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永川慈川里の「五里長林(オリジャンリム)」は村の防風、堤防保護および洪水防止のためにつくられた森です。 1500年代に村の住民らがつくったと伝えられており、現在はアベマキなど12種約280本の木々が森を成しています。森の長さが5里(2キロメートル)に達するため昔から五里長林と呼ばれ、近ごろは慈川(チャチョン)の森と呼ばれることもあります。村の住民らは、この森がくつられた時から毎年小正月に村の平安を祈るための祭祀を執り行なっています。 五里長林は堤防保護、村の守護および村の景観を美しくする役割を果たしているだけでなく、民族の自然愛護思想がわかる貴重な資料となることから天然記念物に指定され保護されています。
慶尚南道居昌郡(コチャングン)ある鄭蘊(チョン・オン)先生宗宅は古い建築物の特異な構造を見ることができる韓屋です。四方が高い山に囲まれた盆地のため南向きにもかかわらず寒さが厳しく、北方で見られる形式である重なり屋根形態で造られ、雨がよく降るため雨よけのため眉毛屋根(庇屋根)もあります。 週末には家族連れの旅行客が、平日には研究団体がよく訪れます。 金猿山(クモォンサン/クムウォンサン)のトレッキングコースや夏の国際演劇祭が開かれる捜勝台(ススンデ)遊園地が1kmの距離にあり、憩いのひとときを過ごしたりや文化行事を楽しんだりすることができます。 母屋は家主の家族が生活をしている場所で、舎廊(サラン)チェと中門チェ、大門チェを客室として貸し出しています。団体のお客様の場合は舎廊チェ全体を借りることができます。
忠清北道(チュンチョンプクド)丹陽郡(タニャングン)で最も大規模な在来市場・丹陽場(タニャンジャン)・丹陽クギョン市場。 市場の名称・クギョンには、丹陽の8か所の景勝地・丹陽八景(タニャンパルギョン)に続く9番目の観光地・「九景(クギョン)」という意味と、見る・見学するという韓国語「クギョン」の意味を込めて名付けられました。 どの市場でも様々な農水産物、生活必需品、工業製品など販売されていますが、この市場では田舎に住むお年寄りが少ないながらも手塩にかけて栽培した野菜や豆、小白山(ソベクサン)山中で収獲された山菜などが売られ、故郷の香りを感じさせてくれます。また、デパートやスーパーでは見ることがない昔ながらのほうきや縄袋といった生活用品も市場では見かけます。 丹陽クギョン市場では、市場で欠かすことのできないグルメも数多くあり、収獲したばかりのトウモロコシ、地元の人々の情があふれるプチムゲ(チヂミ)やマッコリ、黒ニンニクタッカンジョン、ノウタケ入りカモの水炊きなど、市場を訪れる人々の視線を釘付けにする様々なグルメが、市場の路地のあちらこちらにあります。特に自家製のニンニク油を加え作ったニンニク餃子・マヌルマンドゥが人気です。 市場では小白山で採取したはちみつやツルニンジン、霊芝、野生のメシマコブなども販売されており、数多くの人々が買い求める姿を見かけます。 毎月1と6がつく日(1・6・11・16・21・26日)には五日市も開かれます。丹陽郡には丹陽場・永春場(ヨンチュンジャン)・梅浦場(メポジャン)などの五日市が開かれますが、その中で一番大規模な五日市が、ここ丹陽場の五日市です。
2001年7月11日京畿道高陽市一山東区獐項洞湖水公園内に開館したトイレ専門展示館です。総面積148.32平方メートルの規模で東洋・西洋のトイレの変遷史を一度に観ることができるトイレに関する品々が展示されています。 韓国のものとしては忠清南道扶餘の軍守里寺址で発見された便器や朝鮮時代の王が使っていた携帯用便器梅花トゥル(枠)、仏国寺の水洗式便所などが展示されています。西洋関連の展示品としては本を重ねて作った椅子式の便器やフランスのルイ13世が使用した椅子式便器、17世紀に開発された女性専用便器や男性専用便器、英国のジェームス2世が使用した便器などが展示されています。東洋のトイレ関連展示としては日本や中国の便器なども展示され、全てで19種類52点の関連展示物があります。 また、韓国の典型的な農村のトイレを実物の大きさより3割縮小して再現したものも展示しています。東洋・西洋のトイレ文化を紹介したビデオやタッチスクリーンではさまざまなトイレに関する歴史などの紹介をはじめ各国の異色のトイレを紹介、この他にもトイレに関連することわざや落書き文化など、さまざまな展示があります。展示館の外には男性用トイレ、女性用トイレ、市政広報館もあります。
[中小ベンチャー企業部2019年[百年店(ペンニョンカゲ)」に選定] 慶州(キョンジュ)観光の要所・天馬塚(チョンマチョン)や瞻星台(チョムソンデ)そばにある「淑英食堂(スギョンシクタン)」は黄土色の外観や草葺屋根の建物が田舎の雰囲気をかもし出す韓食堂です。 食事のメニューは2種類あり、麦飯にナムルやコチュジャンを混ぜて食べる「チャルポリパプ定食」(2人以上から注文可能)や、同じチャルポリパプにおかずが数種類追加で出てくるお一人様向けの「ナホルロ(おひとりさま)定食」があります。 「パジョン」や「タニシとツルニンジンの和え物」は酒の肴として人気のメニューですが、食事のときに注文してもおすすめの一品です。 チャルポリパプや代々引き継がれてきたこの店秘伝の方法で醸造されたトンドンジュ(濁酒)は食事の後でもお腹に残らないすっきりした味わいで人気です。 いずれの料理も慶州市乾川(コンチョン)地域のもち麦・チャルポリやもち米、スンドゥブ(おぼろ豆腐)など、韓国産の素材にこだわった料理となっています。
シャニーモーテル(Shani Motel)は5階建ての全29室ある宿泊施設です。 全羅北道扶安(プアン)市外バスターミナルから徒歩7分の距離にあり、アクセスも大変よく、すべての客室が清潔で広々とした間取りとなっています。 お体の不自由な方向けの専用駐車スペースをはじめ、出入口のスロープ、点字ブロックなど肢体・視覚に障がいのある方向けの施設も完備しており、シャニモーテルならではのサービスとなったいます。特に目がご不自由な方をガイドする盲導犬とも一緒にお泊りいただけ、お体の不自由な方にもアクセスしやすいようになっています。 毎年5月のマシルキル祭りの期間には特にご利用のお客様が多くなっています。最も人気がある客室は一般室で、全室リーゾナブルな料金で皆様にご提供させて頂いています。
全羅南道海南の頭輪山のふもとにある薛芽(ソラ)茶園は、茶文化を守ろうとする人々によってつくられたところです。ここの主人が1996年に海南の大興寺で出会った僧侶から「地元の茶文化を受け継ぐ人がいない状況を懸念している」と聞き、これをきっかけに茶園が始まりました。一緒に茶を学んでいた9人が海南に集まって茶畑をつくり、家を建て、茶に関心のある人々が薛芽茶園に訪れるようになりました。遠くから訪れた人が泊まるところがなかったため、石の家や土の家、アースバッグハウスなど、8棟の家屋を作り上げました。韓屋は2003年に文化空間とともにつくられ、そのうち3部屋を韓屋ステイとして運営しています。
雲門山(1,188m)は嶺南アルプスを形成している1,000級の7つの山のひとつです。山勢が雄大で木々が生い茂っており登山客が多く訪れる山です。頂上からの展望は南側の向かい側に天王山のススキ畑が見え、東側には加智山に続く稜線が見えます。ここには雲門寺をはじめ、大小様々な寺や庵子があります。 雲門寺 雲門山の北側の麓にある寺院で新羅真興王18年(557年)に神僧が創建し、円光法師、宝襄国師、円應国師、一然禅師が続いて修復をしてきました。壬辰倭乱の時に一部の建物が焼失しましたが、五百羅漢殿、観音殿などが昔の姿のままで保存されています。ここには宝物第193号である金堂前石燈をはじめ、7点を保管しています。すべて新羅・高麗時代のもので由緒正しい場所です。
全羅北道完州郡(ワンジュグン)の澄んだきれいな農家が立ち並ぶ鳳捿(ポンソ)コル(谷)は青い山に囲まれた深く静かな山あいの村です。 斗億(トゥオク)ヘンボクトゥリム村は鳳捿コルの斗億村の中にある韓屋で、建物の前には広々とした芝の庭が、そして背後には高い山々が屏風のように広がっています。自然に恵まれたこの地に来れば、爽快な空気が体中をきれいにしてくれるような気分になるほどです。 韓国の風水地理的に素晴らしいとされる場所・明堂(ミョンダン)でも韓国の八大明堂のひとつに数えられる鳳捿コルのトゥオク村。 全州中心部からさほど離れていませんが、桃源郷を思わせるほど深く物静かな山間の村です。村の右手には終南山(チョンナムサン)、左手には西方山(ソバンサン)があり。山が村を包み込んでいるかのように見え、この姿が鳳凰が包み込んでいる形に似ていることから「鳳捿」という地名が付けられたといいます。こんな地形のおかげで空気は澄み、一年を通じて美しい風景を誇っています。 斗億村は完州郡の村活性化事業を通じて、斗億ヘンボクトゥリム村に生まれ変わりました。斗億村には築150年の韓屋から築45年の韓屋までさまざまな韓屋が軒を連ねていますが、2010年から村では共同で韓屋宿泊業と協力しさまざまな体験プロフラムを開始しました。 その中で斗億ヘンボクトゥリム村は教育用体験館としての機能を果たしているところです。客室のほか、およそ100平方メートルの広さの大きな体験場があり、団体専用施設として利用しています。 体験場では礼節教育の実施や科挙試験の再現を体験したりします。 宿泊費用には1日3食の食事も含まれていますが、酵素を使って作った漬物やナムル、野菜がいっぱいの地元の田舎料理で構成された健康食をご提供しています。味もすばらしく、都会では味わえないおかずが多く、ご利用のお客様から好評を博しています。 敷地入口の大門脇にある門間(ムンガン)チェの建物に入ると、さまざまご利用いただけるとても広々とした芝の中庭が目に飛び込んできます。そして中庭の前には青い山々を背景に正面、左右にと大きくはだかる瓦屋屋根の家屋が広がり、伝統韓屋の雄大な雰囲気を感じられます。 韓屋の客室は特別な装飾はなく、こじんまりとしてシンプルな造りです。薪を焚いて利用する昔ながらのオンドル部屋となっていることもあり、エアコンは設置されていません。 大門の正面にある体験館の戸は天井につるし開閉する形態となっています。そのため中庭に向って設置されている10つの戸すべて天井に吊るし上げており、山側の戸もやはりすべて開くと、四方に外の風景がパノラマのように広がり素晴らしい風景となります。 斗億ヘンボクトゥリム村は農漁村体験及び休養村の指定を受けた村です。このため村では共同でさまざまな体験を実施しています。 ガイドとともに村の森を巡る「自然体験」、願いを書いたネックレスを作ってかけたり、明堂を訪れる体験などもあります。種籾を蒔いたり、稲を刈ったりする「稲作体験」を始め、サツマイモ掘りの体験も季節毎に行っています。 また弓矢、丸い金属製のリングを転がして遊ぶクルロンセなど伝統遊びを体験することもできます。 ソリ(音)学堂や礼節教育などの体験も一年を通じて2日間のコースで行われています。 この他「杵つき体験」、「案山子作り体験」、「伝統チェギ作り体験」、「凧作り体験」なども常時実施しており、学校単位などの団体で韓国の伝統文化を自ら体験し学ぶことができ、児童・生徒の課外学習の場所として最適なところです。
弘智門(ホンジムン)と蕩春台城(タンチュンデソン)は、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)及び丙子胡乱の後、都を守る目的で、囲むように築かれた城郭・ソウル漢陽都城(ハニャントソン)と、その北方の山中にある北漢山城(プカンサンソン)をつなぐため築かれた建造物です。 1719(粛宗45)年、都を取り囲む都城と都の北にある北漢山城の守りを補完すべく、弘智門、五間水門(オガンスムン)、蕩春台城を築造しました。 弘智門は、現在のソウルの北西の守りにあたる城壁・蕩春台城への入口となる門として築かれ、漢北門(ハンプクムン)とも呼ばれています。この弘智門からつながる蕩春台城の城郭は、都の西にあることから、西城(ソソン)とも言われました。 元々、蕩春台城がある洗剣亭(セコムジョン)一帯は新羅・高句麗・百済が群雄割拠していた三国時代の時から漢山州(ハンサンジュ)として、軍事的要所となっている地域でした。 蕩春台城は、仁王山(イナンサン/インワンサン)の頂を通るソウル漢陽都城から弘智門を経てスリ(チョクトゥリ)峰に至るおよそ4kmほどに築かれた城郭です。 * 蕩春台城 蕩春台城は、ソウル漢陽都城と北漢山城をつなぐ城郭で、仁王山の北東側から、北の方角に稜線伝いに下り、水無川を過ぎて三角山(サムガクサン=北漢山の最高峰・白雲台)の南西・碑峰(ピボン)の麓まで続いています。 この城郭は当初計画していたすべての区間が築かれず、東側の部分・北漢山城の普賢峰(ポヒョンボン)から兄弟峰(ヒョンジェボン)を経て北岳(プガク)トンネルのすぐ北・補土峴(ポトヒョン)を通り、狗蹲峰(クジュンボン)の西側からソウル城郭へと続く城郭の部分は未完のままま終わってしまいました。 この城郭の名称が蕩春台城となったのは、現在、洗剣亭がある場所のおよそ100mほどの小高い山の頂に、朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=在位1494~1506年)が宴に耽る蕩春台があったことに由来しています。 また、蕩春台城は、都城の西側にあることから西城、あるいは二重に城郭を築いたことから重ねて築く城郭という意味でキョプソンとも呼ばれました。 蕩春台城の稜線伝いの道はなだらかで、上りやすい小道となっており、山登りを兼ねて歴史探訪にもおすすめのコースです。 蕩春台城に上るには、洗剣亭、祥明(サンミョン)大学校や旧基(クギ)トンネル、弘恩洞(ホンウンドン)から山に入ると、比較的楽に上ることができます。 蕩春台城は、弘智門と五間大水門(オガンデスムン)を境に、大きく二つの地形に分かれます。弘済川(ホンジェチョン)の流れを境に南西の区間は、仁王山を横切るソウル漢陽都城から北へと枝分かれする稜線上に築城され、また北東方向へ伸びる区間は北漢山国立公園内の蕩春台稜線を、標高527.5mの碑峰に向かって築城されています。 仁王山の周囲は、ソウル漢陽都城から枝分かれした地点から急傾斜の地形となっており、松の木が生い茂る稜線には土塁が築かれています。土塁は北の方角へと続き、城郭の外側に突出した岩盤の稜線に交わるよう築かれています。 * 弘智門 弘智門は、朝鮮時代第19代の王・粛宗(スクチョン=在位1674~1720年)が自ら筆を持ち書いた親筆で「弘智門」という扁額を書き、門楼に掲げられていた由緒ある城門です。 しかし、1921年に発生した洪水により弘智門は崩れ、長い間放置されていました。 およそ50年後の1977年7月になり、ソウル特別市都城復元委員会の手により、長きにわたり放置されていた弘智門、五間大水門、そして周辺の城郭280mを復元することができました。 この復元の際、弘智門の扁額は新たに作り替えられ、当時大統領だった朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の直筆が刻まれました。 弘智門は石で築いた虹霓(ホンイェ=虹)形の陸築の上に、正面3間、側面2間(9.38m X 4.02m)の寄棟屋根の平屋の門楼があり、門楼の左右には夾門(ヒョンムン=脇門)を設け、さらに土を高温で焼いて作った瓦を積み上げ姫垣を造り、楼閣の周りを囲っています。 石で築いたアーチ型の陸築の出入口の前後には鉄葉(チョリョプ)という門に取り付ける鉄製の飾りを付けた門扉があり、陸築の左右には城郭に上ることができる階段があります。 弘智門は首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)の北側にあったことから「漢北門(ハンブンムン/ハンブクムン)」とも呼ばれました。 1999年には、城門の鮮やかな韓国伝統の塗装様式・丹青(タンチョン)や門扉をはじめ、門楼の左右にある夾門を補修しました。 祥明大学校前から降りていくと弘智門へと向かう道があり、道のすぐそばを流れる小川に従って歩いていくとおのずと弘智門へと向かっていきます。 弘智門からは山へと続く城郭・蕩春台城へと続いています。急斜面を山の頂へと伸びる都城は古の時代の都城の姿をいまに残しています。