慶尚北道(慶州市 )

韓国の代表的なリゾートのひとつ「大明リゾート(テミョンリジョトゥ)」が千年の文化が感じられる古都慶州にオープンした5つ目のコンドミニアムです。客室は、ゆったりとした51坪タイプ、42坪タイプが用意されており、スイート、ファミリーなど計417の客室を取り揃えています。ウェルビーイングスパシステムを備えた屋内アクアゾーンとアクアプレーゾーン、波のプール施設を備えた屋外アクアゾーンを楽しめるアクアワールドは一年中利用可能な他、売店、ゲームセンター、韓国レストラン、カフェテリアなど充実した施設を有しています。


慶尚北道(慶州市 )

2000年11月、ユネスコ世界文化遺産に登録された慶州歴史遺蹟地区は、新羅時代(57年~935年)の古都である慶州の歴史と文化がそのまま残された遺跡地域です。 遺跡の性格によって、5つの歴史遺跡地区に分かれています。まず、新羅の仏教美術の宝庫である南山地区です。慶州の南山は野外博物館と言われるほど、新羅の息遣いが聞こえることろで、新羅王朝が終わりを遂げた鮑石亭や塔谷の磨崖彫像群、天龍寺址の三層石塔、七佛庵の磨崖石佛、佛谷の石佛坐像など、37つの仏教遺跡があります。 次に、新羅千年王朝の王宮であった月城地区です。鷄林、新羅王宮の別宮であった臨海殿址、そして東洋最高の天文施設である瞻星臺などがあります。3つ目に新羅王や王妃、貴族たちの古墳群分布地域である大陵苑地区です。区画によって、路東里古墳郡、路西里古墳群、皇南里古墳群、五陵古墳群、財買井などがあり、墓の発掘調査で当時の生活を把握できる金冠、天馬図、土器など、貴重な遺跡が出土しました。 4つ目に新羅仏教の精髄である皇龍寺地区には、皇龍寺や芬皇寺の石塔が保存されています。  そして、5つ目に王京の防御施設である山城地区に、400年前に作られたと推定される明活山城が含まれています。 慶州歴史遺跡地区には計52の指定文化財が、世界文化遺産地域に含まれています。


慶尚北道(慶州市 )

慶州高速ターミナル横の西川橋を渡ると、右手に金庾信将軍のお墓に行く道が現れます。この道は、春になると黄色いレンギョウや桜が満開となり、ドライブコースとして人気を集めます。この場所は、ソンファ山の峰が東に伸びた壮麗な景色を誇る松の森にあり、他の王陵に負けない華やかさを有しています。お墓は、高さ30mにも上る大きな円形をしており、周りには24枚の護石と石の欄干が置かれています。また、護石と欄干の間には石が敷き詰められています。護石は十二支神像が刻まれていますが、王陵を護る守護神は普通、鎧を着ているのに対し、このお墓の十二支神像は平服を着て武器を持った様相をしています。体は正面を向いたまま、顔だけ右を注視した姿が変わっていて、武装をしていないせいか、非常に穏やかに見えるのが特徴です。1963年1月21日史跡第21号に指定されました。


慶尚北道(安東市 )

カルビ屋が軒を連ねる安東カルビコルにある「安東韓牛カルビ(アンドンハヌカルビ))」のメインメニューは肉本来の味が味わえるカルビとニンニク味付けカルビです。      


慶尚北道(慶州市 )

瞻星台(チョムソンデ)は東洋で現存する最も古い天文台です。 新羅 27代善德女王(A.D632-646)の時に作られた天文台で、空に現れる日を観測して星の位置を知るために作られました。直線と曲線が調和している石造建築物で1962年12月20日に国宝第31号に指定されました。 瞻星台の形は円筒形で大きさ30センチの石362個を27段重ねて作られました。下から4.16メートルになる地点に一辺が1メートル四方の出入口がありその下に梯子をかけた跡が残っています。内部は12段まで土に埋まっており19段、20段と25段、26段の2箇所に内部で「井」の字の形をした長い石がかかっており、その両側が外に突き出ています。 全体の高さは9.17メートルで、下の石の一辺の長さが5.35メートルになっています。春分、秋分、冬至、夏至等の24節気を星を通して測定し井字石を東西南北の方位をさす基準にしたものと推測されます。 瞻星台を作る時に362個の石が使われましたが、これは1年を陰曆で計算してでる日数を象徴しています。


慶尚北道(慶州市 )


4.0/1
慶尚北道(安東市 )

「安東国際仮面劇フェスティバル(アンドンクッチェタルチュムペスティボル)」は、河回村をはじめとし、歴史文化の観光地があちこちに残っている安東の代表的な祭りです。国内のみならず海外の代表的な公演団体が参加して民俗劇公演を披露し、韓国の重要歴史文化財に指定されている「別神グッ(祈祷の儀式)仮面劇」などを観賞することが出来ます。特にこの祭りでは、マスクダンス競演大会や仮面講習など外国人も参加出来る様々なイベントが行われ、野外の公演会場では仮面をテーマにした公演が度々繰り広げられ観客を魅了します。


慶尚北道(聞慶市 )

「聞慶(ムンギョン)セジェオープンセット場」は、2000年に放送開始したKBS大河ドラマ『太祖王建』の撮影が行われたオープンセット場として有名です。その後、韓国放送公社の時代劇ドラマ、大河ドラマが主にここで撮影されてきました。2008年には高麗時代を背景としたセットを壊し、新たに朝鮮時代の姿に生まれ変わりました。時代や階級別の家の構造や暮らしの様子、宮や軍隊、官庁など、見どころが満載です。


慶尚北道(慶州市 )

コッマウル慶州韓方病院(キョンジュハンパンビョンウォン)は健康と観光を組み合わせた健康ツアーの目的地であり、広々とした土地に健康管理などの様々な医療機器施設が備わっており、伝統韓屋から成っている病院と施設が慶州という観光都市とよく調和しています。 コッマウル慶州韓方病院は広く知られている通り、政府が推進する 'Health Tour to Korea' 政策の牽引車の役割を果たしています。「大韓民国第1号指定病院」に選定された点からみても、全ての職員が情熱と誠意を持ってプログラムを推進する努力を行なっています。


慶尚北道(聞慶市 )

聞慶(ムンギョン)セジェ道立公園は鳥も飛んで越えるのが難しい険しい山にある三つの関門がある公園です。鳥嶺山を越える聞慶セジェは昔から韓国で最も高く険しい峠でした。聞慶セジェは朝鮮(1392~1910)太宗(在位 1400∼1418)の時に開拓された道で1925年新しい道路が梨花嶺峠に通じるまで利用されました。このセジェに城壁と関門を作ったのは壬辰倭乱(1592年と1598年)以後です。1594年に第2関門である鳥谷関を設け, 1708年に主屹関と鳥嶺関を設け国防の要塞としました。この関門はそれ以降毁損しましたが1966年 第1、2、3関門と城壁が事蹟第147号に指定され1976年に復元されました。嶺南の第1関門である主屹関から大路に沿って1.5km程のぼると 鳥嶺院に着きます。院といいうのは 出張官吏に宿食を提供するために駅と駅の間に設置した旅館のようなもので現在は 石垣だけが残っています。1983年 復元された酒幕を過ぎると第2関門である鳥谷関に着きます。鳥谷関を中心としてこの一帶は斧折れの自生地として有名で 聞慶セジェ民謠碑が左側の道に建てられています。主屹関から鳥谷関までは3km。鳥谷関から鳥嶺関まで3.4kmに達する散策路には所々に岩と涼しげに流れる溪谷が調和をなしています。大路ではない水の音が聞こえる道に沿ってのぼると滝がでてきて更に 30分程のぼると惠国寺に着きます。惠国寺は主屹山の麓にある寺刹で恭愍王(在位 1351∼1374)が紅巾賊の乱(農民反乱)を避け留まった所です。 惠国寺 を過ぎ宮殿の跡を経て1km程のぼると主屹山霊峰に着きます。山の頂上から見下ろすと曲がりくねって広がる山脈が壮観な眺めです。このような 山の頂上から溪谷を過ぎると鳥谷関に着きます。聞慶 の3関門を抱く主屹山 (1,106m)は 主屹関から鳥谷関まで4~5時間程度かかり、この一帯は1981年に道立公園に指定されました。聞慶セジェ道立公園にあるKBSドラマ撮影場は時代劇専用セットとしては世界最高を誇っています。高麗時代の三つの宮殿と民家 等が6万㎡の敷地に作られています。