忠清南道(牙山市 )

約500年前に形成され未だ昔の姿を残す外岩民俗村内。低い石垣の道に沿って小道を進んでいくと、豊徳古宅が見えてきます。一見平凡な韓屋のように見えますが、実は「農家のおいしい店」に選定される程有名な所でもあります。礼安李氏家敷地内の本宅として李嗣宗の7世孫である李宅冑が豊徳軍需を執り行なったことから豊徳宅と呼ばれるようになりました。典型的な忠清道式の口型の家屋で250年前に李宅冑が建てた当時の姿に近い形で綺麗に残されています。 元々は他の地域で暮らしていた子孫であるオーナが家を継ぐためにこの地に戻り、子供や若い人にも多く利用してもらえる場所になって欲しいという思いから2012年に韓屋ステイを始めました。オーナーの念願通り、現在は子連れの家族や両親を連れてくる若い夫婦など幅広い客層から人気があります。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

この店はソウル特別市のテハンノに位置したアジア料理専門店です。各種タイ料理を味わうことができます。代表的なメニューはパッタイです。


ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

様々なおかずと美味しい料理が味わえる店です。ソウル特別市のヨンドゥンポ区に位置した韓食専門店です。おすすめはサムギョプサルです。


京畿道(安城市) , 安城

  安城男寺党バウドギ祭り(アンソンナムサダンバウドギチュッチェ) 「男寺党(ナムサダン)」とは、朝鮮時代(1392~1910)後期に踊りや歌を披露しながら市場と村を回った公演芸術家集団のことで、「バウドギ」(1848~1870)とは男寺党唯一の女性親分を指しています。「男寺党」と「バウドギ」をテーマにしたこの祭りでは実際に男寺党の華麗な公演を鑑賞でき、海外6カ国の民俗パフォーマンスなど200種以上にもなるさまざまなイベントを一カ所で楽しむことができます。 .※ 2011年と2012年の安城男寺党バウドギ祭りは、全世界の伝統民俗公演を見ることができる「安城世界民俗祝典」として代替開催されます。  


京畿道(利川市) , 利川

利川世界陶磁(イチョン・セゲドジャ)センターは山と湖が調和する雪峰(ソルボン)公園にあり、4つの大型展示室の他、陶磁芸術発展のための様々な付帯施設を備えています。招待展、公募展などを通して世界の陶芸界の流れをリードする作家の作品を紹介し、陶芸界に未来の方向を提示する新進作家の発掘事業を活発に推進しています。


京畿道(抱川市 ) , 抱川

平康植物園は2006年5月に開園し2009年環境部から生息地の他保全機関に指定されました。海抜2,500m以上の高山地帯で発育する珍しい高山植物1,000種余りを保有していることでも有名です。


慶尚南道(統営市 )

1990年、李忠武公の護国精神を称えるためにソウル市が海軍に依頼したもので、制作費22億ウォンを費やし、実物大に復元した亀甲船で、南北分断以降52年ぶりである2005年11月16日に漢江市民公園に停泊していた亀甲船を李舜臣(イ・スンシン)将軍の閑山大捷(朝鮮軍が日本軍を大きく打ち破った戦闘) の勝利の場所である統営に移し展示されることになりました。


ソウル(鍾路区)

彰義門(チャンイムン)は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。


慶尚南道(統営市 )

 慶尚南道、統営(トンヨン)市にある弥勒山(ミルッサン)は高さ461mの小さい山ですが、生い茂った木々や澄んだ水の流れる渓谷、様々な形をした岩や岩窟、古いお寺などが山の中にあり、韓国の100大名山に選ばれています。弥勒山に登ると閑麗海上の真髄を見せる統営の海の美しい景色を一目に眺めることができます。統営の海は弥勒島をはじめとする大小さまざまな島々が点々と散らばっている多島海です。 以前は歩いて頂上まで登っていましたが、韓国最長(1,975m)のケーブルカーができてから簡単に登れるようになりました。ケーブルカーで上部停留場に到着すると、約400mにおよぶ木でできた散歩デッキが弥勒山の頂上まで設置されていて、天気の良い日には日本の対馬や智異山の天王峰、麗水(ヨス)の突山島まで見えるほど素晴らしい景観を誇っています。頂上付近では、春には色とりどりの花が、秋には紅葉が美しい壮観を成し観光客の目を楽しませています。弥勒山のふもとには長い歴史をもつ龍華寺(ヨンファサ)と弥来寺(ミレサ)があります。


慶尚北道(浦項市 )