ソウル(中区) , 明洞

銀座の寿司「久兵衛」の味を韓国・ソウルで味わえるという本格派。 ソウルウェスティン朝鮮ホテル和食寿司条は「見吟味する料理」である和食の現代的な感覚を吹き込んだシンファシク(新和食)で、世界的なレストランガイドブック「ザガット(ZAGAT)」韓国版で味の部分で最高のレストランで認められたレストランです。また、寿司条名物の一つは、檜寿司ダイは、350歳の檜の木を15年間自然乾燥させ、日本の専門職人が作ったもので、これは日本でも由来を見つけることは難しい最高だそうです。プライベートに寿司をお楽しみいただけるようライブ寿司ルームを別途運営しています。 代表的なメニュー モドゥムセンソンフェ : KRW 290,000 モドゥムスシ : KRW 115,000 : KRW 0 ガウルソンイセルロドゥ : KRW 85,000 利用時間 07:00~22:00        


慶尚南道(昌原市 )

注南貯水池生態学習館(チュナムチョスジ・センテハッスプクァン)は、展示施設・中央ホール・農産物販売に分かれています。まず中央ホールで案内を受けて展示室へ行くと、注南貯水池にやって来る渡り鳥やこの周辺で花を咲かせる植物、昆虫などの標本やはく製が展示されており、注南の生態界を感じることが出来ます。映像室では注南の鳥と人間の密接した関係をビデオで上映しています。展示館の壁面に設置されているモニターでは鳥類の飛行原理や鳥類の生態などについてのビデオが上映されています。また、生態学習館での観覧を終えると、自転車(無料レンタル)に乗って注南貯水池や貯水池にやってくる渡り鳥を実際に目にすることが出来ます。 お問い合わせ) +82-55-212-4950 (英語)


全羅南道(和順郡)

雲住寺(ウンジュサ)は他の寺とは違い独特な仏像と仏塔を持っており、神秘的な寺刹と呼ばれています。以前はこの寺には千体の仏像と千基の仏塔があり、千仏千塔として有名でしたが、現在は約100体の仏像と20基の仏塔が残っているのみです。雲住寺の創建について正確な記録はありませんが、新羅末期にトソン国師(827~898)が創建したという説があります。雲住寺は通常寺の入口にある金剛門や天王門などがなく独特の様式。雲住寺でいちばん最初に目に付くのが雲住寺九層石塔(宝物第796号)で、この塔には精巧さがなく素朴な造りとなっています。九層石塔から少し歩くと左右の分かれ道になっており、左側に行くと七星岩があります。これは北斗七星の姿に似ていることから、雲住寺が星座の姿をかたどっているとの説の由来となるものです。他にも臥仏2体や侍衛仏(石仏立像)、七層石塔と五層石塔などいろいろな文化財を見ることができます。


江原道(旌善郡)

ミンドゥン山(ミンドン山)は、山全体が丸みを帯びて果てしない広野のような印象を与える海抜1,118メートルの山です。その20万坪ほどがススキで覆われる風景は壮観で、全国5大ススキ群落地となっています。 ミンドゥン山ススキ花祭り(ミンドゥンサンオクセッコチュッチェ)は、この美しい風景を山を愛する人々に伝えるべく開かれるお祭りです。


京畿道(高陽市) , 一山


江原道(東海市)

江原道東海市にあるDQモーテルは東海高速バスターミナルから徒歩2~3分の距離に位置していて大衆交通でもアクセスが容易。 モーテル外観は、さわやかな印象を与え、客室の中も整理整頓がきちんとされている。 5分の距離にある墨湖港では各種の刺身と海産物が手ごろな値段で食べられ、30分の距離内に望祥海水浴場、武陵渓谷、東海イルカ化石博物館、湫岩ろうそく岩、泉谷天然動物など多様な見どころもあり、いろいろと楽しめる。 墨湖旅客船ターミナルからピックアップも可能であり、マイレージ制も行っているのでここを頻繁に訪れる旅行客ならば、充実した旅行ができること間違いなし。


忠清南道(礼山郡 )

徳山道立公園は徳山面の柿梁里、斜川里、屯里、上加里、光川里などを含み、1973年に道立公園に指定されました。公園内には元暁峰、石門峰、韓国・湖西地方の小金剛と呼ばれる徳崇山、ヘテ岩など美しい渓谷や滝や修徳寺があります。 修徳寺の大雄殿は浮石寺の無量寿殿、安東市の鳳停寺の極楽殿とともに、現存する高麗時代の木造建築です。大雄殿は1936年から4年間、寺を修復し大きな梁から出てきた墨書で、高麗時代の忠烈王朝34年(1308年)に建立されたということが分かりました。 国宝49号である大雄殿は、現存している高麗時代の建築物の中でも特異なもので、百済の様式のような曲線が建物にみられます。また間口3間、奥行4間の平屋の切妻造りで荘重な趣があります。 なお徳山道立公園は1990年11月1日から、炊事行為が全面禁止されました。 * 徳崇山地区-修徳山、歓喜台、見性庵、金剛岩、定恵寺、小林草堂、萬恭塔、一柱門、尼寺など *伽耶山地区-伽耶寺址、玉渓貯水、南延君の墓、サンファン寺址、報徳寺、五十道岩、オギャンの滝、亀岩、高麗チャギ墓地 ※ 主要文化財 修徳寺の大雄殿(国宝49号)、修徳寺の大仏、三重の石塔、七重の石塔、六槐亭、 満空禅師の舎利塔、ファンハ楼、聖宝博物館


江原道(楊口郡)

方山地域の白磁が展示された楊口白磁博物館(旧方山磁器博物館)は、所蔵品をはじめ、陶枕、甲足などの窯道具などが展示されている他、様々な映像が上映されており、方山地域の白磁の流れを知ることができます。体験室は電気窯、ガス窯、薪窯などを完備、野外および室内の体験を兼ねることができる施設として広さ70坪余りの場所に置かれています。 ここでは土を作る方法や成形、そして窯で直接焼いて磁器が作られる全過程を体験することができます。 陶磁器生産地として楊口方山面はすでに高麗時代から注目され、朝鮮時代には京畿道広州の分院里に原料を供給した所で、広州分院の技術と造形美が移植された場所でもあります。方山面一帯の陶甕址地表調査の結果、40基の窯の跡が確認されており、当地域は楊口郡内の現方山面所属の長坪里、七田里、峴里、松峴里、五味里、金岳里など6ヶ所と、隣接した楊口邑の上無龍里を含んだ合計7つの地域から構成されています。 長坪里では7基、七田里5基、硯里4基、松硯里7基、金岳里4基、五味里4基、上無龍里9基など、合計40基が確認され、 約7つの地域で白磁を製作する時に使ったと推定される原料が確認されました。 朝鮮時代後期に王室の分院で生産されていた白磁原料の主な供給地の一つが楊口郡であったことから、原料の需給関係を通した広州分院白磁との関連性を伝えています。実際に楊口で採集される白磁、青華白瓷などは、特に朝鮮後期の分院白磁との造形的相互関係が非常に高いとされています。韓国戦争(朝鮮戦争)勃発前まで窯業が続いた所で、朝鮮時代から近代へと移行する時期の韓国の近代陶磁産業の実状を把握することができる重要な遺跡との評価を得ています。 楊口方山の白磁生産の600年の歴史を伝えるこの展示館では、朝鮮王朝最後の官窯、分院里青華白瓷と肩を並べ、王室白磁を庶民層にも広めた朝鮮白磁の最後の花、方山青華白瓷の甕を中心に、良質な楊口白土が創り出した白い朝鮮白磁の光とその流れが展示されています。


全羅南道(潭陽郡 )

全羅南道記念物第6号に指定されたあずまや「俛仰亭」は全羅南道潭陽郡、鳳山面斎月里斎峯山のふもとに位置しています。1533年に宗純(1493~1583)が建てたもので、李滉(イファン)(1501~1570)をはじめ多くの学者や文人が学問について討論した場所とも言われています。丘の上に建てられており、木造の瓦屋根で側面と左右に床が敷かれ、中央には部屋が配置されています。もとは糊や葦で屋根が作られ、雨風をやっと防ぐ程度のものでしたが、現在の姿は何度か補修されたものとなっています。俛仰亭の後ろには遠くまで続く山脈を望むことができ、丘の下に広がる広い垣がひと目で見渡せます。宋純はこの場を詩文活動の産室として造り、中には当時の有名な学者や詩人たちの詩編が刻まれたものが掛けられています。