京畿道(驪州市) · 宮殿婆娑城址三国時代の戦略的要衝の地、婆娑城址婆娑城(パサソン)は標高250mの婆娑山頂上を中心に稜線に沿って築城された石築地の山城です。城の一部は山すその川に突出しており、上下流を一目で見られる戦略的要衝の地です。婆娑城は城壁などが比較的多く残ってお…お気に入り0閲覧数6,814クチコミ0
世宗市 · 宮殿全義郷校全義郷校は、1413年(太宗13年)に創建されたと推測されています。 1649年(仁祖27年)に打愚 李翔がつけた『全義鄕校明倫堂序』によると、全義郷校は当初は県の東側に建立され、朝鮮後期の仁祖の時まではこの地にあったとされています。当時の…お気に入り0閲覧数6,749クチコミ0
慶尚南道(陜川郡 ) · 宮殿涵碧楼陜川八景のうち第五景である涵碧楼は高麗忠粛王8年(1321年)に陜州支軍金某(キム・モ)が創建し、数回にわたって修造されました。吹笛峰のふもとにあり、黄川と正陽湖を眺めることのできる美しい風景で多くの文人墨客が風流を楽しんだ場所で、退渓李滉…お気に入り0閲覧数6,741クチコミ0
世宗市 · 宮殿合湖書院合湖書院(ハプホソウォン)は高麗時代末期の性理学の先駆者である安珦(アンヒャン)の肖像画が祀られているところです。1716年に安景信、安景仁、安景精、安景祥などが安子別廟を建て、毎年旧暦3月3日、9月9日に祭祀を行いました。1842年には安…お気に入り0閲覧数6,670クチコミ0
蔚山広域市(南区) · 宮殿処容岩処容岩(チョヨンアム)は、6坪ほどのとても小さな岩の島で、化け物を退治する効力があるという処容符籍(お守り)と関連する説話が伝わっています。また、「三国遺事」に記録されている処容郎の説話とも関係がある由緒深い岩です。 新羅第49代王の憲康王…お気に入り0閲覧数6,666クチコミ0
江原道(三陟市) · 宮殿三陟永慶墓「永慶墓(ヨンギョンミョ)」は、朝鮮1代目王の太祖の5代祖の墓で、穆祖(太祖の高祖父)の母にあたる李氏の墓です。高宗光武3年(1899年)に同じく太祖の5代祖の墓である濬慶墓と共に修築され、祭閣と碑閣が建てられました。周辺には青々とした松林…お気に入り0閲覧数6,623クチコミ0
全羅南道(康津郡 ) · 宮殿全羅兵営城全羅兵営城は全羅南道康津郡兵栄面城東里にあります。朝鮮時代の地方軍事組織で、壬辰倭乱と丁酉再乱当時、西南部地域の軍事本部として大きな役割を果たした場所です。1417年に造られた長さ約1,060mの城で南海地域に残っている兵営施設の中で一番保…お気に入り0閲覧数6,561クチコミ0
慶尚南道(陜川郡 ) · 宮殿玉渓書院栗谷・李珥が残した「擊蒙要訣」と「海東淵源錄」などを保存するために建てられた書院です。 この玉渓書院は、英祖3年(1725年)に今の場所から4㎞ほど離れたヒャンオク洞に建てられましたが、 興宣大院君による書院廃令により、閉鎖されていたものが…お気に入り0閲覧数6,446クチコミ0
慶尚北道(聞慶市 ) · 宮殿聞慶・旧加恩駅聞慶市に所在する加恩駅は慶尚北道聞慶市加恩邑旺陵里にある簡易駅です。2006年12月4日に登録文化財第304号に指定されました。お気に入り0閲覧数6,424クチコミ0
忠清南道(天安市 ) · 宮殿天安 柳寛順烈士遺跡(천안 유관순 열사 유적)柳寛順烈士は1902年並川面龍頭里で生まれ、梨花学堂に在学中の1919年、3.1独立万歳運動が起きると帰郷し、1919年4月1日(陰暦3月1日)、アウネ万歳運動を起こし、公州監獄に収監されました。 1919年8月、西大門刑務所に移管され、そ…お気に入り0閲覧数6,267クチコミ0