釜山広域市(釜山鎮区)

国立釜山国楽院は、釜山(プサン)・嶺南(ヨンナム)地域における伝統公演芸術の継承及び発展を目的に、2008年10月28日開院した国立の文化芸術機関です。 公演、教育、研究を総括する機能を持つ国立釜山国楽院は、釜山の豊かな伝統文化を生かし、特色ある、そして品格高い作品を皆様にご紹介しています。 国立釜山国楽院は今後も特色ある品格高い代表作品を世に生み出し、国際海洋都市・アジア太平洋の拠点都市・釜山の文化競争力を高め、韓国の伝統文化の世界化をリードしていく所存です。 *開館日:2008年10月28日


慶尚北道(慶州市 )

※2019~20 韓国観光100選※ * 慶州 路東里古墳群 * 慶州(キョンジュ)中心部・路東里(ノドンリ)一帯にある古新羅時代の古墳群で、 鳳凰台(ポンファンデ)/飾履塚(シンニチョン)/金鈴塚(クムニョンチョン)などがあります。鳳凰台は高さ22m、直径82mで、皇南大塚(ファンナムテチョン)に次いで大規模な墓です。 鳳凰台の南にある飾履塚は、盛り土をした封墳の高さが6.5m、直径30mで、1924年の調査では、棺を置く槨(クァク・トッノル)を設けた積石木槨墳であることが明らかになりました。内部からは耳飾り、硝子製の玉で出来た胸飾り、銀製の帯、銀製の腕輪、環頭大刀、双龍環頭大刀、馬具、漆塗りの器などが出土しました。特に金冠や金銅冠の代わりに金銅製の履物が出土し、模様も独特で大変すばらしいものであったことから、この墓の名称も飾履塚と名付けられました。 鳳凰台の南側にある金鈴塚もやはり1924年に調査した墓で、長方形のくぼみを掘った後、底に河原の石や砂利を敷き詰めた高さ4mから5m、直径およそ18mから20mの積石木槨墳です。金冠、金製の耳飾り、金の腕輪、金製の帯、銅製の履物、鉄製の釜、漆塗りの器、硝子製の器、土器など数多くの遺物が出土しました。土器の中で、船の形をした土器や騎馬人物像の土器が異彩を放っています。この墓は規模が小さく、金冠や装身具の大きさが小さく、 殉葬された形跡があることから、新羅時代の王子の墓とみられています。飾履塚と金鈴塚は同じような規模・構造で、鳳凰台とともに深い関係がある墓とみられます。 (面積 - 16,902平方メートル) * 慶州 路西里古墳群* 慶州市の北西・路西洞(ノソドン)一帯にある新羅の古墳群で、現在およそ10基の大小さまざまな墓が残っています。 その中でも北側にある第130号墳は路東里古墳群の鳳凰台と対をなし、西鳳凰台と呼ばれています。路西里古墳群の内部構造は積石木槨墳と横穴式石室墳の二つに大きく分かれます。金冠塚(クムグァンチョン)/瑞鳳塚(ソボンチョン)/壺杅塚(ホウチョン)/銀鈴塚/第138号墳は新羅時代のもので、長方形のくぼみを掘った後、棺を置く槨を設け、河原の石や砂利を敷き詰めた積石木槨墳です。双床墳(サンサンフン)・馬塚(マチョン)・牛塚(ウチョン)などは墓の内部に割石で四角形の石室を造り、古墳の入口から石室までの間に羨道(ヨンド/ノルギル)を設ける横穴式石室墳で、新羅時代の様式となっています。 金冠塚は1921年に調査が行われましたが、金冠や金製の帯をはじめとしたさまざまな豪華な金工芸品が数多く出土しました。 西鳳塚は瓢の形をした双円墳の北側の墓で、鳳凰の装飾が付いた金冠が出土しました。また年代が刻まれた銀製の蓋がある器(銀盒=ウナプ)が出土し、5世紀前後に作られたものとみられます。 銀鈴塚と双円墳を形作る壺杅塚は日本の植民地支配から解放された1945年の光復以降初めての遺跡発掘で、高句麗第19代の王・広開土大王(クァンゲトテワン) を記念し、 乙卯(451)年に作られたという文字が書かれている銅製の器・銅盒(トンハプ)が出土しました。双床墳・馬塚・牛塚などは統一新羅時代初期の横穴式石室墳で、大部分盗掘され、詳しいことは分かっていませんが、双床塚からは統一新羅時代の土器の破片、馬塚からは馬の骨や鞍の一部などが出土しました。 路西里古墳群は路東里古墳群と似た性格の積石木槨墳と前期石室墳が混在し、墓の形態が移りゆく過程を示しており、これは慶州地域の墓の変遷を知ることができる、重要な史料と高く評価されています。 (面積 - 44,200平方メートル) * 慶州皇南里古墳群 * 慶州市庁舎南の反対側一帯にある古墳群で、味鄒王陵(ミチュワンヌン)をはじめ、およそ250基の古墳があり、古墳公園となっています。 1973年には天馬塚の発掘調査を実施し、金冠及び天馬が彩色付きで描かれた白樺樹皮障泥(馬の鞍についている泥よけ)が出土、この泥よけに描かれた馬は新羅時代の絵画としては唯一最古のものとして広く知られています。現在は古墳内部に入り見学できるように復元し、一般に公開されています。また古墳のうち、最も規模が大きい皇南大塚98号墳は1973年から75年にかけて発掘され復元されたものですが、この古墳の発掘により統一新羅以前に積石木槨墳や小型石槨墳が混在していたことが明らかになりました。 * 沿革 * 慶州市内の皇南洞一帯に分布している新羅時代初期の墓で、一部はは大陵苑区域の中にあります。日帝強占期(1910~45年)につけられた通し番号90~114、151~151号である円形に土を盛り上げた30基の墓です。大きな墓は積石木槨墳で、周囲には封墳がなくなった小さな墓があります。大陵苑の中には伝・味鄒王陵をはじめ、天馬塚や皇南大塚などがあります。1973年に発掘調査された天馬塚は直径47m、高さ12.7mで、金冠をはじめ多くの遺物が出土しました。 当時天馬塚が描かれた馬の鞍についた泥よけ・障泥(チャンニ)が出土したため、「天馬塚」と呼ばれ、現在ではっその内部が一般に公開されています。また、1973年から75年にかけて発掘調査された皇南大塚は南北の長さが120m、東西の幅が80m、高さ23mの巨大な双円墳で、南側の墓からは金銅冠や男性の骨の一部、そして多くの遺物が出土しました。 北側の墓からも金冠や夫人帯という文字が刻まれた銀製の帯など多くの遺品が出土しました。南側の墓に埋葬された人物は男性、北側の墓に埋葬された人物は女性で、夫婦の墓をくっつける形で造ったものとみられます。


ソウル(龍山区) , 梨泰院・龍山

ソウル地下鉄6号線・緑莎坪(ノクサピョン=龍山区庁)駅は、2019年3月ソウル特別市の公共美術プロジェクトにより、芸術と自然が織りなす文化スペースとして新たに生まれ変わりました。 緑莎坪駅は、地下5階のプラットフォームに降りた瞬間から地上に上っていくまでの間、様々なアート作品を鑑賞できる文化スペースとなっています。


全羅北道(南原市 )

智異山ベムサ渓谷(ベムサゴル)、達宮村に位置する智異山食堂は、地元で育った黒豚専門の店です。ここのおすすめメニューである肉質の良い地どれの黒豚を炭火で焼き、野外で3年以上熟成させたキムチと一緒に味わうことができる黒豚の塩焼きは弾力があり香ばしい味が逸品です。その他にも17種類の山菜定食、地鶏料理、辛味鍋など多様なメニューが揃っています。また、神秘の薬水や各種山菜ナムル、地元で作られたはちみつなどの特産物も購入することができます。以前、名店としてテレビで紹介されたこともあり各地方からも多くの人が訪れています。 食堂が位置する達宮村は宿泊施設や飲食店が多く、すぐ横には達宮渓谷があるため家族単位での旅行客や智異山登山客が足を休めるのにちょうど良い場所です。


忠清北道(陰城郡 )

忠清北道陰城郡(ウムソングン)の忠北革新都市にある巨星ホテル(コソンホテル=Geoseong Hotel)は2016年12月にオープンしたホテルです。地上7階、地下1階の建物に全65室の客室があります。 すべての客室には基本的にベッド2つずつが配置されています。デラックスツインはシングルベッド2つ、ファミリーツインはシングルベッド1つにダブルベッド1つ、ジュニアスイートはダブルベッドが2つあります。 簡単な仕事が可能な事務用デスクもありビジネスのお客様にも配慮しています。 地下回には駐車スペースやコインランドリー、1階にはブランドカフェがあります。 宿泊料金は2人分の朝食込みとなっており、1階のカフェでサンドイッチとコーヒーからなるモーニングセットあるいはすぐそばの建物にあるソルロンタン専門店の韓食のうち一つを選ぶことも可能です。 全職員ともソウル首都圏の特級ホテル勤務を経験した職員ばかりで「お客様中心」のサービスを心がけています。 忠北革新都市バスターミナルから徒歩5分の距離にあり、遠南貯水池まで車で15分、白也自然休養林まで車で25分の距離と周辺観光スポットにも便利なところにあります。


仁川(中区)

仁川国際空港から程近い仁川広域市西区雲西洞(ウンソドン)にあるハブゲストハウス(Hub Guest House)は2階建てのビラ形式の住宅です。 韓国に入国する外国人旅行客や出国前の韓国人旅行客が主な宿泊客のため基本的な施設・サービスが整った宿泊施設です。余計なものはなく整理整頓の行き届いた客室で、外国からのお客様に韓国のよい第一印象を持っていただけるよう清潔さを最優先にしています。 共用キッチンでサービスされる食パンは当日残ればすべて廃棄し、トイレットペーパーも品質のよいものだけを使用しています。 仁川国際空港から空港鉄道もご利用いただけますが、バスがハブゲストハウスの近くまで来るので、バスの利用をおすすめします。 お荷物の多いお客様のためにピックアップサービスも行っています。


慶尚北道(奉化郡 )

慶尚北道奉化郡(ポンファグン)パレミ村にある古宅・所岡古宅(ソガンコテク)。「パレミ」は海だったところという意味で、60年ほど前まででも村の田んぼや水たまりから貝が出てきたそうです。村全体に伝統的な韓屋が軒を連ねるこの村は、1992年に慶尚北道が伝統文化村として指定、以降大切に保護・保存されています。 所岡古宅は築約110年の古宅です。これを証明するかのように古くなった瓦でのみ育つ瓦松(ツメレンゲ)があちらこちらで見受けられます。オーナーの曽祖父である南湖(ナモ)金賚植(キム・レシク)が、次男・所岡(ソガン)金昌祺(キム・チャンギ)の分家の際に建てた家で、長男に引き継がれた南湖旧宅はちょうどその裏手にある建物がそれです。 名望高き富豪であった金賚植は自らの全財産を担保に借金をし、大韓民国臨時政府の軍資金を拠出、その功績で1977年、建国功労表彰を受けました。またオーナーの祖父で金賚植の次男である所岡・金昌祺は奉化地域一帯の有名な儒学者で、陶山書院書院長を歴任した人物です。オーナー夫妻は3年前から古宅に戻り、古宅体験事業を支援する政府の支援を受け、建物のあちらこちらを修理し手直しをしました。 大門間(テムンガン)チェの高柱の大門へ足を踏み入れると、前庭と舎廊(サラン)チェの板の間がまず目に入ります。韓屋は中庭を囲むように建てられた伝統瓦葺の家屋で、舎廊チェの建物脇にある離れから母屋に通じる大門と通りぬけていくと、内側にある中庭や母屋が見えてきます。所岡古宅の建物は桟ひとつに至るまで春陽木と呼ばれるアカマツが使用されており、近頃ではなかなかお目にかかれない貴重な木材を使用した建物です。 およそ25年前、オーナーの父親が数千万ウォンを掛けて補修、その後も現在のオーナーが根気よく管理し続けたおかげで古宅としては大変保存状態がよい韓屋となっています。補修する際にはコンクリートなどは一切使わず、建築当時の建材で修復作業をするよう神経を使ったといいます。 客室は全7室あります。男主人が暮らしていた舎廊チェの建物には4~5人が利用できる大きい舎廊房(サランバン)と小さな舎廊房の客室、そして2~3人が利用できる部屋があります。 夏期には小さい方の舎廊房の部屋と舎廊チェの板の間も貸し切り、他の部屋も合わせて借りるとより広々として利用できます。 このほか、女主人が主に昔住んでいたという母屋には3、4人が利用可能な上房(サンバン=昔、男主人の居間だった部屋)があり、高柱の大門の両脇にある門間(ムンガン)チェの建物には2~5人が利用可能な門間房(ムンガンバン)1と2の2室があります。そのうち、門間房1は黄土で床を作った伝統的なオンドル部屋となっています。 また必要に応じて所岡古宅まるごと貸し切ることも可能で、全体を貸し切る場合、夏期には舎廊チェの板の間や板の間の部屋を含めて22~34人前後が宿泊可能です。 朝鮮時代後期の典型的な両班(ヤンバン)の家屋の形態で、管理が行き届ききれいでこじんまりとしたつくりの所岡古宅。昔ながらの扇風機、螺鈿細工の箪笥など素朴な生活用品が使われていた時代さながらに置かれており、また布団はご宿泊のお客様のためにきれいに準備されています。大きな方の舎廊房の部屋と小さな方の舎廊房の部屋には共用の冷蔵庫があり、またWi-fiも設置されご利用いただけます。 伝統文化村に指定されたパレミ村は古宅が立ち並ぶ、空気がたいへん澄んできれいな村です。そのような整った穏やかな雰囲気の中で村を散策し昔ながらの古風な韓屋をゆっくり見て回れます。また所岡古宅への道すがら、あるいは帰路の途中で、韓国で最も古い木造建造物・無量寿殿(ムリャンスジョン)がある浮石寺(プソクサ)、韓国最初の書院である紹修書院(ソスソウォン)、 吾田薬水(オジョンヤクス)、タクシル村、鷲棲寺(チュクソサ)など周辺の有名観光スポットを回ってみるのもおすすめです。 朝食のサービスはありませんが、情に厚いオーナーが時々茹でたトウモロコシやサツマイモ、果物などを提供してくれることもあります。バーベキュー施設も完備しており、夕食時にはバーベキューも楽しむことができます。


釜山広域市(海雲台区) , 海雲台

museum DAH:(ミュージアム・ダ)は韓国で初めてのメディア専門美術館で、世界最大級を誇るLED展示スペース。 <完全な世の中>では、芸術と科学、ファッション、ファーニチャー、映像、音楽が融合し、いままでにない全く新しいジャンルの芸術へと昇華したメディアアート作品をご覧頂けます。 一般的に静止した動かない作品を展示するスペースとは異なり、museum DAH:は絶え間なく変化するメディア作品が展示されるスペースで、芸術と新たな時代の先端テクノロジーが融合・創造する、8000万個のLED発光ダイオードが彩る今までにない新たなデジタル空間です。 またアレッサンドロ・メンディーニ、カリム・ラシッドなど世界的なデザイナーとのコラボ作品もご観覧いただけます。 museum DAH:は芸術にあまり詳しくない方々をはじめ、年齢・性別の分け隔てなくどなたでも気軽に訪れることができる美術館で、ご家族連れやお友達同士、カップルでお楽しみいただけます。


大邱広域市(南区)

アンジラン五差路からアプサン・アンジランコル(谷)へ通じる道の中ほどにあるアンジラン市場は市場としての華麗な名声よりもヤンニョムコプチャンの店が次々と現れ活気を呈しているところです。 1970年ごろアンジラン市場川に忠北食堂(チュンブクシクタン)を皮切りに、97年のアジア金融危機、いわゆるIMF金融危機以降、生計を維持するため始めたコプチャンの店舗が増え始めアンジラン市場が活性化、庶民が懐を心配せず楽しめる憩いの場として栄えました。最近では若者層がひっぱる若者の通りとして発展しています。また2007年からは商店街活性化のため、看板の改修・補修及び手洗い施設の設置及び営業場環境改善を行い在来市場の活性化にさらに力を入れています。