全羅北道(茂朱郡 )

徳裕山中心部の九千洞渓谷上流にある白蓮寺(ペンニョンサ)は、新羅の神文王の時に白蓮禪師が隠居していた場所に白い蓮の花が咲いたことから建てられたものであると伝えられおり、茂朱九千洞にあった14の寺院のうち唯一残っているものです。白蓮寺の入口にあるアーチ型の白蓮橋を渡り一柱門を通ると石の階段があり、その階段の上に大雄殿の建物が建っています。 その他の文化財では、梅月堂浮屠と静観堂浮屠、高麗時代に作られたとされる三尊石仏が有名です。


忠清南道(泰安郡 )

泰安から約30キロ離れた場所にある安眠島は韓国で6番めに大きな島で、泰安郡と安眠島を結ぶ橋が1970年に開通し陸地とつながりました。本来安眠島は半島として陸地である南面とつながっていましたが、サムナム地域の税穀の便宜を図ろうと朝鮮王朝・仁祖の時に今の安眠邑・倉基里と南面の申温里の間を切断したことにより今日の安眠島(アンミョンド)となったのです。安眠島には海岸線に沿って14の海水浴場と安眠邑の象徴である松林、森林浴を楽しめる安眠島自然休養林、天然記念物第138号に指定されたモクゲンジの群生地などの見所があります。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

済州特別自治道、西帰浦市、大静邑、慕瑟浦港から南に5.5キロの海上にある島が加波島です。オランダ人ハメールという人が漂着し、母国に戻った後に西洋に始めて韓国を紹介したことでも有名です。 ハメールの漂着記念碑も建てられています。毎年5月には麦祭りが開かれ、慕瑟浦湾から1日2回の定期船が出ています。


ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

「漢江ウォーターファイト祭り(ハンガンムルサウムチュッチェ)」では水風船や水鉄砲を使い、チームを分けて行う「水合戦」が楽しめる他、有名DJやヒップホップミュージシャンも参加するエレクトロニック&ヒップホップフェスティバルも開催され、暑さ・日常に疲れた人々に活力を与えます。


ソウル(中区)

京郷新聞・Cchannel・アガペー文化財団・白石芸術大学が主催、ソウル特別市・韓国観光公社が後援する「2016ソウルクリスマスフェスティバル」が、2016年12月12日(月)~2017年1月1日(日)、ソウル特別市清渓川辺・清渓広場~長通橋一帯で開かれます。清渓川一帯の1.5キロメートル区間が華麗なイルミネーションやツリーで飾られ、ストーリー性のあるフォトゾーンなども設けられる他、盛りだくさんのイベントプログラムが用意されています。


京畿道(竜仁市) , 龍仁

時代劇ドラマの撮影地として有名な龍仁にある韓国民俗村で開催される時代劇ドラマ祭りは2012年に始まりました。秀麗な自然景観の中、美しい朝鮮時代の村を背景に作られ、一般セット場では感じることはできないリアルな現場感を感じることができます。毎年規模が大きくなり観覧型のイベントに加え、来場客が直接楽しめる体験型のイベントにも力を入れています。民俗村内全体で時代劇のテーマである様々な体験行事が行われたり、実際撮影中のドラマや映画作品を近くで見ることもできます。お祭り期間中、韓国民俗村では伝統芸術公演と共にb-boy公演なども準備されています。


全羅南道(潭陽郡 )

歌辞文学館は肥沃な平野と美しい自然、そして数多くの文化遺産を保存・伝承してきた由緒深い故郷、全羅南道潭陽にあります。 朝鮮時代、学問が主流を成していた時代に国文(韓国語)で詩を制作しましたが、その中でも「歌辞文学」が大きく発展し、花を咲かせました。チョン・チョル以外にも7人の作家などの18編の歌辞が伝承されており、潭陽を歌辞文学の産地と呼んでいます。 潭陽郡ではこのような歌辞文学に関する文化遺産の伝承・保全と現代的な継承・発展のために歌詞文学館を建立しました。本館と付帯施設からなる歌詞文学館は、歌辞文学の資料を始め、ソン・スンの「傘仰集」やチョン・チョルの「松江集」など貴重な遺物や図書が展示されています。付帯施設には物産品展示場や伝統茶屋があります。 周辺の名所には「息影亭」や「瀟灑園」などがあり、歌詞文学創作の土台となっています。


慶尚北道(慶州市 )

王陵(王の墓)から東南を眺めると、松林が生い茂りその中に小さな石碑を保存するための建物があります。その横にある井戸が蘿井(ナヂョン)です。『三国史記』や『三国遺事』にはこの井戸端で新羅の初代王である、朴赫居世が生まれたという伝説があります。紀元前69年のある日、高墟村長の蘇伐公が井戸端で白い馬が横たわっているのをみつけます。不思議に思いその場所へと行くと、馬はおらず代わりに大きな卵がありました。その卵から男の子が生まれ、13歳になった年(紀元前57年)に6部の村長らが彼を王様に選びました。そして、その国の名前を徐羅伐(ソラボル)と名づけます。ここには今でも井戸が残っており、朝鮮時代の純祖王3年(1803年)、初代王について記録した碑(高さ2.25m、幅45㎝、厚さ21㎝)もあります。


慶尚南道(巨濟市 )

巨済捕虜収容所(コジェ・ポロスヨンソ)は1950年6月25日に韓国戦争の勃発により発生した捕虜を収容するために造られました。 中国共産党軍捕虜2万名、朝鮮人民軍捕虜15万名など最大で17万名の戦争捕虜を収容していました。1953年に休戦協定が締結されると捕虜収容所は閉鎖され、当時の建物の一部だけが残されましたが、1997年に韓国戦争を記憶し続けようという趣旨で巨済捕虜収容公園として造成されるにいたりました。公園には戦争に使われた戦車やトラック、当時の捕虜の生活を再現した展示物などがあります。この公園を一巡りするにはおよそ1時間が必要です。


江原道(三陟市) , 三陟

東海岸の真っ青な海と黄色い菜の花が素敵なハーモニーを奏でる芳里菜の花祭り。春の香り漂う、広々とした菜の花畑で、憩いのひと時を過ごしてみるのはいかがでしょう。周辺には広大な東海をはじめ、海洋レールバイクや大金窟や幻仙窟、海神堂公園、竹西樓など、見どころ、遊びどころが充実しています。