大田広域市(中区)

大田市中区の宝文山とパンファ山の間に美しい自然景観を持つプリ公園があります。プリ公園は韓国の人々が自分のルーツ(韓国語でプリ)を知り、敬老、親孝行の思想を養い、自尊心を持つための公園です。名字を象徴する彫刻作品や各種の便宜施設を整え、孝行をテーマとして1997年11月1日にオープンしました。


全羅北道(全州市 )

「全州ビビンバ祭り(チョンジュビビンパプチュッチェ)」は、韓国の代表料理である全州ビビンバを中心に味と趣き、興が調和をなす料理文化祭りです。プログラムとしては、ビビンビッグフードをはじめとした「味ビビン」、ビビン文化公演やフードコスプレコンテストなど様々なパフォーマンスを楽しむことができる「興ビビン」、全州の味と共に韓屋村に代表される全州の趣きを感じることができる「粋ビビン」、そして韓屋村文化施設特別プログラムなどが用意されています。ビビンバの名所、全州で繰り広げられる祭りを通して全州市民はもちろん、国内外の観光客はビビンバの真の味と粋を感じることができることでしょう。


江原道(平昌郡)

インターコンチネンタル・アルペンシア平昌リゾートは太白山脈の標高700mの山間地域に位置する韓国の新しいラグジュアリーアルペンリゾートです。素晴らしい景観の中に佇むリゾートで、オリンピックスキーパークやロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニアがデザインした27ホールのゴルフ場、18ホールのパブリックゴルフ場、オーシャン700ウォーターパークなど、様々なレジャー施設が揃っています。また、インターコンチネンタル・アルペンシア平昌リゾートのすべての客室には、シンプルでモダンな家具が韓国の伝統家具とともに配置されています。


江原道(平昌郡) , 平昌

李孝石(イ・ヒョソク)文化村は韓国の短編文学の白眉といわれる『ソバの花が咲く頃』の作品の舞台であり、李孝石が生まれ育ったところです。1990年度に文化観光部から「全国第1号文化村」に指定され、李孝石文化村では毎年「平昌孝石文化祭り」が8月末から9月初め頃に開催されます。李孝石文化村には李孝石生家跡、水車小屋、可山公園、李孝石記念館、ソバ郷土資料館などがあります。李孝石の生家は、本来は藁葺き屋根だったといわれており、今は大きなハリギリの木が2本庭に植えられたL字型の伝統家屋が建っています。


ソウル(西大門区) , 新村・梨大

1886年に メソジスト教のアメリカ人宣教師、マリー・スクランタンによって設立された梨花女子大学(イファヨジャデハッキキョ)は、韓国最初の女子大学。「梨花(イファ)」という名前は、1887年明成皇后(1851 - 1895)が「梨花学堂」と名付けたことに由来しています。1910年に4年制大学課程として設立され、日帝強占期であった1943年には「梨花」という名前を除かれたり1年制に格下げされたりしていましたが、その後の独立運動を機に名前を取り戻し、1945年10月、再び「梨花女子大学」となり、8つの学科を置く総合大学になりました。現在は、15の大学院、11の単科大学、67の学科があり、8の付設研究機関も備えています。この大学の正門前一帯は、ソウル市内でも有名なショッピングゾーンとなっており、梨花の女子大生はもちろん、日々若い世代が集う人気のエリアとなっています。


釜山広域市(影島区) , 南浦洞(チャガルチ市場)

釜山市の記念物として指定された太宗台(テジョンデ)は五六島と合わせて釜山を代表する岩石海岸として有名なスポット。海抜 250mの最高峰を中心として松を初めとする200種類の樹木が茂り、市民の憩いの場所となっています。太宗台は 新羅(韓半島の一部を支配した古代国家のひとつ BC57-AD 935)) 第29代 太宗 武烈王(604-661)が全国を見て回ったとき矢を放った所だということにちなんで「太宗台」と呼ばれています。またここの灯台には神仙が降りてきて住んだということから「神仙岩」と言われる岩があります。この岩には日本に捕虜として連れて行かれた夫を待ちわびて岩になったという女性の銅像・望夫石があります。太宗台は日照りになるたび祈雨祭が行われた所としても有名で陰暦5月10日に降る雨を「太宗雨」と呼んでいます。天気が良ければ展望台から対馬まで一目でみることができます。


慶尚北道(安東市 )


仁川(延寿区)

松島アマレ・ホテルは、松島国際都市と5分の距離に位置しアクセスしやすく、ブティクホテルとして最新のインテリアとレストランが備わっている。 ビジネスパートナーとして最高の旅行や安らぎの場になれるよう、安楽な環境とサービスを提供しているホテル・アマレで幸せな思い出を作ってみよう。 また、ホテルの専門調理師による新鮮な材料で作られた様々なバイキングメニューで用意される朝食バイキングサービスもある。


慶尚北道(慶州市 )


ソウル(江西区) , ソウル西部

許家岩という天然の岩の洞窟一帯に造られた公園が亀岩公園です。この岩から陽川許氏の始祖である許宣文が生まれたとされています。亀岩公園は医聖と呼ばれる許浚の記念公園で、許浚が広津で退いてから、かの有名な東医宝鑑を執筆した場所でもあり、許家岩の洞窟がある場所です。亀岩公園にはオリンピック大路の建設によってできた湖があり、その周りを屏風のようにアパートが高く建ち並んでいます。この場所には許浚が患者を治療する慈愛に満ちている姿の銅像があります。一方、美しい湖ができる前までは、ここは漢江の下流を渡る孔岩の渡し場であり、その横には20人余りが十分に入ることのできる岩の洞窟がありました。戦争の際には多くの人達の避難場所となりました。この一帯の最初の地名である「斎次巴衣」とは漢城百済の頃の大地の神と穀物の神に祭祀を行った岩という意味があります。