慶尚北道(慶州市 )

石氷庫(ソッピンゴ)は言ってみれば石で作った自然の冷蔵庫。新羅時代(BC 57~AD 935)の首都であった慶州の半月城にあり、見た目は非常にみすぼらしいものですが、入口の近くに立っただけでも冷気を感じ、冷蔵庫の機能を十分に果たしていたことが分かります。この石氷庫は半分は地下を掘った形になっており、世界どの地域にも例を見られない物であるためこの時代新羅の文化が非常に発達していた証拠。地盤自体が冷えている土地を選び、花崗岩で底と壁を覆い天井はアーチ型で通風のための穴も空けられています。また氷を保存する際には更に断熱材として藁が使われていたとされ、現代の科学者がこれを実際に実験してみたところ6ヶ月後に氷の溶けた量は0.4%に過ぎなかったという結果は驚くべきことでしょう。このように保管された氷は夏になると上流階級が好んで食した冷菓に使われたため王自らが氷を保存するよう命じたと書物に記載されており、これらの記録を見ると石氷庫は約1500年前に作られたと考えられますが、現在慶州に残っているのは朝鮮英祖14年(AD1733年)に作られたもので、長さ12.27m、幅5.76m、高さ5.21m。現存する石氷庫の中で最もいい状態で保存されているもので、宝物66号に指定されています。


慶尚北道(慶州市 )

2017貞洞(チョンドン)劇場-慶州(キョンジュ)世界文化エキスポ共同企画公演『バーシーラ』 - 貞洞劇場慶州ブランド公演改訂版『SILLA バーシーラ』 千年の歴史に秘められた新羅(シンラ)王国の知られざる物語 慶州でしか見られない壮大なパフォーマンス - さらにグレードアップして再演!2016年貞洞(チョンドン)劇場慶州(キョンジュ)ブランド公演『SILLA バーシーラ』  慶州でしか見られない壮大なパフォーマンス         (財)貞洞劇場(劇場長 ソン・サンウォン)はさる3月23日、慶州公演ブランド「SILLA」の改訂版として『バーシーラ』を慶州世界文化エキスポ文化センター公演場で上演した。2015年に初演が行われた『バーシーラ』は、歴史コンテンツを舞台芸術によって伝えるべく、ペルシアの大叙事詩『クシュナメ(Kush Nama)』(王書)をもとに制作された。ぐいぐい引き込まれる物語で、黄金の帝国ペルシアと金の国・新羅(シンラ)の華やかな文化交流を新しい舞台技法と演出で表現したと評され、観客から絶賛された。2016年にはさらにグレードアップして舞踊が一層深みを増し、映像表現技術の精巧さと劇音楽の叙事性を強化することでますますドラマチックな舞台に仕上がった。    2011年から地域の文化・観光を活性化する事業に力を注いできた貞洞劇場は、伝統公演事業の本格的な     定着に向けて慶州公演ブランド「SILLA」を立ち上げた。地域で完成度の高い伝統創作公演を披露し、文      化・観光市場に慶州地域の歴史性と文化を紹介する未来志向の公演観光コンテンツを提示したところ、     2015年に累計観客動員数20万人を突破し、慶州を代表する看板公演となった。     2016年の改訂は、さらに補強して洗練された舞台表現と芸術性を盛り込んだシーンの演出によって「作     品性が高まり見どころがさらに充実した公演」に仕上げ、地域常設公演の差別化を図るものである。ス      トーリー性が感じられて芸術的に深みのある振付、新羅とペルシアの華やかな文化を伝える舞台衣装と     小道具、現実と仮想を行き来する映像と照明、物語を伝える音楽の叙事性にいたるまで、華やかで深み     を増した要素が調和してグレードアップした公演が繰り広げられる。       1,500年前の謎を秘めた新羅(シンラ)の別の名前、バーシーラ  アラブの侵攻を受けて避難したペルシアの王子アビティン(Abtin)。あてのない長い航海に出たが、ある日嵐に遭って船は沈没し、海に飲み込まれた。 意識を取り戻したときには美しい国バーシーラに漂着していた。 そこで出会ったプララン(Frarang)と恋に落ちるが、彼女を残して祖国に戻らねばならなかった。 アビティンはペルシアを救って王位についた。祝宴を開いていたところにジャハク(Zahhak)と手下の猫が攻め入り、アビティンは命を落とした。プラランと息子のペリドゥン(Faridun)はアビティンの仇を討つためにペルシアへ向かい、ジャハクを倒した。一方、その間に新羅は別の悪の勢力「クシュ(Kush)」の侵略を受けていた。  


慶尚北道(慶州市 )

皇龍寺址の向かいにある芬皇寺は、新羅第27代の善徳女王3年(634)に建立されたもので、高僧元暁大使と慈蔵が経ったお寺としても有名です。長い歴史がある芬皇寺には、多くの遺物がありましたが、蒙古による侵略や1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)などにより消失してしまい、現在は模塼石塔をはじめとし、和諍国師碑趺(新羅を代表する僧侶「元暁」を称える碑石の石の土台)、三龍変漁井(新羅を守る3匹の龍が居たという井戸)、幢竿支柱などが残っています。国宝第30号に指定されている「模塼石塔(高さ9.3m)」は、安山岩の石材を煉瓦の形に加工し築造した新羅時代に初めて作られた石塔で、現在は3層ですが、本来は7層、又は9層であったと推測されています。芬皇寺の入口にある「幢竿支柱」は高さ3.6mの2つの石塔です。幢竿とは、寺の仏教行事を遠くからでも分かるように、旗を高いところに掛ける木、鉄、石などの竿のことです。幢竿の支えは珍しく石でできた亀の形になっています。


慶尚北道(慶州市 )

慶州普門リゾートの中央にあるコモドホテル慶州(キョンジュ)は、20年という長年の歴史と伝統を持っています。歳月が流れる中でも、倦まず弛まず徹底的に管理をして来たおかげで、時代の変化の中でも 劣らない施設を持っています。 また "新羅千年の古都、歴史が息づく慶州" という、歴史都市としての強点と仏教文化特有の独特の 室内外デザイン及びインテリアで、写真の撮影スポット及びドラマ、映画の撮影スポットとしても脚光を浴びています。普門リゾートにあり、特級ホテルとの距離が徒歩で5分前後なので、普門湖に沿ってプロムナードやハイキングコースとしても有名です。


慶尚北道(慶州市 )

コッマウル慶州韓方病院(キョンジュハンパンビョンウォン)は健康と観光を組み合わせた健康ツアーの目的地であり、広々とした土地に健康管理などの様々な医療機器施設が備わっており、伝統韓屋から成っている病院と施設が慶州という観光都市とよく調和しています。 コッマウル慶州韓方病院は広く知られている通り、政府が推進する 'Health Tour to Korea' 政策の牽引車の役割を果たしています。「大韓民国第1号指定病院」に選定された点からみても、全ての職員が情熱と誠意を持ってプログラムを推進する努力を行なっています。


慶尚北道(聞慶市 )

聞慶(ムンギョン)セジェ道立公園は鳥も飛んで越えるのが難しい険しい山にある三つの関門がある公園です。鳥嶺山を越える聞慶セジェは昔から韓国で最も高く険しい峠でした。聞慶セジェは朝鮮(1392~1910)太宗(在位 1400∼1418)の時に開拓された道で1925年新しい道路が梨花嶺峠に通じるまで利用されました。このセジェに城壁と関門を作ったのは壬辰倭乱(1592年と1598年)以後です。1594年に第2関門である鳥谷関を設け, 1708年に主屹関と鳥嶺関を設け国防の要塞としました。この関門はそれ以降毁損しましたが1966年 第1、2、3関門と城壁が事蹟第147号に指定され1976年に復元されました。嶺南の第1関門である主屹関から大路に沿って1.5km程のぼると 鳥嶺院に着きます。院といいうのは 出張官吏に宿食を提供するために駅と駅の間に設置した旅館のようなもので現在は 石垣だけが残っています。1983年 復元された酒幕を過ぎると第2関門である鳥谷関に着きます。鳥谷関を中心としてこの一帶は斧折れの自生地として有名で 聞慶セジェ民謠碑が左側の道に建てられています。主屹関から鳥谷関までは3km。鳥谷関から鳥嶺関まで3.4kmに達する散策路には所々に岩と涼しげに流れる溪谷が調和をなしています。大路ではない水の音が聞こえる道に沿ってのぼると滝がでてきて更に 30分程のぼると惠国寺に着きます。惠国寺は主屹山の麓にある寺刹で恭愍王(在位 1351∼1374)が紅巾賊の乱(農民反乱)を避け留まった所です。 惠国寺 を過ぎ宮殿の跡を経て1km程のぼると主屹山霊峰に着きます。山の頂上から見下ろすと曲がりくねって広がる山脈が壮観な眺めです。このような 山の頂上から溪谷を過ぎると鳥谷関に着きます。聞慶 の3関門を抱く主屹山 (1,106m)は 主屹関から鳥谷関まで4~5時間程度かかり、この一帯は1981年に道立公園に指定されました。聞慶セジェ道立公園にあるKBSドラマ撮影場は時代劇専用セットとしては世界最高を誇っています。高麗時代の三つの宮殿と民家 等が6万㎡の敷地に作られています。


慶尚北道(安東市 )

昔から儒教文化や冠婚葬祭のしきたりをとても重視してきた安東にあるこの安東市立民俗博物館(アンドン・シリプミンソクパンムルグァン)は、韓国の儒教文化と民俗遊びを体験することができ、また、貴重な文化財や過去の生活の様子を観覧することができる博物館です。博物館の内部は3つの展示室からなり、第1展示室では子供が生まれて成長するまでの過程が、第2展示室には成人になり、亡くなって法事を行うまでの過程がそれぞれ展示されており、第3展示室には、人々の生活の様子や民俗遊びの模型が展示されています。博物館には昔の農機具や生地を作る過程などを含め、約3700点にものぼる民俗資料が展示されており、映像を通しても鑑賞することができるよう映像室も備えられています。また博物館の屋外には伝統家屋や文化財を移築してできた空間があり、藁葺き屋根や土蔵の家、水車をはじめ、安東地方の生活の様子を身近に感じることができるスペースとなっています。


慶尚北道(聞慶市 )

「聞慶(ムンギョン)セジェオープンセット場」は、2000年に放送開始したKBS大河ドラマ『太祖王建』の撮影が行われたオープンセット場として有名です。その後、韓国放送公社の時代劇ドラマ、大河ドラマが主にここで撮影されてきました。2008年には高麗時代を背景としたセットを壊し、新たに朝鮮時代の姿に生まれ変わりました。時代や階級別の家の構造や暮らしの様子、宮や軍隊、官庁など、見どころが満載です。


慶尚北道(慶州市 )


慶尚北道(慶州市 )

瞻星台と月城の間に位置しており、史跡第19号に指定されています。慶州金氏の始祖、閼智が誕生したという伝説がある由緒深い場所で、このような話が残されています。新羅脱解王の時に、瓠公がこの林の中で鶏の鳴き声を耳にしたので、声が聞こえる方に近寄ってみると、木の枝に金の装飾がほどこされた櫃が引っかかって、光を放っていました。このことを王に話すと、王は自ら林へ行き櫃を下ろし、ふたを開けると中から男の子が出てきたので、この子の姓を金、名前を閼智とつけ、もともと始林、鳩林と呼ばれていたこの林のことを鶏林(ケリム)と呼ぶようになったと伝えられています。鶏林は、新羅の国号としても使われました。丸く広がっている林には、ケヤキの木などの古木が鬱蒼と茂っており、北から西にかけては小川が流れています。王は閼智を皇太子に任命しましたが、後に朴氏王族である婆娑王に王位が継承されたため、王位に就くことはできませんでした。後の時代、奈勿王の時より新羅金氏が王族となりました。境内にある碑は、朝鮮純祖3年(1803)に建てられたもので、金閼智誕生についての記録が刻まれています。新羅王城の近くにある神聖な林で、また新羅金氏王族の誕生地でもあるこの地は、今でも鶏林には王達やケヤキの木がいるような錯覚さえしてしまいます。大陵苑-鶏林-半月城と続く散歩道の横には、春になると黄色いアブラナの花々が、遺跡地の風雅な趣を一層深めてくれます。