国立海洋博物館
 
釜山広域市(影島区) ,
国立海洋博物館は「わたしの海、わたしたちの未来」というテーマで、海洋文化、海洋歴史・人物、航海船舶、海洋生物、海洋体験、海洋産業、海洋領土、海洋科学など、海洋に関するあらゆる分野を扱う総合海洋博物館です。博物館は水滴を形象化した美しい外観で、韓国で3番目に大きな規模となっています。国内外の1万4千点余りの遺物を保有しており、常設展示室や企画展示室、子ども博物館で展示を行っています。他に海洋図書館、水族館、大講堂、野外公演場、4D映像館などがあり、複合文化空間としての役割を果たしています。

スカイウォーク展望台
 
江原道(旌善郡) ,
旌善邑北室里と橘岩里の間にある展望台では韓半島の形をした島を180度回るように東江が流れている秘境を見ることができます。海抜583mの絶壁に長さ11mのU字型をしているスカイウォークは、足元が強化ガラスになっているので空の上を歩いているかのような気分を味わうことのできる展望台です。ここは韓半島の形をした島と東江の美しさを見ることができて観光客に人気の場所です。

公州 公山城[ユネスコ世界文化遺産]
 
忠清南道(公州市 ) ,
公山城(コンサンソン)は、百済時代の文周王1年(475)に、漢山城から熊津に首都を移した後、聖王16年(538)に首都を扶余に移すまでの5代64年の間、都である公州を守るために建てられた城です。史跡第12号である公山城は全長2,660mの巨大な城郭で、海抜110mの稜線に位置しています。東西に約800m、南北に約400mの長方形の形をしています。元々は、百済時代の土城だった公山城ですが、朝鮮時代に現在の石城に改築されました。城内には、百済時代の池が2ヶ所、高麗時代に立てられた霊隠寺、朝鮮時代の仁祖王が李适の乱を逃れ一時避難していた双樹亭(サンスジョン)や史跡碑、南門である鎮南楼、北門である光復楼などが残っています。東門と西門は、最近復元されたもので、この周辺を流れる錦江(クムガン)や、鬱蒼とした森が調和し、絶景が広がっています。家族や恋人同士で錦江を眺めながらゆっくりと散歩を楽しめる城壁の道や、木が生い茂った森にも散策路があります。

大邱ワールドカップ競技場
 
大邱広域市(寿城区) ,
大邱(テグ)ワールドカップ競技場(キョンギジャン)は、2002年のワールドカップが行われた場所。スタジアムを覆う屋根は韓国伝統の屋根に見られるなだらかなラインを再現し、遠くから見た際の美しい形が特徴です。 地上3階、地下3階規模のスタジアムには約6万5千席の観客席があり、万一の事故や災害の際には観客全てが7分以内に外に脱出できるという効率的な設計が為されています。 ワールドカップ競技が終わった後は広場、野外音楽ステージ、噴水など周辺の環境と共に市民の憩いの場となっています。

釜谷温泉観光特区
 
慶尚南道(昌寧郡 ) ,
釜谷(プゴク)温泉は昔、村に温泉が湧き出る井戸があったことから、湯治のために大勢の人が訪れたと伝えられています。また、釜谷温泉は1970年~80年には新婚旅行先として人気がありました。 現在、温泉観光客は1日平均1万~2万人、年間で400万人に達します。釜谷温泉は国内有数の温泉の中でもっとも高温の78℃を維持しています。釜谷温泉は1973年に発見された硫黄アルカリ性温泉で、1日の湧出量は6000トンになります(国内最大量)。 釜谷温泉観光特区にはホテルやコンドミニアム、ゴルフ場など、温泉関連の総合リゾート施設や、24ヶ所の温泉スポットがあります。温泉スポットでは「釜谷ハワイ」が有名で、観光ホテルの屋内外にプールや公演ステージ、チムジルバン、サウナなどの様々な便宜施設が揃っています。 毎年4月には温泉がいつまでも湧き出ることを祈願して「温井祭(オンジョンジェ)」が開催されます。

隆陵・健陵
 
京畿道(華城市)
  隆陵 隆陵は朝鮮第22代正祖の父である莊祖(1735-1762)とその妃、獻敬王后(1735-1815)洪氏の合葬陵です。莊祖は朝鮮21代英祖の2番目の息子であり、1736年(英祖12年)に皇太子となりました。さまざまな方面において皇太子としての優れた面貌を備えていましたが、1762年に父・英祖の命令で米びつの中に監禁され亡くなりました。莊祖の陵は元は京畿道楊州郡拜峰山にありましたが、彼の息子・正祖が即位すると華城の華山に移し顯隆園としました。後に莊祖として追尊され現在の位置に墓を移した後、陵号(墓の名前)を隆陵としました。獻敬王后は1744年に皇太子の妻となりました。夫が非業の死を遂げた後、還暦を迎えた1795年、甥・洪守栄の願いで莊祖の惨事を中心にした自伝的回顧録「閑中錄」を残しました。資料的価値の高い「閑中錄」は「仁顯王后伝」とともに宮中文学の双へきを成しています。京畿道華城市安寧洞にある隆陵は、皇太子の墓である本来の形式に木蓮と蓮の模様を刻んだ屛風石を設置し、上界空間と下界空間に分けて空間を王陵のように作りました。上界には陵、魂遊石(魂が出てきて遊ぶようにした石という意味で、王陵の封墳の前に置かれた四角形の石)、 望柱石(墓の前の両側に造られた一対の石柱)が配置されており、下界には文人石(長明燈の左右にある文官の形をした石)、石馬(石で造った馬)が配置されています。健陵健陵は正祖(在位:1776-1800, 1752-1800)と彼の妃の孝懿王后(1753-1821)金氏の墓です。 正祖の遺言に従い父の陵である隆陵から近い場所に安葬されました。莊祖と獻敬王后(惠慶宮 洪氏)の2番目の息子であり、1959年(英祖35年)、8歳で皇太子の長男となりました。党争の渦の中王位についた正祖は、在位24年の間蕩平策(党争の弊害をなくすために各党派で人材を登用した政策)を実施して国を治め、王室の図書館である奎章閣を設置し、学問の研究に大きな業績を残しました。彼の妃である孝懿王后は金時黙の娘で1762年、10歳で皇太子の長男の妻になりました。1776年に正祖が即位し王妃となりました。一生をつつましく暮らし、1821年(純祖21年)に昌慶宮慈慶殿にて69歳でなくなりました。健陵は合葬陵で隆陵の例に従いましたが、屛風石(封墳を保護するために 封墳の下の部分を囲んだ石)を巡らせた点を除けばほとんど隆陵の構成と似ています。 健陵や隆陵とともに同一史跡に指定されました  

柳致環ポスト展望台
 
釜山広域市(東区) ,
釜山広域市東区草梁洞の山腹道路にある展望台で、柳致環詩人の芸術と文化精神を称えるとために釜山港を一目で見ることのできる場所にポストを設置しました。展望台の1階と2階、屋上に分かれており、1階は階段式の野外公演場で2階は美術展示用の空間となっています。(2013年5月15日開館)

清州興徳寺址
 
忠清北道(清州市 ) ,
興徳寺址(フンドクサジ)は、1985年に雲泉地区宅地開発事業の施行中に遺物が多数出土して発見されました。これにより開発工事は中止され、清州大学博物館によって発掘が行われました。寺院の創建年代や規模は不明ですが、現存する世界最古の金属活字本『仏祖直指心体要節(下巻)』の奥付に「1377年に清州興徳寺で金属活字で書物を印刷した」と明記されており、『仏祖直指心体要節』は1972年の「世界図書の年」に世界最高の金属活字本として公認されました。

全州伝統文化センター
 
全羅北道(全州市 ) ,
全州伝統文化(チョンジュ・チョントンムンファ)センターは多彩な伝統文化を見たり体験したりできる総合文化エリア。パンソリと言われる韓国の唱劇、民謡、伝統舞踊などの公演が行われる常設ステージ、全州を代表する味であるビビンバを食べることの出来るレストラン、伝統婚礼式を挙げることの出来る結婚式場などもあります。