全羅南道(海南郡 )

清らかな自然に囲まれた「へマルヒーリングの森」は頭輪山のふもとに位置しています。建物はL字型になっており、アンチェ(母屋)とパッカッチェ(外棟)に分かれています。22坪のアンチェは15人~25人が宿泊できる客室で、室内にはテレビ、エアコン、冷蔵庫、食卓などが揃っています。パッカッチェは4人~6人が宿泊できるワンルームタイプで、エアコンが備え付けられています。


忠清南道(青陽郡 )

忠清南道青陽郡にある方基鈺(パン・ギオク)家屋は1985年忠清南道文化財資料第279号に指定された古宅です。 朝鮮時代に建築された建物と推定され、母屋、客人を迎える舎廊(サラン)チェ、使用人が使っていた行廊チェが一つに繋がり、コの字型の形をした伝統韓屋です。 階段を上がり入口の大門から中に入ると、閑静な庭園が目に飛び込んできます。この中庭は韓屋に入る扉・中門まで続きます。塀のそばにはここの主人が使い古した道具が置かれており、中門を開け韓屋の中に足を踏み入れると、そこは博物館を彷彿させるような民俗工芸品が所狭しと置かれています。 韓屋体験は客人を迎える舎廊チェや舎廊房、母屋の反対側の中庭を隔てたトゥラレッパン、板の間を間に置き居間の向かい側にあるコンノンバン、行廊チェで可能となっています。2018年4月現在、増築中の茅葺屋根の韓屋が完成すれば茅葺屋根の韓屋体験も可能になります。 トイレと一体となった浴室がすべての部屋にあり、客室ではユンノリを楽しんだり広い中庭では板跳びやブランコなど韓国の伝統遊びも楽しむことができます。 夏になると、乳幼児や小さなお子さんのためのミニプールも設置されます。家族みんなで楽しく韓屋体験ができる様々なプログラムも準備しています。


全羅北道(群山市 )

群山リバーヒル観光ホテルは忠清南道と全羅北道をつなぐ群山錦江河口堰の南に位置しています。


全羅南道(潭陽郡 )

全羅南道潭陽郡昌平スローシティ内に位置する「メファナムチプ(梅の木の家)」は韓屋体験宿泊施設です。 宿泊料には朝食が含まれており、ヌルンジ(おこげ)と季節の食材を使った手作りのおかず、養鶏場から直送した卵で作ったたまご蒸しなどが提供されます。 オーナーは農村教育農場をともに運営しており宿泊客は体験料が割引になります。また、予約時に問い合わせれば農場散歩、卵収穫、犬と散歩なども楽しめます。


慶尚南道(宜寧郡 )

湖巌(ホアム)生家は、三星(サムスン)グループ創業者で韓国の経済発展を牽引した代表的な起業家である湖巌・李秉喆(イ・ビョンチョル)先生が生まれた家です。 1851年、湖巌先生の祖父が1,907平方メートルの敷地に伝統韓屋様式で自ら建てたもので、湖巌先生は幼年期を経て結婚し分家するまでの間、この家で暮らしました。一文字型の平屋の形態で建てられた生家は、南西向きの平らな土地の上に建てられており、これまで何度も増改築が行われ、素朴で孤高な趣が漂う今日の姿に生まれ変わりました。 現在の生家には、母屋、舎廊(サラン)チェ、大門(テムン)チェ、納屋の建物があり、こじんまりとした土塀や岩壁に囲まれ、敷地の外と隔たれ、周囲には鬱蒼とした竹林が生い茂り、素晴らしい風景となっています。 また風水地理的にもこの生家のある土地は素晴らしい土地と言われています。穀物の俵を高く積み上げたような露積峰の形をしている周辺の山の気運が、山の麓に位置する生家のある土地へと続きそこから湧き出るような形となっていることから、生家のある土地はその気運を受け隆盛をなす素晴らしい土地となっています。 また、遠く流れる南江(ナムガン)の川の流れが河口へと一直線に流れず、この生家の周りを経てゆっくり流れる逆水といわれる地形となっていることも、この地が風水地理的に素晴らしい土地となっている証拠で、この地は風水地理的に一番よいとされる土地・明堂(ミョンダン)の中の明堂と言われています。 *湖巌・李秉喆先生について* 湖巌・李秉喆先生は1910年、慶尚南道(キョンサンナムド)宜寧(ウィリョン)で生まれました。 1938年大邱(テグ)で三星商会を設立、以降、三星電子をはじめとした多くの企業を興し、韓国経済発展に大きな貢献をしました。1961年には韓国経済人協会(全経連= 全国経済人連合会=の前身)の発足に参加し、初代会長に就任しました。 1965年には企業の社会的責任や使命に対する確固とした信念を礎に三星文化財団を設立、韓国の精神的財産を豊かにする様々な事業を展開しました。 また、1980年代には独自の洞察力と先見性により、半導体産業に進出、韓国の最先端産業発展の基礎を作り上げました。 湖巌先生は事業報国、人材第一、合理追求の経営哲学の下、当時発展から取り残されていた韓国経済を今日まで牽引、韓国の経済発展をリードしてきました。 また先生は成均館(ソンギュングァン)大学校の経営を通じた人材育成をはじめ、文化・芸術・マスコミなど社会各分野の発展に大きな業績と教訓を残しました。


ソウル(鍾路区)

ソウル特別市鍾路区(チョンノグ)の大学路(テハンノ)にある韓国放送通信大学本館の建物。この建物は大韓帝国時代、工業伝習所本館として建てられた建物です。 この建物は大韓帝国の財務を総括する官庁・度支部(タクチブ)の建築所が設計、日本人の吉田謙造が施工を担当し、1907年着工、翌1908年に竣工しました。 工業伝習所は大韓帝国(1897~1910年)時代、商工業振興政策の一環としてて設立され、染織、製織、製紙、金銀細工、木工などの近代技術を教育する機関でした。 工業伝習所は1906年に発足し、元々貨幣の造幣を行っていた典圜局(チョナングク)機械試験所があった東崇洞(トンスンドン)の敷地を確保し、本館及び付属の建物を建築しました。 工業伝習所は1910年の日帝強占期(1910~1945年)がはじまると、統監府所管から朝鮮総督府所管となり、1912年中央試験場が設置されると中央試験場付設の機関となりました。つづいて1916年4月に創設された京城工業専門学校にその流れは引き継がれ、工業伝習所としての時代に幕が下ろされました。 旧・工業伝習所本館の建物は2階建てのルネッサンス様式の建物で、左右対称をなすH字型をした木造建物です。 大韓帝国時代に建てられた木造建築としては唯一その原型を良好な状態で留めている建物で、大韓帝国度支部が設計した数少ない現存する建物としても歴史的価値が高い建物となっています。 * 面積 - 999平方メートル


全羅南道(羅州市 )

「羅州(ナジュ)映像テーマパーク」は単なるドラマや映画の撮影場ではない、高句麗建国の歴史とエンターテインメントが結合した映像専門テーマパークです。韓民族の歴史と文化を体験できる場所となっており、ドラマ『朱蒙』や『太王四神記』の撮影に使われました。入口を入るとソン・イルグク、ハン・ヘジン、チョン・グァンリョルなど、いままでここで撮影された作品に出演した 俳優たちの手形や当時の写真を見ることのできるスターストリートがあります。その他、屋内セットや名画美術館、弓射、乗馬、民俗遊び、伝統工芸など多様な体験をすることができる空間もあります。また、高句麗宮向かいにある城楼に上がると栄山江と羅州平野、セット全景を見渡すことができます。


京畿道(水原市) , 水原

京畿道(キョンギド)水原市(スウォンシ)八達区(パルダルグ)梅香洞(メヒャンドン)にある蒼龍門(チャンニョンムン)のそばに建つ東北空心墩(トンブクコンシムドン)は、非常時に備え城郭周囲の敵の動きを監視するため造られた望楼で、水原華城の城郭で最初に登場した楼閣です。 1796(正祖20)年、高さ5.42m、周囲38mの規模で完成した東北空心墩でしたが、韓国戦争(1950~1953年・休戦)中に完全に破壊され、1975年になりようやく復元されました。 水原華城には東北空心墩以外にも西北空心墩、南空心墩という楼閣もあります。東北空心墩は軍事的な要衝地であるばりでなく、水原華城にある建築物のうち、唯一円形をしており、希少性が高いものとなっています。 巨大な丸い円の形で、内部には韓国語でソラ、日本語で言えばサザエの殻のような形となった螺旋状になった煉瓦造りの階段があり最上部まで上がることができます。その形から別名・ソラ閣、つまりサザエ閣とも言われています。 最上階まで上がると水原華城全体が大変よく眺められます。


江原道(華川郡)

アルルテーマ樹木公園は、以前、江原道(カンウォンド)華川郡(ファチョングン)下南面(ハナムミョン)居礼里(コレリ)にある居礼里・愛の木(サランエナム)と呼ばれていた場所。 アルルテーマ樹木公園は静かで癒しにおすすめの場所で、北漢江(プカンガン)自転車道路のコースの一部となっており、サイクリストの人々に人気がある場所です。 また樹木公園散策路の外れには指輪の形をした指輪橋(パンジギョ)があり、プロポーズやカップルでの記念写真の場所としておすすめです。