忠清南道(洪城郡 )

季節の変化により鳥棲山の表情が変わるのに合わせて、境内の雰囲気もさまざまに変化する浄厳寺。 鳥棲山の名物は毎年秋になると山を白く染める葦畑です。鳥棲山の葦畑はとても広く山の中腹をほとんど覆ってしまうほどで秋には葦祭りが開かれたりします。多くの写真家たちが風に乗って揺れる葦の趣ある姿に心を奪われ、何度も何度もシャッターを押し続ける、そんな場所です。それほど鳥棲山の秋は葦と共に深くなってゆきます。 その鳥棲山の中腹に位置する浄厳寺は典型的な田舎のお寺のように規模が大きくないにもかかわらず、民間人の教化に関心の深い住職のおかげでしっかりした造りになっています。 * 歴史 浄厳寺の創建と沿革を伝える資料はほとんど残っていません。527年(百済 聖王5年)の創建説が有力ですが根拠はまだ見つかっていません。ただ、『輿地図書』の「結城県」 に収録されている短編記録、“浄厳寺は鳥棲山にある”、“鳥棲山は鴻山から白月山へ続き洪州、結城、保寧の3つの地域の境界線をつくっている”という内容から18世紀半ばに鳥棲山が存在していたことが確認できるだけです。また、18世紀後半に編纂された『伽藍考』にも“結城県の東側28里の地点に浄厳寺がある”という記録があるのですが、これが鳥棲山の浄厳寺のことなのかどうかはっきりしていません。


忠清南道(青陽郡 )

忠清南道青陽郡、樓谷に位置するチュルムドム(列墓)聖地は天主教信者の無名殉教者たちの墓です。また、この村は京畿道果川で殉教した崔京換聖人と韓国2番目の司祭である崔良業神父の誕生地でもあります。1つの場所に複数の人を埋葬しているためチュルムドム(列墓)といいます。殉教者の数と姓名、殉教経緯などは分かりませんが家族単位で埋葬され、名前の分からない殉教者たちの墓37基がここ樓谷で墓の列をつくっていて、1982年に青陽聖堂によって清められた墓地に無名の殉教者たちのための墓碑を立て史跡地として造ってから天主教信者をはじめ多くの人が訪れています。ここチュルムドムの殉教者、聖崔京換フランシスコの遺骨の一部を1986年に切頭山 殉敎紀念館に移して祀っており現在、墓の数は総36基です。


忠清南道(泰安郡 )

恋浦海水浴場(ヨンポ・ヘスヨクチャン)は、泰安から西に約12キロのところにあり、1972年から高級リゾート地として開発が進んでいるエリア。弓のようになだらかな曲線を描く白い砂浜と沖合に浮かぶ島が美しいところです。西海岸のなかで唯一南に向いたビーチで、水温も高く海水浴を楽しめる期間が全国で一番長いことでも有名です。よく整えられた一帯には、宿泊施設や便宜施設などがあり、鬱蒼と茂る松林と海岸線に沿ってつながる奇岩怪石が並んでいます。また近くにある安興港は、泰安半島最大の港で、朝鮮時代孝宗の時に築城された安興城を始め、独立門岩、獅子岩、女岩などの奇岩怪石を見られる安興遊覧船も定期的に運航されています。


()

水原(スウォン)城の華虹門(ファホンムン)の東側にある訪花随柳亭(パンファスリュジョン)は、1794年に水原城郭が築城されるときに建てられた楼閣のひとつです。公式名称は東北角楼(トンブッカンヌ)といい、景観に優れているため、「花を求めて柳に沿って歩き回る」という意味を込めて訪花随柳亭と名付けられました。一時は洪水で崩壊していましたが、1848年に再建築され、その後水原城復元事業の一環として大々的に修理が行われました。訪花随柳亭は2011年に宝物1709号に指定されており、華城でもっとも独創的な建物として評価されています。朝鮮の第22代国王である正祖(チョンジョ)が華城行幸のときに休息をとったという亭子(あずまや)からは、東に錬武台(ヨンムデ)、東北に空心墩(コンシムドン)、西に長安門(チャンアンムン)や八達山(パルダルサン)が見えます。


ソウル(西大門区) , 新村・梨大

新村駅は1920年12月から業務を開始し、ソウル駅よりも5年前建てられた建物としてソウルで一番古い駅舎です。2006年7月にこの一帯に大規模のショッピングモールと一緒に新しい新村駅が建設されて営業を中断することになり、現在は文化財庁に登録文化財136号として登録さ、保存されている歴史的意味の深い場所です。昔の建物を活用して2012年6月11日(月)にオープンした「新村観光案内センター」の内部には新村を含めた西大門地域の現在と過去の写真の展示や周辺観光名所についての情報を得ることができる多様な観光ガイドブックと案内地図、休憩空間などが準備されています。また、最先端観光案内システムである「無人観光案内システム」を設置し、西大門地域にある観光地、食堂、ショッピングスポットなど多様な観光情報をタッチスクリーン(日本語可能)で検索することができます。


全羅南道(莞島郡 )

青山池里海水浴場は青山面の代表的な海水浴場で日没が美しい海水浴場として知られています。海の水が綺麗で水深も浅くてなだらかなので家族連れで海水浴をするのに適しています。また、砂もやわらかいので砂風呂をするにも良いです。幅100m、長さ1kmの白い砂浜が広がっていて海岸沿いには200年を超える松林が続いています。


忠清南道()

全義郷校は、1413年(太宗13年)に創建されたと推測されています。 1649年(仁祖27年)に打愚 李翔がつけた『全義鄕校明倫堂序』によると、全義郷校は当初は県の東側に建立され、朝鮮後期の仁祖の時まではこの地にあったとされています。当時の郷校地として推測されている現在の東校里の校洞地域では約10年前までも多くの瓦が出土されました。 全義郷校は、明倫堂と大成殿を造り建築の前にそれぞれ三門を置いた簡単な配置です。村のサイッキル(細道)を過ぎ、外三門に入ると明倫堂があり、この周囲路は塀に囲まれていて、明倫堂の後方には一段高く敷地が形成され、塀に囲まれた大成殿にあります。明倫堂の西側の塀の他には守直舍があります。 『全城誌』によると、朝鮮末期から大韓帝国までの郷校の構成人員は、西教生30名、校奴7名、良保10名、私保60名が配属されていたと記録されていて、昔の全義郷校の人的構成が分かります。 また全義郷校は『斎任録』(24㎝×34㎝)、『仙案』(28㎝×43㎝)をはじめとして、さまざまな笏記に、1782年(正祖6年)と1783年に頒布された『御製綸音』(22㎝×35㎝、1782~3年)4本が伝えられています。


忠清南道(保寧市 )

保寧(ポリョン)海洋マッド博覧会は「海洋の再発見、マッド(泥)の未来価値」をテーマに忠清南道と保寧市が主催、保寧海洋マッド博覧会組織委員会が主管、海洋水産部、大韓民国空軍などの後援のもと、2022年7月16日(土)~8月15日(月)の31日間、観覧客120万人(韓国人108万人、外国人12万人)を目標に忠清南道保寧市の大川海水浴場にて国際イベントを行ないます。 今回の博覧会は海洋新産業の拡張と成長を誘導し、マッド産業の競争力を高めるためのもので、海洋テーマ館、海洋治癒館、海洋マッド&新産業館、海洋公演館、海洋レジャー&観光館、海洋体験館などの展示館が設けられ、関連産業についての情報交流の場となります。 また、毎年保寧市の大川海水浴場で行われている国際的なイベント「保寧マッドフェスティバル」が博覧会場内で行われ、子ども向けの海洋職業体験、海遊び体験などのプログラムが計画されるなど、誰もが楽しめるイベントとなっています。 2021年12月現在、保寧海洋マッド博覧会組織委員会では展示参加を希望する国内外の機関・企業約100社を募集する一方、博覧会入場券の割引セール(20%)を行っています。