京畿道(華城市) , 水原

韓国で「モーゼの奇跡」と呼ばれる、海の割れる場所があり、この済扶島(チェブド)もその一つです。海の割れる場所としては、全羅南道珍島郡古郡面回洞里の海岸、全羅南道麗水郡華井面の沙島、忠清南道保寧市熊川邑冠堂里の武昌浦海水浴場、全羅北道扶安郡辺山面雲山里のハ島、京畿道華城市西新面松橋里-済扶島があります。済扶島と西新面松橋里との間に、2.3kmの道が1日に2回、引き潮のときにでき、韓国でもっとも頻繁に「モーゼの奇跡」が見られます。引き潮で海が割れ始めてから満ち潮でまた道が消えるまで、6時間も海の道が開かれ、海の割れる時間は毎日少しずつ違います。20年前までは済扶島の人々が太ももまでつかりながら渡っていた干潟の道でしたが、80年代末、セメントで舗装され、今では車も通れる「水中の車道」となりました。1~3mの深さの海水が引くと干潟を貫く幅6.5mの舗装道路が現われ、道の両側に幅500mを超える干潟が広がっています。左側は泥のぬかるみで、右側は砂と小石が混じっています。済扶島は小さな島ながらも見どころが多く、鷹の巣がある鷹岩や、貝殻混じりの砂浜の広がる幅2.5kmほどの海水浴場もあります。済扶島は1日に2回海が割れ、日によって時間が違います。国立海洋調査院ホームページ(韓国語)を参考にしてください。


ソウル(中浪区)

忘憂山は1933年5月27日、京畿道の林野の一部を京城府が譲渡を受け、共同墓地として使用したのが始まりです。現在、ソウル市内にある唯一の共同墓地であり、総面積490,884坪の中に約28,500基の墳墓があります。1973年3月25日、受け入れる土地の余裕がなくなり埋葬が禁じられました。忘憂里公園には、韓国における子供運動の嚆矢である方定煥、民族代表33人の一人である呉世昌、韓龍雲、天然痘のワクチンの普及の先駆者であり医学者であると同時に国語学者の池錫永、臨時政府内務部書記を歴任した文明煊、東亜日報の主筆と新党の韓国民主党を作った張徳秀、制憲国会議員であり進歩党の党首であった曹奉岩等が安置されており、この七人の著名人の年譜碑が公園内の遊歩道が造成された時の97年2月に建てられました。また、98年2月に詩人の朴寅煥、文一平、徐丙浩、徐東日、吳哉泳、徐光朝、劉相奎、教育家の呉兢善と、八人の年譜碑が追加で設置され、歴史教育の場として活用されています。その他にも独立運動家の金貞奎、画家の李仲燮、小説家の桂鎔黙、 金末峰、 金利錫、 催鶴松、作曲家の蔡東蘚、ジャーナリストの 薛議植、政治家の李炳洪、歌手の車重楽、親韓日本人の浅川巧、朝鮮時代の純祖の長女である明温公主などが安置されていることが、最近明らかになりました。また、忘憂洞山57-1番地一帯の忘憂里公園内の循環道路5.2キロをアスファルトコンクリートで舗装した遊歩道があります。遊歩道の名称は公募により98年5月、「思索の道」に定められ、都市環境と調和した自然の観察路、総合案内板、東屋、湧水などが新しく設置され、区民の憩いの場であると同時に自然が満喫できる公園として多くの人々に愛されています。


全羅南道(新安郡 )

曽島(チュンド) 塩田体験(ヨムジョン・チェホム)-太平塩田(テピョンヨムジョン) 太平塩田は、国内最大の規模と生産量を誇る塩田です。汚染されていないきれいな海水で、ミネラルの豊富な天然塩を生産している天然塩田です。


ソウル(道峰区)

水刺床(王の食膳)に負けないが大門(デムン)定食。 大門定食には、きれいに千切りにしてトッピングを乗せた香ばしい蕩平菜、フルーツソースで味付けした野菜サラダ、 天然色素で色をつけた鴨五色のジョン、くらげ冷菜が食欲をかきたてます。メインを食べると、プルコギと干し菜の味噌和えなど、土俗的で美味しそうなおかずに、味噌チゲと釜飯がついてきます。 *ここはソウル市より「ソウルが誇る韓国レストラン」に指定されているレストランです    


釜山広域市(影島区)

釜山広域市影島区8景の1つで、絶影島南端の海岸側に突き出た小さな広場です。1975年度に造成されたため、75広場と呼ばれています。


ソウル(中区) , 仁寺洞・鍾路

会社員に人気のお店です。代表的なメニューは味付け牛カルビです。この店はソウル特別市のトンデムンに位置した韓食専門店です。


慶尚南道(金海市 )

伽揶文化祭り(カヤムンファチュッチェ)は、6伽揶の盟主であった「金冠伽揶」をベースに、歴史と伝統を誇る金海市の歴史文化祭りとして国内外に広く知られています。 金首露王は、 西紀42年に生まれ、伽揶を建国し、48年にインドアユタ国の女王「ホ・ファンオク」と結婚しました。これは韓国の歴史上初の国際結婚となりました。伽揶は早くから土器と鉄器文化の発達を遂げ、中国やナクラン、日本など韓国に近い国々と貿易を行い、東北アジア国際交流の中心地として燦爛たる文化の花を開花させました。 悠久な歴史と独創的な文化が生きている伽揶文化のメッカ「金海」は、伽揶文化祭りから伽揶文化を世界的な文化遺産として保存・継勝・発展させま、高句麗・百済・新羅とともに第4の帝国伽揶が存在したことを証明しました。今年で33回目を迎える伽揶文化祭りは、「神秘で会う2千年伽揶文化」というテーマで、首露王の神話をより現実味があるように劇化した歴史ファンタジーミュージカル「第4の帝国」、雄大壮厳で派手に開催される「伽揶の行陣」、国内初の国際結婚となった首露王、ホ・ファンオクの結婚を称えるための「首露王婚礼舞台」、「ホ王后波路体験」、国際貿易の中心地であった伽揶時代の再現「波路文化」、騎馬文化ルートの「アジア国際公演芸術祭」、「インド文化体験」、「伽揶文化体験ZONE」など6分野40種余りの様々なプログラムで構成されています。


慶尚北道(安東市 )

先人の知恵と文化を受け継ぐ「安東韓紙体験(アンドンハンジチェホム)」。韓国の伝統的な生活様式と文化が最もよく保存された河回村の入口に位置する「安東韓紙」は、韓国固有の趣と精神が息づく伝統韓紙の生産をしています。学生たちの学習の場としてだけでなく、多彩な見どころを提供し、安東観光の人気スポットとなっています。


忠清北道(報恩郡 )

俗離山国立公園(ソンニサン・クンニプコンウォン)は俗離山と華陽、仙遊、双谷など三つの渓谷が集まって作り上げられた国立公園です。韓国八景のうちの一つである俗離山は、太白山脈から南西方向に広がる小白山脈の中にあります。忠清北道報恩郡、槐山郡、慶尚北道尚州郡の境界になる山でもあり、海抜1,057mの俗離山は花崗岩を基盤としてできています。花崗岩の峰は鋭くそびえており、堆積岩部分は深く削られ、峰と渓谷が絶景を作り上げています。俗離山は別名、小金剛山とも呼ばれます。 俗離山には大きな寺院の一つである法住寺があります。法住寺には岩に彫られた「磨崖如来倚像」がありますが、「倚像」とは座っている釈迦の像を言うもので、この磨崖如来倚像は蓮の花の座台に座っている姿を彫ったものです。長い歳月が経ち、磨耗がひどかったのですが、原型をそのままとどめています。また法住寺の写真には必ず登場する高さ33mの巨大な「青銅弥勒仏」は、世界最大の単一仏像です。このように俗離山には法住寺という素晴らしい寺院があり、千五百年の歴史にふさわしく数多くの宝物や国宝があります。優れた遺物の中で開花した仏教文化に出会うことができるのが法住寺なのです。 俗離山の深い渓谷は、絶えず登山客が訪れます。また、山中の数多い天然記念物は観光の名所を作っています。春には山桜、夏には青い松、特に秋には紅葉が絶景を極める素晴らしい山です。


釜山広域市(中区)

亀浦チプ(クポチプ)は1959年にオープンした釜山を代表する慶尚道式ドジョウ汁(チュオタン)がおいしいお店です。濃厚なドジョウ汁にワラビ、白菜、豆モヤシなどを加え、まろやかで素朴ながらもやみつきになる味が人気です。