慶尚北道(奉化郡 )

晩悔(マンフェ)古宅がある奉化(ポンファ)の「パレミ村」は、太古の昔、海底にあったところという意味で別名「海底洞(ヘジョドン)」とも呼ばれています。古(いにしえ)から文化や知性が花開く村でした。晩悔古宅の楼閣・名月楼(ミョンウォルル)からは村に軒を連ねる古宅の風情ある屋根が一望できる場所です。小白山(ソベクサン)の山麓の涼しい風が吹き降ろす名月楼は、その昔、学問に磨きをかけ詩吟をしていた場所です。名月楼だけでもおよそ1000編にも及ぶ詩が作られたと言われています。 また、晩悔古宅は独立運動の根拠地となった場所でもあります。名月楼は3・1独立運動(1919年)直後、儒林(儒学者)らが独立運動家・金昌淑(キム・チャンスク)を中心として集結し、パリ万国平和会議に提出した独立請願書を作成した由緒ある場所です。近年、独立運動家の間でやり取りされた書簡数百通が古宅から発見されその意義が見直されています。 晩悔古宅は一部建物がつながっていないものの、外側から見ると中庭を囲むように建てられた「口」の字型の韓屋の構造となっています。「コ」の字型になった母屋と横に長い「一」の字型の舎廊(サラン)チェの建物が合わさる形で全体として「口」の字型の韓屋の構造となっており、舎廊チェの建物の左脇につながる中門間チェの建物を通って前庭から母屋へ入ることが出来ます。 母屋と舎廊チェが建てられた時期はそれぞれ異なり、築およそ320年の母屋は朝鮮後期の文臣・金建銖(キム・ゴンス=1790~1854年)の6代前の祖先が購入し暮らし始めた韓屋で、一方、舎廊チェの建物はおよそ200年前、金建銖が古宅を引き継ぎ増築した韓屋です。古宅は全体的に中が赤く丈夫な春陽木(チュニャンモク/金剛松=アカマツ)を使い建てられ、割れもなく大変よい状態で保存されています。 瓦屋で葺いた入母屋屋根の舎廊チェが南向きにある中庭に向かって建っています。舎廊チェの建物は花壇が作られた竹垣の上から威風堂々とした姿を見下ろすような形で建っており、建物正面の幅が4間あり、西側から順に舎廊房(サランバン)、板の間、向い側にあるコンノン房の部屋があります。建物正面には広々とした縁側があり、この縁側を通れば舎廊チェの建物での移動も大変便利で、また縁側に座って談笑するにもよい場所です。宿泊ご希望のお客様は、舎廊チェや中門間チェの建物にある舎廊房の部屋、ソナン室、パレミ室の各室で宿泊可能で、舎廊房とソナン室にはそれぞれ客室内に専用トイレを完備しています。 母屋は舎廊チェが前に建っていることから外からの風がさえぎられ比較的暖かくなっています。中央の板の間を中心に左手には男主人の居間として利用していた上房(サンバン)、右手には納戸として利用していた庫房(コバン)と奥の間があります。 各部屋とも美術を専攻したオーナーの娘さんが古宅の風景を描いたり、布を染色したり、ミシンで作ったアート作品が飾られています。他にも赤茶けた歴史を刻む韓国伝統の古家具も置いてあり、韓屋の趣を一層醸し出しています。 奥の間には天井の垂木がむき出しになったロフト風の部屋もあり、6月から8月までの夏期には最大8人まで宿泊可能です。奥の間には客室内に専用のトイレがあり、上房と庫房は外にあるトイレをご利用いただけます。 古宅の両脇には7000平方メートルほどの広さの畑が広がっています。シソの葉、ネニラ、ケール、ミツバ、シラヤマギク、野生菊、キキョウ、トマト、サツマイモ、落花生、カキ、トウモロコシなど野生花や葉物野菜をはじめおよそ100種類の農作物を環境にやさしい農法で栽培、自ら採取できるよう宿泊客の皆さんに畑を開放しています。 朝食はありませんが、畑で作物を取ってきて共同キッチンで調理して食べることができます。また敷地外側にある庭にはバーベキュー施設があります。マツタケが有名な奉化にいらしたなら、オーナーイチオシの松茸クッパのお店に行ってみるのもおすすめです。 また様々な韓国の伝統体験プログラムもご用意しています。投矢、陞卿図(スンギョンド=日本の双六に似た遊び)、板跳びなど民俗遊びが楽しめ、お申し出いただければ遊び方の指導も行います。このほか、様々なデザインの木版に墨を塗り刷って版画を完成させる「木版体験」、朝鮮時代の歌辞文学・内房歌辞(ネバンカサ)を嗜むオーナー夫人による高麗時代末から発展した韓国の定型詩・時調(シジョ)を詠み体験する「時調ノリ」、韓国伝統の弦楽器・コムンゴや牙筝(アジェン)、そしてチン(韓国伝統の鉦)などの打楽器で演奏するサムルノリの曲に乗せて演奏する「伝統楽器体験」なども予約なしで無料で体験することができます。


慶尚北道(安東市 )

様々な韓国式のおかずが味わえる店です。おすすめはキムチチゲです。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。


慶尚北道(浦項市 )

人と鉄の出会い、都市と新しい芸術との出会い浦項スチールアートフェスティバル 大韓民国を代表する芸術祭・2019浦項スチールアートフェスティバルが2019年9月7日から28日まで「歓待の都市・浦項:70の月、満開の火」をテーマに、延日台(ヨンイルデ)海水浴場など浦項市(ポハンシ)一帯で開催されます。 今年は市昇格70年を迎え、物としての「鉄」中心の展示や公演から一歩踏み出し、「鉄」や鉄と関係する芸術を盛り込んだ多彩かつ感覚的な美的体験、そして今までにない新しいプログラムを準備、訪れるさまざまな方々にご満足いただける文化的ライフスタイルの幅を広げた内容となっています。 特に、公演・展示・統合芸術教育など、これまで経験し得なかった新たな体験中心のコンテンツを数多く企画、文化的再生産を試みます。今回は旧・浦項水協(漁協)冷凍倉庫をお祭り期間中のみ臨時に活用しフェスティバルを盛り上げます。 浦項スチールアートフェスティバルは、浦項の根底に流れる「鉄」、そして文化芸芸術がともに融合し、浦項市民の新しい力や日常の感性を刺激、特別な瞬間を作り上げていくお祭りです。


慶尚北道(青松郡 )

ここチョンウォン古宅は韓国の伝統茶道と古宅体験ができる施設で、韓国茶人連合会ヨンウン文化院が併設されています。チョンウォン古宅は緩やかな時の流れのすばらしさや伝統を大切にする原風景に出会える場所で、そんな古の家屋で緩やかに進む憩いのひとときを過ごし、浪漫を実感することができます。 チョンウォン古宅はお客様が宿泊できる建物が離れとなっており、1日1組のみ予約が可能です。離れとなっているため大変静かでゆっくりとお休み頂けます。 またヨンウン文化院も併設されており、文化院にある茶室ではご宿泊のお客様向けに伝統茶道体験プログラムも行っています。茶道体験プログラムを通じて韓国の伝統茶道の美しさを感じとることができます。 古宅の風情ある雰囲気はふるさとに来たような気持ちにさせ、また見た目もすばらしい朝食は季節の豊かさも味わえ大変好評です。


慶尚北道(奉化郡 )

# 慶尚北道奉化郡奉化邑にある奉化(ポンファ)南湖(ナムホ)旧宅は、慶尚北道文化財資料第385号に指定されている朝鮮時代の故宅です。1876年に金蘭永(キム・ナニョン、雅号は聾山)が建て、彼の息子である金賚植(キム・レシク、雅号は南湖)が暮らしました。金賚植は、大韓民国臨時政府に軍資金として全財産を提供し、勲章を受章しました。他人と国を想う先人たちの心は、今も受け継がれています。完成後140年も経つ南湖旧宅は、当時も高級とされていた建材で建てられており、変形した跡がほとんど見られません。代々大事に守られてきたこともあり、伝統的な韓屋の美しさがそのまま残っています。特に、ソスル大門(屋根が一段高く作られた門)からは、思わず頭が下がるような荘厳さが感じられます。四季折々の花で彩られる庭園や垣の下の花壇が、韓屋の美しさをより際立たせます。古木の香りを感じながらくつろげる素敵な宿です。2016年には、伝統韓屋に宿泊されるお客様の利便性を高めるために、現代式の共用トイレを設けました。広々とした庭には投壷、チェギチャギ、板跳びなどが楽しめるスペースがあり、伝統遊びが体験できます。近くの鉄道駅である奉化駅(嶺東線)までは徒歩15分で、町に市内バスの停留所もあるので、移動の際に便利です。


慶尚北道(醴泉郡 )

慶尚北道醴泉郡の道正書院(慶尚北道文化財資料第142号)がリニュアルを経て韓屋ステイの体験スペースへと生まれ変わった。獄中の李舜臣を救った薬圃・鄭琢(1526~1605)を称えるために建てられた道正書院は、乃城川に囲まれた山の半腹に位置して周辺の景色が美しい。宿泊ができる客室は昔儒学者が授業を受けていた講堂、東屋の挹湖亭、学生寮として使われた東斎と西斎の全4室。石壇の上に建てられた講堂は、水色がきれいな乃城川の風景が丸見えの板の間が魅力的である。澄んだ空気を吸ってじっと座っているだけでも癒しになる。約100㎡(30坪強)規模の一戸建てで、部屋が3室ありワークショップなど団体旅行に適している。道正書院で最も独立的で趣のある客室は切り岸に建てられた挹湖亭。昔儒学者たちが客をもてなし風流を楽しんでいた場所で、乃城川の水音が一番近くから聞ける。東斎と西斎にはバスルームが付いているが、講堂と挹湖亭の宿泊客は外部の共用バスルームを利用しなければならない。書院の大門に当たる入徳楼は30人まで収容できるセミナー室。楼閣2階の板の間に立つと、乃城川がくねくねと流れる風景が目障りなく広がる。他にも東斎と西斎の裏庭には屋外バーベキュー施設が用意されている。 醴泉は名勝地と数多くの文化財を保有している地域である。ドラマ『ミスター・サンシャイン』のロケ地である草澗亭が車で30分距離にあり、醴泉を代表する旅行先の回龍浦、金塘室村、龍門寺も車で30分すれば辿り着ける。


慶尚北道(青松郡 )

透き通った水が湧き出す薬水の源泉、流れ落ちる滝が絶景を織りなす渓谷、松の木々が鬱蒼と生い茂る山々まですべてがある小さな山村、慶尚北道青松郡(チョンソングン)。恵まれた自然の中にある青松郡は2011年スローシティの指定を受けました。 その青松郡にある徳川村(トクチョンマウル)には言わずと知れた名家、栄華を極めた青松沈氏の家系の一つである松庭古宅(ソンジョンコタク)があります。 青松沈氏の一門は朝鮮時代の英祖(在位:1724~1776年)の時代の大地主・沈処大(シム・チョデ)から1960年代まで9代に渡り、数多くの子孫を輩出したと伝えられています。朝鮮のどこへ行っても沈氏一門の土地があったというほど富を極めたこの一門の建物・松庭古宅は7代子孫である松韶(ソンソ)・沈琥沢(シム・ホテク)が1880年ごろに建てた松韶古宅のすぐ横にあります。沈琥沢は松韶古宅を建てる際、3人の息子たちの家も建てましたがそのうちのひとつが次男の松庭(ソンジョン)・沈相光(シム・サングァン)の家屋・松庭古宅です。このように代々、青松沈氏がこの地に居を構えたことから、この場所は青松沈氏の集姓村ともいえます。 松庭古宅は韓屋の敷地がおよそ1万平方メートル(約3,000坪)にも及びます。敷地の広さだけみても裕福であったことがわかりますが、多くの物資が行き来した家柄であったことを象徴する雄壮な高柱の大門が人々を圧倒します。 敷地入口の大門の中へ足を踏み入れると、広々とした庭が見えてきますが、ここは家屋の中心にある中庭ではなく建物の外側にある庭です。右手には松韶古宅とつながる門があり、左手には井戸や松林へつながる散策路が見えます。庭の飛び石を一歩ずつ歩み枝折り戸が見える方へさらに30歩ほど進むと松庭古宅の中心部への入口があります。中に足を踏み入れると、ようやく松庭古宅の母屋と中庭が見えてきます。 この家屋は中庭を囲むように建てられた「口」の字型の韓屋で、舎廊チェや書籍を保管する冊房、中ほどには板の間があります。特に沈相光が使っていた冊房をそのままの状態で保存しているのが目を引きます。広大な敷地に比べ内部の装飾はあまりにも素朴です。伝統の技法があますところなく使い建てられた韓屋ですが、ソンビ(当時の学者)の謙虚さを反映しているかのように装飾的な要素はごく限られています。 薪を焚くオンドル部屋やきれいに掃除された前庭、伝統韓紙で仕上げた壁紙や天然染色による布と糸で作られた布団など松庭古宅には素晴らしい韓国の伝統がたくさんあります。 松庭古宅には国楽を多くの人々に知って頂くため様々な体験プログラムも実施しています。パンソリや民謡を学ぶプログラム、フュージョン国楽古宅音楽会などそれぞれ毎年およそ3回ずつ開催しており、フュージョン国楽古宅音楽会は口コミで人気を呼び、いまでは一大行事となりました。少ないときでも200人程度、多いときには800人もの観客がこの中庭にやってきて国楽の演奏を楽しみ、その後観客みな一緒になって宴が始まります。 このような楽しいプログラムが開催される他にも、ここでは還暦や70歳、80歳の祝いの宴など大人数による宴が数多く開かれています。 また松庭古宅の裏には小高い丘があり、閑静な自然の中で散歩ができる散策路もあります。


慶尚北道(青松郡 )

青松の代表的な食べ物の一つが、この「タルギ薬水タクペクスク」です。鉄分の含量が多いタルギの薬水で長時間茹でた地鶏(タクペクスク)は、胃に良いだけではなく、味も一品です。脂肪成分を分解すると言われているタルギの薬水のおかげで、肉も薄茶色のスープも淡白で香ばしいのが特徴です。周王山への登山客が「タルギ薬水タクペクスク」に来ては「花より団子」ならぬ「周王山よりタクペクスク」と言うのも分かります。


慶尚北道(青松郡 )

すべての人々に開かれている自然の中の安息の場・察訪公宗宅は青松沈氏(チョンソン・シムシ)岳隠公・第9代子孫である察訪公・沈鐺(シム・ダン)の宗家として1933年・癸酉年の年に建てられ長年村の祀堂として使われた由緒ある家屋で、郷土文化遺産13号に指定されています。 建物は中庭を囲むように「コ」の字型の構造となっており、入口の大門は北向きになっているのが特徴です。 99間の広さを誇る松韶古宅(ソンソコテク)と塀を挟んで反対側に建っており、薪による伝統的な方式のオンドル部屋や広々とした中庭、家庭菜園などがあります。 都会では難しい韓屋の素晴らしさを体験したい人々のやすらぎの場を提供する察訪公宗宅。伝統韓紙で仕上げた客室、そして寝具には布団を用意、鳥のさえずり、風の音以外には聴こえない閑静な場所に察訪公宗宅はあります。 敷地内には神位を祀る祀堂(サダン)もあり、風情あふれる実家のような佇まいの宗宅です。