香湖海水浴場
 
江原道(江陵市)
注文津(チュムンジン)香湖(ヒャンホ)海岸はBTSがアルバムジャケットを撮影したバス停フォトゾーンがあるところです(このバス停は実際に運営しているバス停ではありません)。 また随所にフォトゾーンがあり、海を背景に思い出に残る写真を撮ることもでき、国内外から多くの観光客が訪れる江陵のホットプレイスとなっています。  

黄梅山郡立公園
 
慶尚南道(陜川郡 ) ,
「黄梅山(ファンメサン)郡立公園」は、黄梅山(1,108メートル)を中心とした一帯をいい、1983年に郡立公園に指定されました。黄梅山は、陜川湖まで山裾が広がり、その姿がまるで湖に浮かぶ梅花のようだということで「水中梅」とも呼ばれています。春になるとカラムラサキツツジやクロフネツツジが果てしなく広がる草原を染め、毎年5月には黄梅山つつじ祭が開かれます。夏は涼しい渓谷、秋はモミジとススキが山全体を覆い、冬は真っ白な雪と風によって四季折々の姿を楽しめるほか、統一新羅時代の古刹・史跡第 131号霊巌寺址と宝物353号霊岩寺址双獅子石燈、宝物480号霊岩寺址三層石塔、宝物489号霊岩寺址亀趺といった文化遺跡を有しています。

モンゴル文化村
 
京畿道(南楊州市)
京畿道南楊州市の天摩山のふもとにあるモンゴル文化村は、1998年に南楊州市とモンゴルのウランバートル市が締結した友好協力条約によって作られたところで、モンゴルの伝統文化や芸術に触れることができます。展示館にはモンゴルの伝統衣装や楽器、生活用品など、モンゴルの歴史や文化が分かる800点余りの様々な品が展示されています。また、320席余りの観覧席が設けられていて、様々なモンゴルの文化芸術公演を楽しむことができます。現在19人のモンゴル文化芸術団員が常駐して上演しており、モンゴル伝統の歌や踊りの他、楽器演奏、技芸、綱渡りなど、多彩な公演が見られます。

太白山道立公園
 
江原道(太白市) ,
民族の霊山と呼ばれる太白山は最高峰である高さ1567メートルの将軍峰と高さ1517メートルの文秀峰からなる山で、高さのわりにこう配が急でなく、険しくないため登山に適しており、男性らしい勇壮さと温厚さを帯びた岩石のない土の山です。山の頂上には高山植物が自生しており、春になるとチョウセンヤマツツジやカラムラサキツツジが満開になり、夏になると樹木が生い茂り、きれいな渓谷の水が流れ、秋になると紅葉が色とりどりに周辺を染め、冬になると美しい雪景色を見せてくれます。

ハローキティアイランド
 
済州道(西帰浦市)
ハローキティアイランドは世界中から愛されているハローキティをテーマにした展示館です。ハローキティの歴史、家族、音楽、公演教育、展示、3D映像館、体験活動、企画作品ギャラリーなど多彩で豊かな文化空間であり、多様なハローキティ商品を購入することができるブランドショップ、ハローキティのラテアートを楽しめるカフェがあります。

下摹海水浴場
 
済州道(西帰浦市)
下摹海水浴場は慕瑟浦から最も近い場所にあり慕瑟浦海水浴場とも呼ばれ以前はイワシがたくさん捕れる所として有名でした。砂がきれいで水深が浅く海岸の側に生える広い芝生ではキャンプなどもでき家族旅行などにも最適です。まだ一般の人たちには広く知られていないことから静かに海水浴を楽しむことができます。また釣り漁船を賃貸して船釣りができたり、周辺のレストランで獲れたての魚やさざえなどを安い価格で楽しむことも出来ます。

統一公園
 
京畿道(坡州市 )
「統一公園(トンイルゴンウォン)」は、6.25戦争(朝鮮戦争)における陸軍第1師団将兵の護国精神を称え、英霊を追悼するとともに、統一を願い1973年6月、坡州邑鳳棲里に設けられた延べ面積12,558坪の公園です。 休戦会談時、国連従軍記者センターがあった場所に設けられた「統一公園」には、戦争の惨劇を世界に報道するために前線に従軍し、殉職したソウル新聞ハン・ギュホ記者をはじめとし、アメリカ(10人)、フランス(2人)、イギリス(4人)、フィリピン(1人)といった内外18人の従軍記者を慰める韓国戦殉職従軍記者追念碑があります。 この他、戦争当時、血戦にて殉職した肉弾十勇士忠勇塔および蓋馬高原反共遊撃隊慰霊塔、イ・ユジュン大領・キム・マンス少尉記念像などが建てられています。  

金海国際空港
 
釜山広域市(江西区) ,
1958年8月に開港した水営飛行場が1976年8月に釜山市江西区大渚2洞に移転し、そのときに金海国際空港(キメグッチェゴンハン)と改称されました。金海国際空港は地域社会とともに発展を重ね、年間約1,000万人に利用されており、利用客のための旅行便宜施設も徐々に拡充されています。

三陟陟州東海碑・平水土讃碑
 
江原道(三陟市)
*陟州東海碑 陟州東海碑の碑文は三陟府使許穆が建てたもので碑の規模は高さ170cm、幅23cmです。1662年に建立された「陟州東海碑」は一名「退潮碑」と呼ばれたように潮流の被害を防ぐために建立され、当初は萬里図に建立されました。 その後、1708年に風と波で碑石が倒れて海に沈んだものを府使洪萬紀が門を見本としてもう1度彫り直し、翌年府使朴乃貞が竹串島の東側に再度建立しましたが、1969年12月6日に現在の位置である六香山の山頂に移動しました。 現在、江原道有形文化財38号として指定されています。  

抱川二東カルビ村
 
京畿道(抱川市 )
抱川(ポチョン)二東(イドン)カルビ村とはカルビ店の密集地のことで、1960年代初めに「二東カルビチプ」と「ヌタリカルビチプ」が開店し、その後、次第にカルビ店が集まって形成されました。1980年代に山岳会の人々によってその名声が全国的に広まったという話が伝わっています。二東カルビとともに二東マッコリも抱川の名物です。