全羅南道(潭陽郡 )

昌平スローシティは1510年頃に形成された村で東の方には月峰山、南側にはクッス峰がそびえています。村の前を流れる川の様子が鳳凰が羽を伸ばして取り囲んでいる形に見えることから三支(内)川と呼ばれてもいます。この村は周辺が自然豊かだったため、昔から農産物が豊富な地域でした。村内には市道民俗資料第5号「潭陽古再生家屋」を中心に数軒の伝統韓屋がそのまま残っているため、伝統村としての価値が高いと言われています。


忠清南道(瑞山市 )

瑞山の海美邑城は原型がもっともきれいに保存されている史跡です。朝鮮時代に造られ、600年余りの歴史の中で燦爛たる文化を花咲かせました。また、忠清道の中心地で、忠清道を管掌していた兵馬節度使があり、李舜臣が勤務していた歴史的な場所です。1000人余りのカトリック信者が信心で死を克服した全国最大の殉教地で、東学革命(東学党の乱)やカトリック迫害など、激動の歴史の舞台となったところです。このような意味ある歴史の現場で、瑞山海美邑城歴史体験祭りが開催されます。朝鮮後期の伝統市場の素朴で活気ある市民の生活像を再現した「伝統ナンジャン」をテーマとして、様々なプログラムが準備されています。綱渡り、プンムルノリ(農楽)などで構成されたナンジャン公演の他、国楽、管弦楽、マダン劇など、様々な文化公演が繰り広げられます。他にも伝統酒屋、伝統工芸などの伝統文化体験や民俗遊び体験、絵画パフォーマンスなど、観覧客が参加して楽しむことができます。


忠清南道()

黄龍寺(ファンニョンサ)は韓国仏教の太古宗に属する寺院で、創建については正確に知られていません。朝鮮中期の党争を避け、都落ちした黄喜(1363~1462年)の子孫が国の太平聖代と家門の繁昌を祈るための願刹として創建したと伝えられています。その後、黄喜の子孫が代々寺院を続けてきましたが、ある時期から頹落して廃墟となったとされています。


忠清北道(提川市 )

堤川市鳳陽邑院朴里と白雲面を隔てる険しい峠が朴達峠です。パクタルとクムボンの悲しい恋物語が伝えられている峠で、堤川市ではこの二人の主人公をキャラクター化し、「パクタリとクムボンイ」という名前で各種キャラクター商品の開発に取り組んでいます。峠の入口には門が立てられ、登山客に見どころを提供しています。


慶尚北道(慶州市 )

KOINMOは、韓国観光公社が主催、文化体育観光部が後援するイベントで、韓国を代表するノンバーバルパフォーマンスやミュージカル、伝統公演、クラシックコンサートなど、幅広い分野の公演が充実しています。個人旅行客を対象にした新規商品開発など、量的・質的にもグレードアップした構成とサービスが提供されます。


慶尚北道(浦項市 )


忠清北道(忠州市 )

* 中原塔坪里七層石塔のある市民公園、中央塔史跡公園 * 国宝第6号である中原塔坪里七層石塔は韓国の中央にあるということで中央塔と呼ばれています。この塔は統一新羅時際(9世紀中ごろ)に建てられたとされ、高さ14.5mの唯一の7層石塔です。中央塔周辺には彫刻公園が造られ、「文化財と湖畔芸術の出会い」というテーマで国内の彫刻家たちの作品26点が展示されている忠清北道最大の野外彫刻公園です。 * 忠州市民の憩いの場、中央塔史跡公園 * 史跡公園は市民たちの公園として彫刻物や散策路、忠州博物館や野外博物館、音楽噴水、中央塔、簡易噴水などがあります。このような施設を基盤に中央塔史跡公園は忠州の市民たちの憩いの場、子ども達の学びの場として発展しました。また、中央塔公園の北側には忠州調整池ダムがあります。  


京畿道(坡州市 ) , DMZ・板門店

平和と統一を願うクラシック音楽祭「漣川DMZ国際音楽祭(ヨンチョンDMZグッチェウマクチェ)」が京畿道漣川郡一帯で開かれます。漣川郡は、世界で唯一の分断国家である韓国の非武装地帯「DMZ」の意味を改めて考え、世界共通の言語といえる「音楽」で人類平和の道を模索するための音楽祭を企画しました。


慶尚南道(金海市 )

蔚山は約2,000年にもなる三韓時代から朝鮮時代(1392~1910)、1960年代に至るまでの韓国の鉄の歴史を見ることが出来る都市で、国の成長と発展の原動力となった産業中心地です。 歴史的な背景をテーマとするこの祭りでは伝統民俗遊びである「セブリ遊び」を再現し、風物公演と体験合宿イベントが行われます。韓国では珍しい伝統産業文化をテーマとした祭りで、見どころ満載です。


京畿道(安養市)

京畿道安養市に位置するソウル大学校冠岳樹木園は、韓国に自生する植物及び北半球の植物の収集・繁殖・保全・展示・研究を行い、関連知識及び情報の蓄積や教育、そして国内外の関連機関との交流、協力を推進しています。