仁川(江華郡) , 江華島

喬桐島(キョドンド)は江華郡の北西側に位置する島で、2014年7月に喬桐大橋が開通し、便利に行き来できるようになりました。高句麗時代には高木根県と呼ばれていたところで、新羅時代の景徳王のときに喬桐に改称されました。高麗時代には碧瀾渡(黄海道の礼成江下流にあった高麗時代の国際貿易港)に行く中国の使臣が滞在し、国際交易の経由地となっていたところです。


江原道(旌善郡)

加里王山は海抜1,561mで上峰、中峰、下峰、青玉山、周王山を連ねる巨大な陸山で太白山脈の屋根の役割をしており、傾斜はなだらかで登山に適していると有名です。山の稜線は高山植物であるイチイ、チョウセンゴヨウ、イチョウ、ナラガシワ、斧折樺、白樺など各種樹木が鬱蒼としており、山蔘などの多くの山薬草が自生しています。檜洞里側の入口には自然休養林が造成され、各種便宜施設が設置されていて約7時間の登山路があります。宿岩方面の入口は約4km区間に渡りツツジが自生しています。晴れた日には頂上と中峰から東海の海を見渡すことができます。また、加里王山自然休養林は加里王山からも谷間が一番深い南側、渓谷のある全9,449ヘクタールの広大な面積が自慢の休養林です。休養林内には様々な施設がありますがその中でも渓谷に沿って造られている散策路には空が見えないくらい鬱蒼と木々が生い茂っていて、自然を満喫することができます。


全羅南道(霊光郡 )

仏甲山(516m)のふもとにある仏甲寺は百済枕流王(384年)の時代、インドの僧マラナンタ尊者が百済に仏教を伝え、最初に建てた仏法道場という点を反映し、寺の名前を仏陀の仏、最初という意味の甲から仏甲寺と呼ぶようになったといいます。そして霊光の「法聖浦」という地名も聖人が法を持ち込んだ浦であるとし「阿無浦」から「芙蓉浦」という名前に変わったと言います。自然の石階段を登り、最初に目に入る天王門の中には、木造の四天王像が祀られています。これは道詵国師が創建した全羅北道興徳の烟起寺にあった朝鮮中期の作品ですが、高宗7年に雪竇先師が仏甲寺を修復し廃寺となった烟起寺から移されたと伝えられています。仏甲寺境内に入ると、まず目に入るのが一注門の周囲の暖帯常緑樹林ですが、空が見えないほど生い茂り天然林を形成しています。仏甲寺のさまざまな文化財の中で最も目立っているのが、仏甲寺大雄殿(宝物第830号)で、丹青を塗られていないためより古風な趣を醸し出しています。特に大雄殿の軒の彫刻と蓮の花の模様が美しく彫刻されており、これに合わせた大雄殿の桟などからは先人たちの丹精こもった技が感じられます。大雄殿は正面3間、側面3間の八作屋根の建物であり、正面と側面、及び中央の間の片門が蓮華文、菊花文、宝相華文で飾られています。左右の間には細かい斜め格子模様で処理されており、華やかな雰囲気が表されています。寺の中には、万歳楼、冥府殿、日光堂、捌相殿、七星閣、香炉殿そして寮舎があり、寺の外の小道に沿って少し登っていくと、天然記念物第112号に指定されているシロダモの木があります。シロダモはクスノキ科に属する常緑広葉樹で、10月や11月に雄花と雌花がそれぞれ違う株に咲き、翌年10月頃に実が赤く熟し、花と実を楽しむことができます。仏甲寺は紅葉も美しいです。仏甲寺の前の小道に沿って少し登っていくところにある仏甲寺貯水池前では、谷と山の傾斜を五色に彩る紅葉が望め、秋の仏甲寺の見どころとなっています。貯水池の上の平坦な小道に沿ってつづく椿谷の紅葉も美しいポイントです。井邑の内蔵山や潭陽の秋月山の紅葉ほど華麗とは言えませんが、落ち着いた趣のある道はさまざまな考えを思いめぐらせながらの散歩コースとして最適です。平たい石からなる頂上に立つと、全面が開けた展望を満喫することができます。近くには霊光、咸平、羅州の平野地帯があり、その中に大小さまざまに集まった村の様子は大変趣深い光景です。遠くには東側の高昌の方丈山とその後ろにはかすかに井邑の笠巖山、西側には山越しに七山海の小さな島々、そして東南側には光州の無等山の雄大な姿、また咸平野越しにそびえる霊厳の月出山などが全て望めます。仏甲山と仏甲寺がある渓谷は周辺の他の山々とは違い、比較的谷が深く、雄大な山となっています。山に登ってみると、仏甲寺を蓮の花のように囲んだ山が、まるで内陸にある深い山奥を連想させるほど、印象的であり、紅葉の季節でなくとも一度は訪れる価値があります。*仏甲寺シロダモ自生地天然記念物第112号。シロダモは常緑広葉樹で、新羅の法興王時代に擎雲僧とインドの姫ジンヒスとの切ない愛の伝説にも描かれています。仏甲寺が北の生息限界線であり、木の質が堅く、家具材として使われており、楕円形の実は連珠に使われています。*仏甲寺彼岸花自生地ヒガンバナ科に属する彼岸花は曼珠沙華とも呼ばれています。仏甲寺地域は高昌の禅運寺、咸平の龍泉寺などとともに全国最大級の群生地で秋夕の頃の開花期には咲き乱れる彼岸花により、辺り一面が真っ赤に染まります。


慶尚北道(星州郡 )


忠清南道(礼山郡 )

朝鮮時代末期の実学者・李重煥は、『択里志』で内浦の地が忠清道でもっとも住みやすいところだと記しました。内浦の地とは現在の礼山です。礼唐観光地は、現在、国民観光地指定面積である5万6千坪の中の1万3千坪が造成されています。主要施設は食堂、旅館、各種便宜施設などで利用しやすく、現在まで登山路や駐車場施設などの6つの施設の造成が完了しており、テーマのある観光地へと変化しています。特に、礼唐貯水池周辺の散策路や八角亭は、釜山の太宗台のような趣が感じられるように造成されており、家族で散策したり、友達やカップルで訪れるのにもぴったりです。一年を通して釣り客で溢れ、夏には近くの住民も訪れており、人々が大勢訪れる観光名所として知られています。★釣りについて1962年に造成された韓国でもっとも大きな貯水池である礼唐貯水池は、礼山郡と唐津郡の農耕地に水を供給しており、礼山郡と唐津郡の最初の一字を取って礼唐貯水池と名づけられました。中部圏最高の釣り場として知られており、冬場は氷上釣りが楽しめます。フナ、コイが多く、その他ウナギ、カムルチー、コウライギギ、ドジョウなどが棲息しています。


江原道(楊口郡)

国土正中央天文台は韓国の中心から観測できるよう国土の中央付近に位置しています。80cmの反射望遠鏡が設置され、最新の天文情報に加え様々な学習体験が可能な展示室とデジタル夜空を鑑賞できるプラネタリウムが設置されています。


京畿道(抱川市 )

西ソウル湖公園は陽川区新月洞にある公園です。元々1959年に金浦浄水場として始まったこの場所はのちに信月浄水場となり、2009年10月に水と再生をテーマにした環境公園としてオープンしました。富川市とヌンコル山の堺に位置し217,946平方メートルの面積を持つ西南圏最大規模のテーマ公園として生まれ変わりました。飛行機の騒音を活用した音の噴水、抽象美術技法を導入したモンドリアンの庭園、約100人を収容できる食堂などを設置して他の公園とは差別化をはかっています。    


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)


大邱広域市(達城郡)

達城韓日友好館は金忠善将軍(日本名:沙也可 / 1571-1642)の博愛思想を称え、韓日両国の友好増進のために造られたもので、2012年5月3日にオープンしました。金忠善は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に参戦しましたが、朝鮮の文化に感動して自分の部下とともに朝鮮に帰化し、火縄銃の製作技術を伝えたり、慶州、蔚山の戦闘で大きな功を立てたりしました。 現在、達城韓日友好館には金忠善将軍の精神を称えて大勢の日本人が訪れています。展示館、3D映像館、茶道室、遺物展示、韓日両国伝統ノリ(遊び)、和歌山県資料室、伝統弓体験場など、様々な施設が無料で利用できます。


大邱広域市(東区)

峨洋(アヤン)汽車キルは、元々、78年という永い歳月の間、琴湖江(クムホガン)に架かる峨洋(アヤン)鉄橋として使われていた鉄道橋です。その歴史と産業文化遺産の価値を踏まえ、使われなくなったこの鉄橋を街の中の市民文化の憩いの空間にリニューアルし、峨洋汽車キル(汽車の道)という名称で新たな観光スポットに生まれ変わりました。 峨洋汽車キルは全長277m、高さ14.2m、総面積427.75平方メートルの規模を誇り、展望台やギャラリー展示場、デジタル橋博物館、カフェなどがあります。 新線開通により今は使われなくなった廃線の鉄橋を、公共デザインと融合しリモデリングした点を高く評価され、ドイツのレッドドットデザインアワード賞を受賞、現在はドラマのロケ地として脚光を浴びています。 近くには十里桜並木、歌碑、東村(トンチョン)遊園地、オンギチョンギ幸福村などの観光スポットがあります。