慶尚北道(慶州市 )

慶州の新たな観光地、MCYパーク勝川で韓国の魅力を存分に体験しよう! 歴史の町慶州に新たにオープンしたMCYパーク勝川は、一歩足を踏み入れるとカラフルな世界が広がります。Magenta、Cyan、Yellowの基本色からインスピレーションを受けたこの場所は、新しい発見と感動が待っています。   Photo / 写真 / 照片(instagram) @mcy_park Photo / 写真 / 照片(instagram) @mcy_park Photo / 写真 / 照片(instagram) @mcy_park 素敵な写真スポット満載! 今、インスタグラムで話題のデザートミュージアムやレトロなスクールバス展示など、撮影スポットが豊富です。SNS映えするショットを求めているなら、ここは外せない!夜には幻想的な照明が公園を彩り、異なる雰囲気を楽しむことができます。 休憩には、公園内のベーカリーカフェで美味しいデザートと共に、リラックスタイムを。そして、湖や大型バス、インディアンテントといったアトラクションで楽しさ倍増! 家族旅行やデート、友人とのお出かけにピッタリのMCYパーク勝川。地元の方々だけでなく、多くの外国人観光客にも注目されています。 MCYパーク勝川の魅力ポイント 写真好きにはたまらないスポットが満載。 デザートミュージアムで甘い時間を。 レトロなスクールバスミュージアムで懐かしの時間旅行。 アート溢れる噴水公園と夜のライトアップを楽しもう。 韓国慶州の新たな観光名所! MCYパーク勝川で韓国のカラフルな魅力に触れ、最高の思い出を作りませんか? MCYパーク勝川は、慶州観光の新しい見所として必見です!是非、訪れて魅力を実感してください。


慶尚北道(奉化郡 )

清涼山道立公園(チョンニャンサン・トリプコンウォン)は昔から高僧と文人が留まった地域。この山は奇岩絶壁が12峰を成し、洛東江が山を囲むように流れています。新羅(57B.C.-A.D.935)の文武王(文武王在位661-681)3年(663年)に元暁大師(元曉大師617-686.3.30)が建てた清涼寺を始めとする寺院や庵、寛倉の滝など数多くの見所があるところです。 清涼山道立公園の岩石の後ろには朝鮮時代の有名な学者・退溪李滉(1501-1570)の「清涼山歌」の詩碑があります。 退溪が儒学を教えた学校である陶山書堂(トサンソダン)を建てる時、この清涼山に建てるか、現在の陶山書堂の位置に建てるか最後まで悩んだとされています。 清涼山は退溪李滉だけではなく新羅時代の僧侶である元暁義湘(625-702)や名筆家・金生(711-791)、学者・崔致遠(857-?)などが訪れ修行した山。そのため彼らにまつわる話が数多く残っており今でも彼らを慕う人々が訪ねてきます。 文化財としては清涼寺と応真殿、また退溪が文人達と講論した場所に弟子が建てたという吾山堂や高麗・恭愍王(在位1351-1374)が紅巾的の乱(農民反乱)の際に作られたという清涼山城などがあります。


慶尚北道(慶州市 )

慶州から奉吉里(ボンキルリ)海水浴場行きのバスに乗って50分ほど行くと東海が見えてきますが、その青い水面の先に小さな奇岩が見えてきます。これが新羅・高句麗を統一した新羅(BC 57~AD 935)の第30代の王である文武大王(AD661-681)の水中陵(ムンムダウァンスジュヌン)。他に例を見ないこの水中陵は文武大王の遺言によって作られたもので、大王は亡くなってから海の龍となり国を無事を守る存在と考えられており、王室は王の死後慶州からほど近い距離にあるこの地を選びこの岩島に大王を葬ったとされています。周囲が200メートルの岩の中心東西南北に水路を造って小さな穴を掘り、深さ3.6m、幅2.85m、厚さ0.9mの大きい石を水中2mの深さの位置に置きその下に遺骨を奉ったといわれていますが、火葬にして灰をまいたという学者もいて説が分かれ議論が続いています。またこの文武大王水中陵近くの感応寺跡までは龍になった王が感応寺で体を休めるようにと小さな水路があったと言われており、その痕跡を見ることもできます。


慶尚北道(青松郡 )


慶尚北道(奉化郡 )

清涼寺(チョンリャンサ)に向かう道は険しくお寺自体の美しさは特別にありません。しかし清涼山に行けばお釈迦様が羨ましく思えます。何故なら小さい寺から眺める清涼山の景色が素晴らしいという言葉で表現出来ないほどの絶景だからです。清涼寺は清涼山道立公園内の蓮花峰 の麓にあります。新羅(57 B.C.~A.D. 935)文武王(在位 661∼681)3年(663年)に元曉(617~686.3.30)が建てた寺です。現在はとても小さいお寺ですが本来はとても大きなお寺だったそうです。朝鮮時代(1392~1910) に全国の寺刹を統廃合した政策の影響で清涼寺 琉璃寶殿(地方有刑文化財 47号)と応眞殿だけが残っています。法堂には高麗恭愍王(在位 1351∼1374)が書いた扁額が保存されています。


慶尚北道(安東市 )


慶尚北道(栄州市 )

豊基高麗人参は小白山で作られており、品質がよいことで知られる特産品です。10月を過ぎた頃に収穫をはじめ、最も収穫量が多くなる時期に合わせて「栄州豊基高麗人参祭り(ヨンジュプンギインサムチュッチェ)」が開催されます。 ここで生産される高麗人参は、主要成分である「サポニン」が多く含まれており、血圧を安定させガンを防ぎ、疲労回復の効果があります。祭り期間中は、実際に高麗人参を収穫する体験ができるだけでなく、高価な豊基高麗人参で作った料理を無料で試食することもできます。この他にも、栄州地域は、浮石寺や小白山豊基温泉などの観光名所も多く、祭りと観光を同時に楽しむことができます。


慶尚北道(安東市 )

烏川遺跡(オチョンユジョク)は光山金氏礼安派の初代金孝盧が村を開いて以来600年にわたり子孫たちが暮らしてきた村の遺跡で、1974年の安東ダムの建設工事のため礼安面烏川洞から臥龍面烏川里へと移されました。濯清亭と後彫堂は国指定の文化財です。遺物展示館である崇遠閣にはこの家門の人たちが残した貴重な文書や戸籍類、土地証文、奴婢にまつわる文書などが展示されています。このうち7種429点の古文書と13種61点の典籍は宝物に指定されています。 濯清亭 1541年に建てられた光山金氏礼安派の宗宅(本家)に付属する亭。家屋に付属する亭としてはとても男性的で堂々としており重要な文化財です。朝鮮時代の三大名筆の一人である韓濩の書による額がかかっています。 後彫堂 光山金氏礼安派の宗宅(本家)の離れ。建築の年代は正確にはわかりませんが、金富弼(1516-1577)により建てられたものです。一般に離れは外離れと内離れに分けられますが、外離れは主人の休憩や社交の場、内離れはおばあさんや適齢期の娘たちが寝起きする場所でした。後彫堂は外離れになります。