江原道(寧越郡)

一昔前まで繁栄を誇っていた石炭産業や炭鉱村の鉱夫らの暮らしの様子を再現した博物館・江原道(カンウォンド)炭鉱文化村。 「寧越(ヨンウォル)磨磋里(マチャリ)炭鉱村の痕跡」をテーマに、炭鉱産業や鉱夫らの家屋、磨磋里の昔の様子をリアルに再現、見学することができます。実際に使われていた坑道入口部分を体験展示館に作り替え、鉱夫の作業着体験などもできます。


全羅北道(高敞郡 )

緑の牧場で一日シェフになる 全羅北道(チョルラプクド)高敞郡(コチャングン)と毎日乳業(メイルユオプ)が共同出資し、若手アーティストと手を組んで作り上げた農村型テーマパーク・上下農園(サンハノンウォン)。有機農法のあらゆる分野を体験できる場所がここ上下農園です。 お米がスーパーマーケットで作られると信じてやまない近頃の子どもたちにとって、上下農園の全製品が作られる工程をこの目で直に見学できる上下農園は、またとない貴重な経験の場となることでしょう。 また自らソーセージ、アイスクリーム、パン、チーズを作ることもでき、健康的な暮らし方を学ぶことができるのがここ上下農園です。


江原道(高城郡)

東海岸に沿って続く国道7号線を走り、統一展望台方面へ向かえば故金日成の別荘地だったことで有名な「花津浦」まですぐ近くです。花津浦にある「パクポスガーデン食堂」は、現在三代目のご主人が味を守り抜いてきた伝統的なキムチスープ入り辛味そば(マックッス)の専門店です。大根入り水キムチのそうめん(トンチミ・グッス)に浮かぶ氷が、そばの味を引き立てます。ここには、できたてホヤホヤの田舎豆腐(シゴル・トゥブ)や茹で肉(ピョニュク)を味わうために、全国各地から多くのお客さんが訪れます。


全羅北道(完州郡)

手工芸が苦手な方でも素晴らしい韓紙作品が作れるところ 韓国の韓紙(ハンジ)技術は東洋一を誇り、韓紙は伝統的に輸出品として重宝されていました。大勝(テスン)韓紙村(ハンジマウル)は、その古の時代の伝統を今に伝えている村で、ここには韓紙工場が9か所、韓紙生産技術保有者が10人あまり住んでいます。村にある韓紙生活史展示館や体験場では、様々な伝統的な韓紙の美しさに浸ることができ、自ら韓紙を漉いてみたり、韓紙工芸品も作ることもできます。見学を兼ねて作品も作れるそんな場所がここ、大勝韓紙村です。


釜山広域市(釜山鎮区)

2019年11月15日から27日まで13日間繰り広げられる11カ国を代表する料理の競演! 2019韓・ASEAN特別首脳会議開催に合わせ、よりスケールアップした韓国・ASEANフードストリートが2019年11月15日から27日まで釜山広域市釜山鎮区(プサンジング)田浦洞(チョンポドン)ノリマルで開催、アセアン・東南アジア諸国連合加盟国10カ国のポップアップストアやさまざまな行事や公演、イベントが行われます。


慶尚南道(山清郡 )

慶尚南道の山清は「韓方薬草祭」が開かれる、薬草が有名なところです。そのため、やはり韓方鴨や韓方の水炊きなどの味が格別です。料理の名前の頭に「十全大補(シプチョンデボ)」とついているなど、実に効能がありそうです。山清の26種類の代表的な薬材と、それらの薬材と相性のいい鴨と鶏の料理は、その名ののとおり滋養強壮に効果のある食べ物です。その上、薬草のつけものや、デザートにでてくる薬草茶と韓方茶、そして、8年物の竹酒(テトンジュ)もあります。元気になれる滋養食をお探しなら、ぜひ一度訪ねてみてください。


江原道(麟蹄郡)

将帥台の北1キロメートル地点に位置した大勝瀑布(テスンポッポ)は88メートルの高さから落ちる水が壮観な景色を演出しています。新羅・敬順王の避暑地だったと伝えられており、金剛山の九龍瀑布と開城の朴淵瀑布とあわせて韓国の三大瀑布として知られているところです。雪岳山国立公園西の将帥台から大勝瀑布を過ぎて北に1時間30分ほど行くと雪岳山西北稜線上の峠である大勝嶺(テスンリョン)があらわれます。この大勝嶺が内雪岳に入る最初の峠になりますが、この峠を越えると百潭寺または十二仙女湯渓谷の方に下ることができます。周辺には各種の鳥たちが暮らしており、さまざまな岩や石、木々が調和してすてきな自然の風景を作り出しています。


忠清南道(天安市 )

趙炳玉博士生家地は、独立運動家で政治家としても活躍した維石(ユソク)趙炳玉(チョ・ビョンオク)博士が生まれたところです。 1894年3月21日、忠清南道(チュンチョンナムド)天安市(チョナンシ)並川面(ピョンチョンミョン)龍頭里(ヨンドゥリ)で生まれ、ソウルの培花学堂(ペファハクタン)で学び、その後、平壌(ピョンヤン)崇実(スンシル)専門学校を卒業後、渡米し米国コロンビア大学に留学しました。 コロンビア大卒業とともに1925年帰国し、1927年には抗日団体・新幹会に参加、幅広い抗日民族戦線を形成する運動に立ち上がりました。 1929年には光州(クァンジュ)学生運動を裏で操っていたとして逮捕され3年間獄中生活を余儀なくされました。 大韓民国政府樹立後は李承晩政権下で内務部長官を歴任するなどしたものの、李承晩大統領と意見の対立があり、辞職に至り、以降野党の政治家として活躍することになります。 その後1960年には李承晩大領領率いる自由党に対抗する民主党の大統領候補として選出されたものの直後に病で倒れ渡米、病気療養中にアメリカで逝去しました。 没後の1962年3月1日には大韓民国建国勲章単章(独立章)が追贈されました。 現在の趙炳玉博士生家地の建物は1995年4月20日に復元されたものです。 なお、趙炳玉博士の父である趙仁元(チョ・イノォン)氏は1919年の3・1独立運動直後、地元・天安で起きたアウネ万歳運動で、柳寛順(ユ・グァンスン)烈士とともに主導的な役割を果たした人物として知られています。


忠清南道(公州市 )

石壮里(ソクチャンニ)世界旧石器祭りは、旧石器時代をテーマにした多彩で盛りだくさんの文化・芸術イベントが開催されるお祭りです。会場では旧石器時代にまつわる体験やその時代について学べるお祭りで、毎年5月に開催されています。公演・展示・食べ物市場などさまざまなプログラムも盛りだくさんのお祭りです。


忠清南道(論山市 )

江景(カンギョン)は近代の時期に港を中心に一大経済圏が形成され繁栄した街。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、群山港(クンサンハン)が開港し、群山線や湖南線(ホナムソン)、長項線(チャンハンソン)といった鉄道が開通すると、江景における商業の中心地的機能は衰退していきました。 代表的な文化財としては、旧江景労働組合(登録文化財第323号)、旧韓一銀行江景支店(登録文化財324号)、江景旧 延寿堂乾材薬房(登録文化財第10号)、江景中央初等学校講堂(登録文化財第60号)などがあります。