京畿道(抱川市 )

「抱川(ポチョン)アートバレー」は、放置されていた廃採石場を、抱川市が文化と芸術の力で環境を復元させ、複合文化芸術空間として新たにオープンさせたところです。オープン以降、たくさんの人が訪れ、企画展示、週末の公演、企画公演など、様々なプログラムで観覧客を迎え入れています。


慶尚南道(固城郡 )

床足岩郡立公園(サンチョガム・クンリプコンウォン)は、南海岸の閑麗水道を一目で見渡すことができ、また海辺にある広い岩盤と奇岩絶壁が渓谷を形成した自然の景観とが局地を成しています。固城郡は天恵の石宝、床足岩と中生代白亜紀に生息していた恐竜の足跡がはっきりと残っている、非常に貴重な場所として、1983年11月10日に郡立公園に指定しました。青少年修練院前にある海水浴場には、常に押し寄せる潮水に洗われて丸く磨り減った小石が敷きつめられており、恐竜の足跡がある広い岩盤の向こうにある山は、全面が層岩断崖(地層が見えたような絶壁)となっています。また岩壁の奥には東西に細長く伸びている岩窟があり、その姿がちゃぶ台のような形をしているということから「双足」などと呼ばれています。高低差がある岩窟の内部には、奇妙な形をしたたくさんの石があり、それぞそれの石には、いろいろな伝説が伝えられています。太古に仙女たちが地上に降りてきて、石織り機で天帝に捧げる錦の服を織ったと伝えられている場所は「双足窟」と呼ばれており、また仙女たちが入浴した場所は「仙女湯」と呼ばれています。現在でも織り機の形や風呂の形をした水溜りが、洞窟の中に存在しています。その周辺にはロウソクの燭台の形をした燭台岩と、屏風の形をした屏風岩があり絶景を成しています。また、観光遊覧船が統営郡蛇梁島の間を水しぶきを上げて通り過ぎ、目の前に広がる閑麗水道の四季の美しさは人々を魅了し、一年中観光客の足どりが絶えません。双足岩の一帯に存在する恐竜の足跡の化石周辺では、神秘の世界を感じることができ、ブラジル、カナダと共に世界三大恐竜遺跡地として数えられています。この恐竜の足跡は、映画「ジュラシックパーク」で更にその名を知られるようになったブロントサウルス、ブラキオサウルス、アロサウルスなどの足跡です。これらの恐竜の足跡は、人類が地球上に出現するよりずっと昔の神秘の世界を体験することができる貴重な資料として、天然記念物第411号に指定されています。


忠清南道(扶余郡 )

扶余羅城(プヨナソン)は百済の首都・泗沘(サビ)を守るために造られた周囲84㎞の城で、扶蘇山城(プソサンソン)を中心として東西に伸びています。平壌にある羅城とともに古い羅城のひとつで、熊津(現在の公州)から泗沘(現在の扶余)に遷都した538年ごろに築城されたものとみられています。城壁は扶蘇山城の東門があった場所から始まって錦江まで土が積み上げられており、現在はわずかにその痕跡を残すのみです。


江原道(三陟市) , 三陟

江原道三陟市新基面と下長面の間にある徳項山(トカンサン)は、高さ1,071mの山です。 東北側の大耳里にある幻仙窟と大耳窟一帯は、天然記念物第178号「三陟大耳里洞窟地帯」に指定・保護されています。また、洞窟の一帯は郡立公園となっており、重要民俗第221~223号にも指定されています。  


全羅南道(求礼郡 )

秀麗な自然環境を誇るファヤピョンは智異山の袂の麓鬱とした森の中に位置しています。 松林が茂り、森林浴が楽しめ、智異山深い渓谷のきれいな水がペンションのすぐ横を流れているので渓谷のきれいな水と松の森の香りは都市で疲れた旅行客たちに安らかな自然を感じさせます。 家族で楽しめる多様な施設が完備されている他、周辺には華厳寺、泉隱寺、老姑壇、四聖庵、温泉ランドなどの観光スポットがあります。


江原道(原州市)

原州駅は交通や生活の中心地である原州市内にあり、雉岳山国立公園や慶尚北道北部、江原道太白市方面の旅行客が主に利用しています。1940年4月に営業が開始され、ここの地名から駅名が付けられました。


ソウル(中区)

日本人観光客に人気のお店がここ、ウリチプ(我が家)トッポッキ。 地下におよそ100人ほど入れる広々としたスペースがあります。1979年に開業し、この通りでおよそ30年の歳月、トッポッキを作り続けています。


忠清南道(礼山郡 )

礼山郡光時面と大興面、洪城郡金馬面が出合う地点に海抜483.9mの鳳首山があります。この山頂にある任存山城は、高い位置に井戸を掘って水を集めておき、攻撃のときに排水口を開けて水を噴き出させ、敵を一時的に苦境に陥れる攻撃を加える目的で造られた城です。 任存山城は約4kmのテメ式(7、8合目の稜線に沿って水平に峰を一周する方式)の石垣で築造されており、城壁の高さは2.5m、幅は3.5mで、南側の城壁はひどく曲がりくねっており、城内には7、8mの内堀があります。外壁は石を積んで造られており、中は土で埋められています。周囲の長さは約5,194尺、高さ約2.5m、幅約3.5mで、馬で走っても十分な広さがあります。660年に百済が羅唐連合軍に負けたとき、義慈王のいとこの弟である福信、道琛(僧侶)と黒歯常之が3年間、後百済復興運動の拠点として活用し、百済の山城の中でもっとも規模が大きく、山城研究の基礎となっています。 城郭に沿って下りると大蓮寺があり、頂上からは南から西へと伸びる烏棲山、白月山、伽倻山を一目で見ることができます。この城の特徴は、四隅を堅牢な造りにするため、他の場所より2mほど厚く内托(外側は石造りにし、中は割石や土で埋める方法)にし、城の高さも高めになっています。光時面馬沙里方向からは城の下まで林道を利用し、車で駐車場まで行くことができます。  


仁川(延寿区)

複合文化芸術空間として使用されているトライボウルは水の上に浮いているかのような携帯の建築物で松島の夜景スポットとして有名です。3つの器型のトライボウルは空、海、大地が調和している仁川を象徴しています。