなど25種類の家畜を触ったり、餌をあげたりでき、動物たちと仲良くなれる場所です。様々なプログラムのほか、遊戯施設、アトラクション施設などもあり、お子様連れでのご利用におすすめの場所です。


釜山広域市(水営区)

ワイヤー工場から文化スペースへシックに変身 高麗製鋼(KISWIRE)は世界最大級の特殊線材会社で、2008年まで懸垂橋、自動車ワイヤーなどに使われるワイヤーロープをこの場所で生産していました。現在、リモデリングを行い公演・展示・学術会議を実施できるようになり、ビールバーやコーヒーショップなども入店しています。インダストリアルインテリアの真髄をお楽しみいただけます。


慶尚南道(統営市 )

毎勿島は行政区域上では統営市閑山面每竹里に属しており、閑山面每竹里に属する大毎勿島、小毎勿島、灯台島の3つの島を合わせて毎勿島と呼びます。この島には、約20世帯が村を形成して住んでいます。村の後方の道路に沿い15分程度上がると毎勿島の最高峰の望泰峰の頂上に到達します。灯台島をはじめとして数多くの統営の島々と巨済海金剛が見下ろせる天然展望台です。夏には水遊びを楽しむことができ、少し深いところではスキューバーダイビングも可能です。船に乗って島全体を周ることも毎勿島の旅の醍醐味のひとつです。


全羅北道(茂朱郡 )

茂朱郡赤裳面にある赤裳山(1,034m)は、四方が層岩絶壁で囲まれています。この山の上の安国寺があった場所に茂朱揚水発電所所の上部貯水池である赤裳湖が建設されましたが、この湖の周りに長さ8,143メートルの赤裳山城があります。 高麗時代、契丹族の侵略があった際に近隣の数十の村から逃げてきた人たちが難を逃れた他、高麗末期の日本軍の侵略の際は、三道按廉使が軍隊を引き連れ応戦した古城だとされています。 高麗末期恭愍王23年(1374年)三道都統使であった崔瑩将軍が都に帰る途中、四面が切り立った岸壁で囲まれた天然の要塞を見て感嘆し、山城を建設することを王に建議したといいます。その後、朝鮮時代に入り、山城を建設し、5大史庫のうちの北側史庫が危険に晒された際に赤裳山史庫を設置し、韓国の国史を守ってきた由緒ある場所です。


慶尚北道(慶州市 )

「慶州(キョンジュ)ワールドカリフォルニアビーチ」は慶州普門団地に位置する南部圏最強のウォーターパークとして知られています。世界的なテーマパーク専門設計会社であるカナダForrec社にコンセプト及び詳細設計を依頼・進行し、異国的な風景が演出されています。 韓国初・アジア最大規模の水しぶき「サブマリンスプラッシュ」、カリフォルニアビーチの代表アイコン韓国最大規模の「エックス」、カプセル型スタンディングスライド「ダブルエクストリーム」、急降下と急回転を同時に満喫するダイナミックチューブスライド「ワイプアウト」、長さ320メートル超強力流水プール「ウェーブキャニオン」の他、波のプール、キッズプール、バーデプールなど家族一緒に楽しめる施設を備えています。


慶尚北道(慶州市 )

吐含山自然休養林は、針葉樹や広葉樹など、様々な植物が生息しており、動物や植物の生態系がうまく機能する自然の森です。近隣には、石窟庵や仏国寺、名勝などの観光名所があり、家族連れの自然学習場や休養地として最適です。少人数から団体まで幅広く使える森の中の家もあります。インターネットでの予約が必要です。


ソウル(中浪区)

忘憂里(マンウリ)公園は、東亜日報1933年2月2日付記事「弥阿里(ミアリ)共同墓地がしばらくして満杯となることに備えて、京畿道(キョンギド)忘憂里の林野およそ70万坪を京城府の共同墓地として決定した」、同1935年10月24日付記事「梨泰院(イテウォン)の共同墓地を宅地化するため、37,000基あまりのうち縁故者がある墓は忘憂里に移葬し、無縁故の墓は新寺里(シンサリ)で火葬することとした」という当時の新聞記事からも分かるように、忘憂里の忘憂山を1933年から現在のソウル市の共同墓地として利用したのがその始まりです。 その40年後の1973年3月25日には、およそ28,500基の墓で一杯となり、墓を増やすことは禁じられ、改葬や埋葬された遺骨を整理した結果、2018年12月現在で7,425基まで減り、今後も墓の数は減少していくものとみられます。 ちょうどこの改葬を行った時期に、韓国を代表する著名な独立運動家・島山(トサン)安昌浩(アン・チャンホ)、 植民地時代に東亜日報社長を務め教育家・政治家などとしても活躍した古下(コハ)宋鎮禹(ソン・ジヌ)、国楽の名唱・林芳蔚(イム・パンウル)、愛国志士・趙鐘完(チョ・ジョンワン)、独立運動家・朴賛翊(パク・チャニク)、文学評論家・白大鎮(ペク・テジン)などの墓も改葬され、国立墓地や市立公園墓地に埋葬されました。 1992年2月にはここに眠っていた児童文学者・方定煥(パン・ジョンファン)、言論人・呉世昌(オ・セチャン)、僧侶で詩人の韓龍雲(ハン・ヨンウン)、独立運動家で政治家の曺奉岩(チョ・ボンアム)、医師で国語学者の池錫永(チ・ソギョン)、独立運動家・文明煊(ムン・ミョンフォン)、言論人で政治家としても活躍した張徳秀(チャン・ドクス)など7人の年譜碑を地元・中浪区(チュンナング)により散策路を中心に建立、続いて1998年2月には、詩人・朴寅煥(パク・イナン)、学者・言論人の文一平(ムン・イルピョン)、教育者・徐丙浩(ソ・ビョンホ)、独立運動家・徐東日(ソ・ドンイル)、独立運動家・呉哉泳(オ・ジェヨン)、独立運動家・徐光朝(ソ・グァンジョ)、独立運動家の劉相奎(ユ・サンギュ)、医師で独立運動家の呉兢善(オ・グンソン)など8人の年譜碑が追加で5.2Kmの散策路に建てられました。 これまで忘憂里市民公園には、3.1独立運動を主導した万海(マンへ)韓龍雲などをはじめとした17人の著名人が埋葬されている墓地として知られていましたが、各マスコミの人名録や独立有功者功勲録を中心にソウル市施設管理公団葬墓文化センターの故人検索を元に、墓をひとつひとつ実際に確認し、17人以外にも小説家・桂鎔黙(ケ・ヨンムク)をはじめ10人の著名人が埋葬されていることが新たに分かりました。 <出典:ソウル市中浪区庁>